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名古屋城
愛知県名古屋市中区本丸
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名古屋城本丸御殿
名古屋城 本丸御殿は、1612年 慶長17年に名古屋城天守閣の完成から3年、徳川家康が九男、義直を初代 尾張藩主に据え、住居、藩の政庁を司る建物として、1615年 慶長20年1月、天守の南側の本丸に作らせました。
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本丸御殿は竣工以来、藩主の徳川義直が居住しましたが、将軍の上洛時の宿泊所としての意味合いが強まり、義直は後に竣工した二の丸御殿に移動しました。
本丸御殿は2代将軍 秀忠と3代将軍 家光が義直の藩主時代に上洛時に宿泊しました。
その後 将軍が泊まることはおろか、上洛すること自体が無く、しばらく主不在のまま時は過ぎ、泰平の世が終わりを告げる間際の1865年 慶応元年、14代将軍 徳川家茂が上洛する際に徳川将軍として最後に宿泊しました。
本丸御殿は名古屋城天守閣とともに明治維新後も破却を免れ、天守閣が名古屋離宮として宮内省管轄の建物となり、国内初の国宝第一号となりましたが、太平洋戦争終盤の1945年 昭和20年 5月14日、米軍のB29爆撃機の大編隊による名古屋大空襲で焼夷弾爆撃により天守閣とともに焼失しました。
天守閣は戦後15年を待たず再建されましたが、本丸御殿の再建には半世紀の時間を必要としました。