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阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

サーバントリーダーシップ

2008-12-29 15:28:50 | Weblog
聖書 マタイ23:1~12
題  サーバントリーダーシップ

はじめに

 2008年もあとわずかになりました。今年もみんなが無事に守られ、心から嬉しく思っています。特にT姉妹が今日まで守られてきたことを感謝いたします。T姉妹はいつもこう言っておられます。「教会で祈ってもらっているので、元気にしていることができる。」と。100歳を超えて元気でいてくださることは本当に感謝です。25日に訪問して、「きよしこの夜」を一緒に歌いました。T姉妹は何も見ないで、歌われるのです。歌詞を全部覚えておられるのです。「すごいな。」と思いました。少し風邪をひいておられるようなので、いやされるようにお祈りください。

1. サーバントリーダーシップ

 サーバントリーダーシップとはロバート・グリーンリーフという人が提唱したリーダーシップのことです。サーバントは召使いというより、ここではビジョンを持っている奉仕者と訳した方が良いでしょう。これは大きなビジョンの実現に向かって一生懸命働いている人たちを支援する(助ける)リーダーの在り方です。たとえば、会社の場合、社長がはっきりしたビジョンを掲げます。目標をはっきり定めることです。そのビジョンを実現するために部下の人たちは、それぞれの能力や賜物を使って働きます。それを社長は心からいろいろなものを出してきて、応援をします。下から支えるのです。また、家庭ではお父さんの役割です。これは新しいリーダーの在り方です。今からの企業に必要なリーダーシップです。今日の聖書の個所はリーダーシップのあり方について教えています。イエス様はどんなリーダーシップをとられたのでしょうか。

2. 律法学者、パリサイ人のリーダーシップ

 イエス様は弟子たちにどうやって人々を導いていくか、どのように生活していくのかについて教えられたのです。弟子たちはこの偉大な教師であるイエス様と一緒にイスラエルの国を立て直そうと思っていました。そして、その時が来たら、左大臣右大臣になると信じていたのです。そんな弟子たちの心を知っておられたイエス様は、律法学者やパリサイ人たちのようになってはいけませんと教えられました。
イエス様の時代、イスラエルの国を導いていたのは律法学者やパリサイ人たちでした。彼らがユダヤ人のリーダー(指導者)でした。そして、モーセの律法についてとても、細かく教えていました。モーセの律法は10の戒めです。しかし、当時はそれが613の戒律になっていました。イエス様は弟子たちに彼らの教えていることは守りなさい。しかし、彼らの行いをまねてはなりませんと言われました。なぜか、「彼らは言うことは言うが実行しないから」と言われました。
律法学者やパリサイびとたちは「あれもしてはいけない、これもしてはいけない」と民衆に教えるのです。それはちょうど重い荷物をかつがせるようなものだったようです。すなわち、やれないことをあれこれと教え、命令していたわけです。これは上からの命令です。上下関係の人間関係です。リーダーが上にいて、一方的に教え、命令し、自分は何もしません。その上、できないようなことまで守りなさいと教えているのです。この中には少し、聖書から外れていることもありました。「口伝律法」といって昔からの「言い伝え」です。この言い伝えが聖書と同じように大切だとされていました。イエス様の霊的な戦いはこの口伝律法との戦いでした。

また、彼らは自分は偉い、信仰的であるということを見せるためにいろいろ工夫をしていました。たとえば、お祈りする時、使うものに経札というものがあります。その経札の幅を広くするというのです。経札というのは聖書の言葉を羊の皮で作った紙に書いて革の小箱に入れます。それを腕や額(ひたい)に結びつけます。イスラエルの国では「テフィリン」と呼びます。日本にも似たような格好をした人たちがいます。山伏(修行僧)です。彼らが額(ひたい)につけたり、腕(うで)につけたりしているような格好によく似ています。また、祈りのために衣(チョッキ)をつけた時、衣のすそに長い房をつけます。その房は「ツィツィート」と呼ばれています。また、彼らは宴会や会堂では目上の人が座る席に座りたがります。そして、うやうやしく、「先生」と呼んでもらいたいと願っています。これらはどこが間違っていますか。①一つは教えと行動が一致していないことです。②二番目に見せるためにやっていることです。心で考えていることが良くないのです。(動機が良くない)③上座に座ることが好きです。これは「私は偉い人である」ということを表現しているのです。高慢な態度です。

