
神武天皇 御稜
奈良県橿原市大久保町




神武東征の旅へ
生まれながらにして明達で強い意志の持ち主だったカムヤマトイワレヒコ(後の神武天皇)は、生まれ故郷の日向国(現在の宮崎県地方)を発ち、東征の旅に出ました。
治めるのに相応しい美しい土地が東の地方にあるとされたからです。
兄の五瀬命(イツセノミコト)と共に豊後の字沙を経て、筑紫の岡田宮で一年、さらに東を目指し、阿岐の挨宮(えのみや)で7年、吉備の高島宮で8年を費やし、そこから太平洋に出て、浪速の湾から河内の白肩津に上陸しますが、険阻な地にはばまれ、紀伊半島へ迂回します。
熊野の山で道に迷うも、天照大神が遣わした八咫烏(ヤタガラス)に導かれ、生駒山を越えて大和国に入ります。
ここで現地を支配する、那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)の軍勢との戦いで兄の五瀬命を失いながらも戦いに勝利したカムヤマトイワレヒコは、畝傍山の麓、橿原宮で即位し、神武天皇となりました。
即位の日は、辛酉年1月1日、西暦 紀元前660年 2月11日とされ、この日が戦前の紀元節~現在の建国記念日とされています。