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日本歴史紀行

思い出フォト 126 2016年 6月 御前崎市巡り

2016年6月、静岡県の南端 御前崎市を訪ねています。




田沼街道碑



田沼街道は、江戸時代中期、第九代将軍 徳川家重の時代、老中として絶大な権力を握った田沼意次が治めた相良と東海道の宿場町 藤枝宿を結ぶ街道として整備されました。


相良の地は、元々この地で精製された塩を遠く信濃(現在の長野県)まで流通させる塩の道として栄えました。








相良城跡
戦国時代
相良の地は駿河に侵攻した甲斐 武田氏と徳川氏との間で争奪戦が繰り広げられ、やがて徳川家康が支配下に置くと鷹狩りの場として訪れるために御殿が築かれました。
家康の没後、相良藩の藩庁として置かれます。
小規模な陣屋しかなかった相良に幕府の重職、老中、田沼意次が入ることで、相良城が築城されました。

ただ、幕府の重役を担う田沼は常に江戸に在り、生涯に二度、相良に入るにとどまり、田沼の失脚後に城は破却されたと伝わります。














大鐘家住宅


静岡県牧之原市片浜


大鐘家住宅は、戦国武将 大鐘貞綱が1597年 慶長2年、越前より遠州のこの地に移り住み、やがて貞綱の子孫の世代には、大庄屋となり、大鐘家としての住宅を建てました。


遠州相良の地に移り住んだ大鐘藤八郎貞綱は、織田信長の家臣、柴田勝家に仕える尾張出身の武将で、越前丸岡城の家老を務めていました。


柴田勝家が豊臣秀吉と戦った賤ヶ岳の戦いに柴田勝豊の下で出陣、敗れた後に越前に潜伏し、やがて1597年 慶長元年頃、遠州、相良の地に移ります。


江戸時代の初期、旗本三千石の格式で大庄屋となり、相良の有力者となりました。
















初夏の時期は、あじさい祭りが開催され、庭園を彩っています。



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