宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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温度差って言うか 体温の差って言うか

2017-01-06 11:08:33 | 日記

バーチャルな世界で リアルな世界よりも 生きていくことの難しさを感じることもある

宇宙へのツイッター と言う名目で 2004年から始まった 私の 自由な言いっぱなし
隣人には言いたくないようなことでも 自由に言葉にできるというメリットを利用しているのだが ・・・

ときどき 急にアクセス数が増えることがある

私には 「どなたさまかをネット上で誹謗中傷した私」 として公開された過去があり それは 今でも燻ることがあるようで 急なアクセス数の増加は どこぞでの発言が起因しているらしい

私は疑問を投げかけたのであって そのようなつもりは全くないのだけれど 相手の 私に中傷されたという思い込みを取り払うのは無理があることを悟って その後 その件について 私サイドから関わったことはない

私のブログ綴りは ネット上で交流するための 友達探しではないし それに 温度差による誤解と言うような 簡単なレベルではないし ね


しかし 今回のアクセス数の増加は 違う


FC2 での 「るりとうわた色の空に」 は 管理画面にログインすると 訪問者が どこから訪ねて来たかが表示されるシステムがある
あるころから とあるブログを介しての訪問者が増えた

公開しているブログだから そういうことがあっても受け入れる懐は 持ち合わせているツモリ
私のブログをリンクするからには 相手に私への嫌悪感がない と 思うことにして 喜ばしく受け止めた

ただ それが 私の思いのすべてではない
他人のブログに簡単に飛べるシステムを 相手の承諾なしで利用することへの疑問があった
しかし それを相手に申し出ることで もしも面倒なヤリトリが続くことを懸念して 私の胸の中に収めた

たとえば 一般の電話帳に自宅の電話番号が表示されるのは公認だとしても 個人的な関係でメモしてある電話番号を公開するには 本人の承諾を得た方が無難ではないのかと思ったのでしたが

「相手には私への嫌悪感がないのだろう」 と好意的に考えることで黙認するのが トラブルを避けるための 私の精一杯の策だった



政治も宗教も 地球で生きていくうえで大切な要素だから 政治や宗教について発信を続けるブログは貴重な存在だと思う

相反して 地球で生きることの煩わしさから逃避するための手段として ネットを利用している私が 政治や宗教に触れることはない

私のような者に比べたら 思想は異なろうが いずれも重要な人材のブログだと思うし ブログ主さんの心意気は尊敬に値するのだけれど


「とことん分り合えるまで話し合う気持ちがなければ 言わなきゃいいのに・・・」 と思う 私がいる

しかし 私と同じように ブログ主に無断で自分のブログが表示されることに対する疑問が ときに燻る瞬間があるのかもしれない
そして 私がそうであるように 書くことで 心の鬱積を晴らしているのかもしれない


もし 他人のブログを公開するなら 本人への承諾を得るようなネットのマナーって言うか ・・・


そして もしも そのような打診があったとしたら 私は お断りさせていただこうと思っている

過去の 異次元的な温度差ではなく 話せばわかる程度の温度差だとは思うけれど

生き方が違う人を 自分の生き方に合わせさせることはできないし 
ましてや 確固たる信念を伴ったブログを発信されている方々に対して それを望むのは おこがましいこと 

アクセス数の増加に対する やりきれなさは 時が解決してくれる




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (サイ・サイ)
2017-01-07 22:05:16
表現も感じ方も人それぞれですが、
私は、「思いやりの欠片があれば・・」と感じることが、
たびたびあるblogの文字を読むのは避けております。

「たびたび」あると言うことは、
もうそれは変わることのない姿だと思えるので。

価値観の違いや常識の違い・・・とは違い
「ほんの少しの思いやりの欠片があれば」と思うのです。

私のそれが感想です。

どうのように感じ、また感じたことを、どのように処理してゆくかも、人の心に委ねるしかない訳ですから。

まりさんが記事を書くきっかけを見つけた、その先におられます方も含め。
晴れた日が早く訪れますことを願っております。
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Unknown (まり)
2017-01-07 23:40:37
サイ・サイ さん

実に、清々しいコメントをいただきましたね。
嬉しいです。

避けること、、、  賢明ですね。


「ほんの少しの思いやりの欠片があれば」  
この一語に尽きると思います。
さきほどから、この記事を書くことになったキッカケのブログ主さんへ、同じ意味のコメントをしようか迷っていたところでした。

ブログの関り方として間違ってなくても、そこには思いやりの欠片が見えません。

マナー、エチケットの線引きの位置が違うのですね。
思いやりの欠片の有無で、その位置は大きくズレると思います。
育った環境なのでしょうか、世代の差でしょうか、何が影響するのか分かりませんが、十人十色。
もうそれは変わることのない姿、、、思い知らされます。

お心遣い、ありがとうございます。

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Unknown (花子)
2017-01-09 07:57:37
相手を下に見る人の心が読めない大阪のおばさん。イチャモンなんて言葉遣いも汚い。いい歳して世間は自分を中心まわっていると思ってるのね。ここまで一般常識がなってない人も珍しいわ。
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コメントありがとうございます (まり)
2017-01-10 08:35:32
花子 さん

面と向かって言えないことを大空に向かって話しかけるために、ここがあります(*^^*)
そうですね。
相手を上に見て、気持ちを尊重し、心が読めたら、リンクは外して頂けると思いますが、
ここで、思いをつぶやくことで、私がブログを綴る意味がありますので、 (*´▽`*)

ことの発端は、某ブログに於いて 「リンク」 に関する、たった4行の言葉でした。
そこには、過去のいきさつも、思想の相違も関係なく、その4行によって、
ご自分は、ご自分の考えを優先して貫く、と言う説明だけで、それで終わったことでした。

それが、なぜ、思想が異なる相手方の人格を否定するまでに展開していったのか、その経緯の責任は、どこにあるのかを振り返りたいものです。

私の発信に、ご意見をいただけたことを嬉しく思います。
ありがとうございました。
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