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日本歴史紀行

静岡模型紀行 5 - 9 不撓不屈のトップメーカー タミヤ 9











5月13日、5月14日の土日は、静岡ホビーショーの一般開放日でした。
 
業界最大手のタミヤは、ホビーショーの開催に合わせて毎年、本社を一般客に開放していましたが、ここ3年間はコロナ禍で開放を自粛、中止していて、感染状況の落ち着いてきた今年になり、検温は行なうものの、ようやく以前の様に一般の人にタミヤの模型に触れる機会が再開され、ぼくは14日、ホビーショー最終日にタミヤ本社を訪問し、不撓不屈のトップメーカーの仕事、こだわりの一端を見て来ました。





順調な木製模型の会社〜船の田宮〜と呼ばれる


木材製材会社の漏電による火災という不幸に見舞われながらも、成長を見込んだ木製模型。
創業者でもある父の田宮義雄氏が新たに興した木製模型製作、販売会社〜田宮商事に入社した田宮俊作氏は、田宮商事の製品開発を担当する叔父で父の右腕的存在の田宮文若氏の下で木製模型の開発、製作に携わります。










日曜も休日も無く木製模型に情熱を傾ける俊作氏が開発に加わり、緩やかながら、業績も好調に推移し、ファンには、【船の田宮】と呼ばれるほど、田宮商事の木製模型は高い評価を受け
ました。


ところが、俊作氏が木製模型の開発に手応えを掴み取ろうとしていた矢先、模型業界に衝撃が走ります。


新素材、プラスチックを加工した模型〜プラスチックモデルの登場です。


〜新素材による模型〜プラスチックモデル〜
幕末の1853年、嘉永6年、日本に新しい時代の到来を強引に告げたマシュー、ペリー提督の率いたアメリカ東インド艦隊〜世に言われた黒船の様な衝撃が業界を襲う出来事でした。



日本におけるプラスチックモデルの登場は、
戦後 昭和29年、進駐軍として赴任してきたアメリカ軍によって九州 小倉の芦屋基地にプラモデルが持ち込まれました。


持ち込まれたプラモデルはやがて小倉の井筒屋百貨店で輸入プラモデルが売り出されます。


最初に売り出されたプラモデルは、アメリカの戦艦ミズーリ。

日本海軍が真珠湾攻撃で撃沈した代表的な戦艦でした。







それから4年あまりの時を経た1958年、昭和33年12月、東京、浅草の玩具製造を手掛けるマルサン商店が国産プラスチックモデル〜潜水艦、ノーチラス号を世に出します。





田宮俊作氏がプラスチックモデルの登場を初めて耳にしたのは、田宮商事入社2年目の1959年、昭和34年のことでした。


模型好きの友人が東京で〜凄いものを見ちゃったよ〜という言葉に触発され、俊作氏は東京、新橋の輸入雑貨品を扱う店へ出向きました。



10に続きます。










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