東大寺大仏(盧遮那仏)1186年 6月18日(文治2年5月29日) 源頼朝が、治承・寿永の乱(源平合戦)で荒廃した社寺の復興を命じました。興福寺以仁王の平家討伐の呼び掛けに呼応して挙兵した源氏との戦端が開かれて以来、主戦場となった京、南都(奈良)の寺社の被害は大きく、特に奈良は、東大寺や興福寺は平重衡の軍勢により火が放たれ、大半の伽藍を焼失してしまっていました。