Be Here Nowって、こういうことかな…そう思うことがたびたび。
昨日は、お友達のが来て、一緒にグリーンカレーを食べた。
そして、ヘンプの話やら、仕事の話やら、リュウゼツランの花の話やら。
3ヶ月ぶりにあった私たちは、しゃべりまくった。
あー、楽しかった。風が通り抜けるようで、とても気持ちいい感じだった。
今日は、某所でのセミナー。お仕事ブログに書いたが、
虫除け&かゆみ止めクリームを、参加者と一緒につくる。
池袋だ。池袋に行くと、なんだか牛タンが食べたくなる。
ぶらぶらして、いつも行く牛タン屋と違うところを発見した。
12時直後、客は私一人…。え、大丈夫?ここの店…。
と思いつつ、すいてて快適な感じ。定食を頼む。
麦茶はセルフサービス。お、来るのも結構早いじゃん。
そして、どんぶり飯の真ん中に穴を開けて、とろろを流し込んでみた。
そして、炭火焼きの牛タンを一枚、かぶりつく。
と、突然、脈絡もなく
「あ、個人セッションはボディワーク系だけにして、
ホロスコープとかタロット見るのはやめよう」
って、急に頭にうかんだ。
自分では、まったく考えたなかったことなので、なぜ、今そんなこと浮かぶのかと。
でも、なんだか、必然な気がして、
なにより、気持ちが最近になくすっきりしていることに気づいた。
昨年の8月からフェルデンクライスメソッドのトレーニングに参加し始めてから、
何かが変化している気がしていた自分。でも、なんだかはっきり分からなかった。
今のところの感じとしては、自分は「からだにいる」ということを、徹底的に
感じてもらうための何かをやるというのが、自分の魂の底からやりたいことなんだ。
そんな風に思った。今までも、ボディワークは大事と思っていた。
でも、それに対する深さと覚悟が、自分の中で違った。シフトチェンジした気がした。
意識をどんな風にグラウンディングさせていくかを探る手段として、
自分は、占星術とかタロット使っていたんだ。そんなことも意識していたけど、
より、深く感じ入った気がした。
そうだよーワークショップ形式でそれはやればいいんだよ。参加した人が、
自分のことを自分で感じ取れるためにね。
今まで、ワークショップや講座などを自分のところでやっていくエネルギーは
ないと思っていた。やっと、ここで重い腰が上がりそうだと思った。
外から見ると、あんまり変化はないかもしれないけれど、自分の中では
大きなアウェアネスであり、サプライズな気がした。
でも、なんで、牛タン食べてる時なわけ?
瞑想中とか、夢のお告げとかじゃなくて。
たぶん、その時、私は「いまここ」にいたから、そうじゃないかなって思った。
昨日は、お友達のが来て、一緒にグリーンカレーを食べた。
そして、ヘンプの話やら、仕事の話やら、リュウゼツランの花の話やら。
3ヶ月ぶりにあった私たちは、しゃべりまくった。
あー、楽しかった。風が通り抜けるようで、とても気持ちいい感じだった。
今日は、某所でのセミナー。お仕事ブログに書いたが、
虫除け&かゆみ止めクリームを、参加者と一緒につくる。
池袋だ。池袋に行くと、なんだか牛タンが食べたくなる。
ぶらぶらして、いつも行く牛タン屋と違うところを発見した。
12時直後、客は私一人…。え、大丈夫?ここの店…。
と思いつつ、すいてて快適な感じ。定食を頼む。
麦茶はセルフサービス。お、来るのも結構早いじゃん。
そして、どんぶり飯の真ん中に穴を開けて、とろろを流し込んでみた。
そして、炭火焼きの牛タンを一枚、かぶりつく。
と、突然、脈絡もなく
「あ、個人セッションはボディワーク系だけにして、
ホロスコープとかタロット見るのはやめよう」
って、急に頭にうかんだ。
自分では、まったく考えたなかったことなので、なぜ、今そんなこと浮かぶのかと。
でも、なんだか、必然な気がして、
なにより、気持ちが最近になくすっきりしていることに気づいた。
昨年の8月からフェルデンクライスメソッドのトレーニングに参加し始めてから、
何かが変化している気がしていた自分。でも、なんだかはっきり分からなかった。
今のところの感じとしては、自分は「からだにいる」ということを、徹底的に
感じてもらうための何かをやるというのが、自分の魂の底からやりたいことなんだ。
そんな風に思った。今までも、ボディワークは大事と思っていた。
でも、それに対する深さと覚悟が、自分の中で違った。シフトチェンジした気がした。
意識をどんな風にグラウンディングさせていくかを探る手段として、
自分は、占星術とかタロット使っていたんだ。そんなことも意識していたけど、
より、深く感じ入った気がした。
そうだよーワークショップ形式でそれはやればいいんだよ。参加した人が、
自分のことを自分で感じ取れるためにね。
今まで、ワークショップや講座などを自分のところでやっていくエネルギーは
ないと思っていた。やっと、ここで重い腰が上がりそうだと思った。
外から見ると、あんまり変化はないかもしれないけれど、自分の中では
大きなアウェアネスであり、サプライズな気がした。
でも、なんで、牛タン食べてる時なわけ?
