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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 52 清洲同盟 3



清洲同盟 3



元康君が尾張へいらっしゃることとなり、信長は道中の橋梁に修理を加え、道を整備されたりと、色々準備をされた。

元康君が清洲城へお渡りの際、その御行列を拝見しようと、尾張の者などが城門の辺りに群がって騒々しかった。

このとき、本多平八郎忠勝は、年わずか十四歳で供奉していた。

元康君の御馬前に御長刀を持って供奉しながら、
〜三河の太守、松平蔵人佐元康が両国のよしみを結ぶために いらっしゃったというに、お前たちは作用に無礼な挙動をするのか!〜

と大音声で罵ると、皆その威勢に恐れをなして大人しくなった。

城下の騒ぎを聞きつけ、織田家の御家人と仲介の水野信元が先導して清洲城に入ると、信長が二の丸まで迎えに出ていた。

植村新六郎家政が御刀を掲げて元康君の後ろに随っていたのを、信長の御家人がとがめて、

〜何者がここまで入ってきたのか〜

と言って遮ると、家政は

〜徳川の家臣、植村新六郎家政です。主人の太刀を持って参いります。大袈裟に咎められるな。〜

と言うと、信長が御家人を制して

〜新六よ、参ったか。この者の家は三河の有名な勇士である。構わぬ。〜

と言って元康君への随行を許した。

信長はその座へ新六郎を呼び出し、
〜今日、初めてお前を見たが、昔の史記の鴻門の会の樊噲(はんかい)をも越えたぞ〜

と、大変お褒めになった。
さらに信長は続ける。

〜皆、聞け。この新六の父は、松平清康殿を殺害した阿部弥七を討ち取り、その子、岡崎殿に槍を向けた岩松八弥を即座に討ち止め、一人で二度の忠節を顕した。〜

信長は上機嫌で二振りの太刀を新六郎に下された。


やがて、盟約の話し合いが色々と取り決めになり、両家の最大の懸念だった国境を、境川から東を三河、西を尾張として落ち着いた。

今後互いに力を合わせ、心を一つにして天下を切り取り従わせ、もし信長が天下を統一すれば、元康は信長の旗のもとに属されることになるが、元康君がもし天下統一の勲功をお挙げになった場合は、信長が旗下に参るという誓文を読み終えると、焼き杯にして神水となし、両家ですすり飲みをして永く隣国のよしみをお結びになられた。









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