

沓掛城跡
桶狭間の戦い〜運命の桶狭間
五月十九日の早暁
祐福寺を発った義元殿は今川本隊の詰める沓掛城に戻られた。
輿から降り、まだ陽も登って間も無く、
茹だる暑さに不機嫌だったものの、元康君率いる軍勢が丸根砦を落とし、守将 佐久間重盛の首を早速届けてきたことから、幸先良しと機嫌を直された。
遅れて直臣の朝比奈泰能が鷲津砦を陥落せしめたと使者を遣わしたものの、守将は逃亡、兵も潰走したとの知らせに…
〜首を取り損のうたか。元康が勝利に及ばぬわ。直臣のくせに。
だが、我が軍勢の向かう先、鬼神といえど、亦(また)避くうべし〜
と気を取り直し、意気揚々と沓掛城を進発された。
今川は、先発した葛山信貞隊を含めると、一万を超す大軍である、義元殿は悪路に時間を割かれ、正午頃に丘陵地で休憩を決めた…。
桶狭間。
丘陵地帯の窪地である。
先の鷲津、丸根の両砦は陥落せしめたが、潰走した織田の兵が潜む恐れも考えて警戒の兵を先発隊の方へ差し向けた。
ここで義元殿は本隊がほぼ縦列隊列のままで休息を命じた。
半刻あまり後、新領主の今川様に行厨(こうちゅう〜料理、弁当)に酒を献じたいと村の長者たちが現れた。
尾張の領民共は利に敏いらしい。良く言えば一刻も早く義元殿に取り入ろうとする敏感さとも取れる。
〜行軍で疲れた兵も喜ぶだろう〜
祝い酒まで振る舞われて義元殿も一層上機嫌になった。
つづく