![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/21/6c0f1faaa579eb149273920ee0ca311e.jpg)
昨日、本町(北栄町)議会に、筑前町の議会広報委員会の皆さんが、視察研修に来られた。
視察研修といえば、通例は、県や全国の議会だよりコンクールで、
優秀な成績を得られたところへ教えを乞いに伺うものであるが、
今回の場合は違う。
ブログの開設と検索を通して、ひょんなことから、
筑前町の議会広報委員会の笠委員長と知り合いになり、
視察研修に近県の某町を視察研修された折に、
足を伸ばされたものである。
小さな縁が大きな成果を産んだというところでしょうか。
たいへんうれしくお迎えできたが、
この研修・意見交換が、
わざわざ来られた筑前町の議会広報委員会の皆さんにとって、
少しは役立つものであれば、幸いであります。
当方としても、有意義な研修をさせていただいた。
議会広報のこと、議員のこと、議会のことなど・・・
いろいろと意見交換させていただいた。
異なる地域の人との意見交換は、
その背景が異なるだけに、新たな発見がある。
当たり前だと思っていたことが、
視点を変えれば、他の当たり前もあるということだ。
特に興味深かったのは、
一般質問の質問と答弁を、質問者に要約していただくということだ。
誤字・脱字・言い回し間違い、質疑と答弁の食い違いなどがあっても、
まちがいが明らかなもの、公序良俗に反しない限り、
そのまま掲載したということである。
その議会だよりの発行責任は、畢竟、
議会の代表者である議長であるが、
広報委員も当然、編集責任を負う。
そして、この場合は、
各議員も、その要約記事のすべての責任を負う事になる。
必然的に、誤字・脱字・言い回し間違い、質疑と答弁の食い違いなどがあれば、町民から指摘される。
質問議員は、より真剣に取り組むようになったということだ。
議会だよりという文書で、ずっーと各家庭や公文書としても残るから、うかつではいられない。
これも見方を変えれば、良い効果である。
広報委員からすれば、広報編集委員の名が出ることを考えれば、
誤字・脱字・言い回し間違い、質疑と答弁の食い違いなどを直したいと考える。
「なんですか、広報委員は。
こんな誤字・脱字・言い回しの食い違いに気がつかないのですか」
と言われはしないかと、まず頭に浮かぶ。
だから、そのようなことを言われまいとして、訂正する。
その背景は、わが身を守るため。
この考え方の時点で、目的から少しずつ、ずれてくる。
議会だよりは、議員一人ひとりの判断を表すものでもあるということ。
取り繕って、きれいに整形して出さなくてもいい場合があるということ。
視点を変えれば、ひとつが正解ということはない場合も多いのではないか。
新たな発見でもある。
コンクールがあると、どうしてもそれを意識してしまう。
例えば、コンクールの評価では、
こういう表現は、こう評価される。
そういう表現は、そう評価される。
ということも考えるが、
目的はコンクールで評価を得るためではない。
いいものを作れば、良い評価をされると言われることも道理であるが、
そればかりでもないという視点も必要と考える。
議会だよりは、目的ではない。
手段である。
目的は、住民に議会の情報を開示する。
議会のそして議員の意志を明確に表す。
そして、その反応として住民の意見を受け止め、
反映させるということであると考えている。
常にその目的に合うように、研鑽し、努力したい。
そのようなことを改めて再認識した一日であった。
筑前町HP
http://www.town.chikuzen.fukuoka.jp/
笠委員長ブログ
http://blog.goo.ne.jp/kasa_1949
笠委員長HP
http://www13.ocn.ne.jp/~kasa/
PS
笠委員長の本音ズバリ発言は、
日ごろの議員活動の成果に裏打ちされたもので、
ナマケモノの私には、新たな刺激となった。
視察研修といえば、通例は、県や全国の議会だよりコンクールで、
優秀な成績を得られたところへ教えを乞いに伺うものであるが、
今回の場合は違う。
ブログの開設と検索を通して、ひょんなことから、
筑前町の議会広報委員会の笠委員長と知り合いになり、
視察研修に近県の某町を視察研修された折に、
足を伸ばされたものである。
小さな縁が大きな成果を産んだというところでしょうか。
たいへんうれしくお迎えできたが、
この研修・意見交換が、
わざわざ来られた筑前町の議会広報委員会の皆さんにとって、
少しは役立つものであれば、幸いであります。
当方としても、有意義な研修をさせていただいた。
議会広報のこと、議員のこと、議会のことなど・・・
いろいろと意見交換させていただいた。
異なる地域の人との意見交換は、
その背景が異なるだけに、新たな発見がある。
当たり前だと思っていたことが、
視点を変えれば、他の当たり前もあるということだ。
特に興味深かったのは、
一般質問の質問と答弁を、質問者に要約していただくということだ。
誤字・脱字・言い回し間違い、質疑と答弁の食い違いなどがあっても、
まちがいが明らかなもの、公序良俗に反しない限り、
そのまま掲載したということである。
その議会だよりの発行責任は、畢竟、
議会の代表者である議長であるが、
広報委員も当然、編集責任を負う。
そして、この場合は、
各議員も、その要約記事のすべての責任を負う事になる。
必然的に、誤字・脱字・言い回し間違い、質疑と答弁の食い違いなどがあれば、町民から指摘される。
質問議員は、より真剣に取り組むようになったということだ。
議会だよりという文書で、ずっーと各家庭や公文書としても残るから、うかつではいられない。
これも見方を変えれば、良い効果である。
広報委員からすれば、広報編集委員の名が出ることを考えれば、
誤字・脱字・言い回し間違い、質疑と答弁の食い違いなどを直したいと考える。
「なんですか、広報委員は。
こんな誤字・脱字・言い回しの食い違いに気がつかないのですか」
と言われはしないかと、まず頭に浮かぶ。
だから、そのようなことを言われまいとして、訂正する。
その背景は、わが身を守るため。
この考え方の時点で、目的から少しずつ、ずれてくる。
議会だよりは、議員一人ひとりの判断を表すものでもあるということ。
取り繕って、きれいに整形して出さなくてもいい場合があるということ。
視点を変えれば、ひとつが正解ということはない場合も多いのではないか。
新たな発見でもある。
コンクールがあると、どうしてもそれを意識してしまう。
例えば、コンクールの評価では、
こういう表現は、こう評価される。
そういう表現は、そう評価される。
ということも考えるが、
目的はコンクールで評価を得るためではない。
いいものを作れば、良い評価をされると言われることも道理であるが、
そればかりでもないという視点も必要と考える。
議会だよりは、目的ではない。
手段である。
目的は、住民に議会の情報を開示する。
議会のそして議員の意志を明確に表す。
そして、その反応として住民の意見を受け止め、
反映させるということであると考えている。
常にその目的に合うように、研鑽し、努力したい。
そのようなことを改めて再認識した一日であった。
筑前町HP
http://www.town.chikuzen.fukuoka.jp/
笠委員長ブログ
http://blog.goo.ne.jp/kasa_1949
笠委員長HP
http://www13.ocn.ne.jp/~kasa/
PS
笠委員長の本音ズバリ発言は、
日ごろの議員活動の成果に裏打ちされたもので、
ナマケモノの私には、新たな刺激となった。