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崇神天皇陵
奈良県天理市柳本町
三輪山に大物主大神を祀り、疫病の退散を果たした崇神天皇は、日本各地を平定するために四人の皇族将軍(四道将軍)を派遣します。
大彦命(おおひこのみこと~第8代 孝元天皇第一皇子)が北陸道。武渟川別(たけぬなかわたけ~大彦命の子)が東海道、吉備津彦(きびつひこ~第7代 孝霊天皇皇子)が山陽道、丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと~第9代 開化天皇皇子の子)を山陰道へと派遣し、四人の将軍ほ賊軍を討伐して凱旋します。
疫病への対応、賊軍の討伐を成した崇神天皇は、地域の人口を調査して課役(住民へ労働、年貢)を課し、農業のための溜め池などの灌漑事業も盛んに行い、崇神天皇の治世の下、国としての基礎を築きました。