5.「原始犬」とそこからの進化
「原始犬」、それは、約1万5千年もしくはそれ以上の昔、オオカミからの遺伝子変化を経て分岐したばかりの犬達のことである。原始犬と言うと大昔に存在して、今は居ないかのような名称に聞こえるかもしれないが、それらの犬達は現在も存在する。なぜなら、犬が牧羊犬などの使役犬として使われたり、とりわけ狩猟文化の中で積極的に獲物を回収する能力やポイントする能力などの1部の能力を発達させたり、もしくは愛玩犬にされたりなどの文化がなかった国では、近年まで特に犬の品種改良が行われていなかったからである。
それらは、プリミティブ・ドッグというグループに分類される。元々農耕文化であり、犬が生活に必須というわけではなかった日本でよく見る日本犬達(柴犬、秋田犬、甲斐犬、日本スピッツなど)、中央アフリカのコンゴで、しかも相当の奥地の孤立した地域に生息していたバセンジー、5000年前のエジプトの墓に描かれたファラオ・ハウンドなどが、原始犬の形をした犬である。
プリミティブ・ドッグ達は、原産地の自然の中では野生化して生きる能力を持っていて、自立性の高さ、危機回避能力、食料獲得能力、状況判断力、エネルギーの節約など、野生動物が本来持っている性質をそのまま保持している。
彼らは、人類最大の敵であり脅威であったオオカミから進化して、人類最高の友である犬になった。プリミティブ・ドッグ達はその時その姿で私達の傍らにいると言える。その逆として、虐待繁殖の章で書いたように、あまりにも人間が極端な繁殖をやりすぎてしまったがために、生きるに困難な形になってしまったものも多々居る。
もし、犬達が人為的な繁殖をされなければどのように進化したかったのだろう?私は、プリミティブ・ドッグ達を見つめるとき、彼らに問いたくなってしまうことがある。「君達は、ここからどのように進化したい?」と。
6.犬の犬による犬のための進化とは
本来、犬の交配は雑多なものではない。メスの犬が拒否して座りこめば、オスは交尾が出来なくなる。絶対的な選択権はメスが持っているのだ。そして、犬が自然状態で群れになって暮らせば、序列が出来、その中のリーダーのオス・メスが子をつくり、その他のメンバーはその子育てに参加するということが、愛犬王と言われた平岩米吉氏の研究によっても明かされている。「ケダモノのように」近親相姦など馬鹿げたことをしたり、させたりするのは人間だけだ。
彼らには彼らの意思がある。犬達が自ら選択し、自らの未来のために進化してきた事を否定し、多様性等の否定にもなる、犬自身を退化させていると言える全ての人工繁殖は、犬自身にとって害があるものではないだろうか。
7.支配から共生へ
もちろん、だからと言って、平岩氏が昭和初期にやったように、犬を群れで生活させて時には繁殖もということは、犬を愛するものとして、現在の状況には合ってないと思う。もし、そのような自由と幸せが犬のために、そして、犬を愛する人々のためにあるとすれば、ずっと未来のことかもしれない。
現在の状況と言えば、平成22年度の全国データで、犬51,964、猫152,729という数が殺処分されている。全ての犬猫が幸せになりたくても、行ける家庭が少なすぎるのだ。希望者に比べ、犬猫は有り余っている。毎年2~3万ずつ殺処分数は減っているとはいえ、まだまだ殺されている犬猫がこんなにもいる状況だ。いくら助けても引き取ってもキリがなく、シェルターはパンクし、それでも、まだまだ人間の身勝手で殺される命がたくさん存在している。まずは、無責任に産まされた結果として殺される命をなくし(不妊手術)、そのままでは殺される・死んでしまう運命にある子達を生かす(出来る範囲の保護)、それが当分の課題なのだ。
けれども、いつか、犬猫にも、自分で世話が出来る範囲で、家族を持たせてあげられたらいいなと考える。本当は、私だって、大好きな愛犬の子供達を見たいと思う。それは、愛犬が”我が子”ならば、愛犬と愛犬が愛した犬の子は”我が孫”という私だけの血統書なのかもしれない。けれども、たくさんの殺される命を思うとそれが出来ない、ただ殺される運命にある子を一匹でも助けたいと願い頑張るのが現状である。でも、いつの日か犬は犬の意思で、猫は猫の意思で相手を選び、生まれてくる命は、彼らからだけでなく、彼らを愛する家族である人間から、そして人間社会からも祝福される。いつか、そんなふうに互いが共生できる幸せな日が来ることを願って、保護活動を続ける日々である。
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