瞑想中とか、夢のお告げとかじゃなくて。
たぶん、その時、私は「いまここ」にいたから、そうじゃないかなって思った。
占星術とアロマセラピーに興味を持っている者です。
ワークショップ、今から楽しみです。(気が早いかな。)
もうすぐ、本も発売されますね。
以前、ネットで占星術とアロマセラピーが書いてある書籍
を探したことがあるのですが、引っ掛からなかったので、
今度、出版される本は興味津々です。
今度はまっぴるまにも行きたいな@^-^@それでね、高円寺探検するの。あの中央線な人の本、おもしろい。朝中央線に乗りながら開くのはなんかはばかれたけど、帰りの総武線でしっかり読みはじめたよ~。
コメント、ありがとうございます。
いちおう、10月めざしてますが、
検討中なので、待っててくださいね☆
こちらは読んでいないけど。
いろいろ引っ越してみるのですが、結局、中央線に戻ってきてしまうのです。
昼、商店街ぶらぶらすると楽しいよ。
わたしは、古本屋とか中古CD屋をぶらぶらするのが、贅沢な過ごし方です。
ホントに時間と心の余裕があるときしかできないから。
食欲だとか、性欲だとか、そんな極めて生き物的な本能に溺れている時に思い付くことって確かなものな気がする。
やっぱり本能って大事だね、動物だもん
昨日、地底怪獣のようなウシガエルの声をききました
その湧いてき考えに関しては、
説明はつけられない感じ。
うまいものはうまい、
気持ちいいものは気持ちいい、
というのと同じレベルの感覚かもしれないな
そういうときに出るよね。
最近すごくそう思います。
好きな人にメール出して、
返事まだかな、まだかな~って
ちょっとでも意識にあるときは、
返事はこないけど、
ふと、カフェでお茶したり、施術してたり、
まったく自分を空っぽにしてるときに
必ず返事はやってくる。
牛タン食べてるとき、
頭、からっぽだったんだね、きっと。
ところで、横入りですが、、、、
「中央線の呪い」って本の作者の女性に
昔、会ったことあります(たぶん)。
なんか、ふつーーのきさくでステキな女性でしたが、
やっぱり、なにやら、陰陽師系の家系みたいですね。
中央線の呪い、三善さんっていう人でしょ。
何年か前に、阿佐ヶ谷で上野圭一さんと、
三善さんの対談があって、行ったときに
お会いしたけど、そんな感じでした。
それにしても、マニアックな対談でした。
そういえば、その時に、
「あー、私、上野さんの翻訳したあの本から、
こういう道に踏み外した(?)んだ…
って、思い出した、思い出深いイベントだった。
以前中央線のつり広告で見たような
気がします。
中央線が風水にそって走っているのを
都庁が分断してしまった・・・とかなんとか
いう内容では無かったでしょうか。
(うろ覚えでごめん。)
興味があったのに、そのままにしてしまっていた本がここで話題になっていて、面白いな。
子供の頃って「真実」だと思うような
出来事に出会う機会が今よりもっとあったように思う。そんな時はなんだが視界が開けて
実際360度見渡せるように感じたものです。
その後大人になって、お坊さんとそんな話を
していたら「それは悟りで、一瞬天国を見ているんだよ。」と教えてくれました。
悟りは人生において何回も訪れるそうです。
ちなみに私の最初の悟りは、引き算は実は足し算だと気が付いた時です。
足し算しか出来なかったので、引き算が引く数字と答えを足せば良いと気がついた時は嬉しかった~。妹はテコンドーで踵落としをやっている時になったそうです。安珠さんは牛タンを食べている時だったんですね~。
子供の時は、あまり意識してないけど、
そうだったんだろうな。
足し算と引き算の話、面白いね。
なんか、分っちゃうと当たり前のようなことだけど、
そのときの気づきって、なんか、嬉しいよね。
悟りなんだぁ。
一瞬じゃなくて、ずっと天国だといいのにな。