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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 51 清洲同盟 2



清洲同盟 2

 
伯父の刈谷城主、水野信元が尾張から信長の使者として滝川左近将監一益を伴って来た。

石川弥七郎数正のもとに和議のことを申し入れてきたので、数正は岡崎の老臣たちを呼んで、このことをどう進めれぱ良いか話あった。


酒井左衛門尉忠次は、
〜只今の当家の権勢をもっても、直ぐ様、織田。今川。両家の間に自立するのは難しいでしょう。〜

元康君の前でも、忌憚なく意見を申し上げる家の風土が岡崎にはあった。

当主、元康君が頼りない、侮りなどではなく、土着の三河譜代とは、古くから こうしたもの言いで、良く言えば主君と家臣との間の風通しの良さが戦場でも強さを発揮してきた。

忠次は続ける。
〜今川氏真は、我らが必死で織田が雪崩れ込むのを防ぐも、父上、亡き義元殿の仇すら討つ志しなく酒宴に耽る有り様。かたや信長は心願の桶狭間が成ると、次は義父の仇を討つべく美濃へ討ち出してると聞こえます。信長は英傑にしてその名は比類なきと、次第に全国にも及んでいます。〜

居並ぶ老臣たちは いずれも、
〜当家は今川の一族被官ではありません。
元康君が駿府に人質の御身になられて以降、領国の租税は掠め取られ…、今川の戦いに駆り出された際には先鋒にて弓矢を受け…〜


苛烈な今川の処置にも屈せず、三河譜代が今川の先鋒に立ち続けたのは、駿府の元康君の身に
害が及ばぬことを切に願い続けたからに他ならない。数正が元康君へ膝を近くする。

〜信長と事を共になされば、当家の行く末のためには、これ以上のことはありません。向こうから和議を願い出ていることは幸いです。速やかにお受けなさいませ。〜


〜我が身が駿府にあったばかりに譜代家臣の多くを今川のために討ち死にさせてしまった。これこそ我が身の一生の遺憾である。〜


元康君の仰せに誰しも嗚咽し咽せ涙した。

元康君は童の頃から信長を知る身といえ、父祖二代に渡る宿敵の大将である信長との和議の対面は、元康もよりも譜代老臣たちが一層身に沁みる出来事になるだろう。

こうして
永禄四年が暮れようとしていた。











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