
江戸時代前期の寛永年間を中心とした約80年間の文化を寛永文化といい、
近衛信尹(のぶただ)、本阿弥光悦、松花堂昭乗を「寛永の三筆」と呼んでいる。
その中で、昭乗の書は広く流行した。
理由として、第一に習いやすくなじみやすいものであった。
第二に幕府の公用書体に近かった。
そして弟子へ直接教えられた事だけではなく、刊行された手本類による手習いもあった。
書の大衆化、流行という点では、昭乗の書が第一であった。
・・・今現在、壁面芸術が主流の書は、大衆から離れてはいないのか。
この状態で書き続けて、流行をどうこうといえるのか。
平安末期以降の世尊寺流を勉強中。世尊寺流がダメだという御方もいるけど、何がダメなんだろう。
最近は忙しく寒いので、読書しかしてません。乱筆失礼しました。
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