3. イエス・キリストのリーダーシップ

 このようなパリサイ人や律法学者たちの態度を批判されました。イエス様は言われました。「先生」呼ばれるのを喜んではいけません。あなたがたは皆兄弟姉妹だからです。先生と呼ばれる方はただ一人、キリスト(メシヤ、救い主)だけです。また、だれか偉大なリーダーが出てきても、その人を「我らの父」と呼んで、あがめてはいけないと教えられました。「我らの父」と呼ぶお方は天におられる創造主なる神だけです。このお方だけを「天います父」と呼びなさいと言われました。イエス様はこの方のことを「アバ」と呼んでおられました。それは「おとうちゃん」という言い方です。私たちも神様のことを「天のお父様」と呼んでいます。これはとても親しい関係を表しています。また、教師とよばれてはいけません。教師はキリストただ一人だからです。(マタイ23:11,12節)「あなたがたの内の一番偉大な者は、あなたがたに仕えるものでなければなりません。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」と教えられました。この「あなたがたのうちの一番偉大な者はあなたがたに仕える人でなければなりません。」この考えがサーバントリーダーシップの考え方です。イエス様は偉大なサーバントリーダーです。イエス様のようにすばらしいサーバントリーダーにはなれないかもしれませんが、イエス様のようなサーバントリーダーになることを目指すことができます。

 イエス様は霊的な教えや、生活のこと、また神の国のことなど、食事をしながら話したり、ある時は同じ野原に座ったり、立ったりしながら教えられました。
民衆の生活の場に下りて行かれたのです。パリサイ人たちが民衆の重い生活の荷に指一本触れようとしなかったのに対して、イエス様は自分から進んで、その重荷を共に背負われました。(マタイ11:28~30)「11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
同じくびきを背負われたのです。「くびき」というのは牛を2頭使って畑を耕す時に同じように働くように首に木の枠をつけていました。その木の枠のことです。イエス様が一方の木の枠をつけておられ、もう一つの木の枠に重荷を負っている人が入ります。そうするとその木の枠を通して、その人の重荷を共に支えてくださるので、その人の重荷は軽くなるという意味です。

 また、(イザヤ53:4)「53:4 まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」
病気も痛みも背負って下さいました。この背負うという中にイエス様の優しさがあります。痛みや苦労を分かち合って心を通わせる(通じる)ものがありました。これを「共感する」といいます。

 しかし、サーバントリーダーはこれだけではありません。次のものはロバート・グリーンリーフが提唱したサーバントリーダーの条件です。
① 人の言うことがきちんと聞ける。
② 同時に共感できる。(同じ気持ちになれること)
③ 困っている人がいたら、それに対処していやすことができる。
④ きづいたことを言葉に表し、訴えることができる。
⑤ 何か、大きな使命や目標をかかげ、それを訴え、説得する力を持つ
⑥ そのために自分の夢やビジョンをはっきりと言葉で表現できる。
⑦ 先見の目がある。先のことを予測できる。
⑧ 役員としての役割ができる。(リーダーの役割ができる)
⑨ 尽くすということを通じて、人々の成長にかかわる役割を持つ。
⑩ コミニュティ(共同体)を作る。(セルグループなどの共同体を作る)

 イエス様は自分のビジョンを弟子たちに教えられました。それは「神の国をたてあげていく」というビジョンでした。神の国を見たことのない弟子たちにたくさんのたとえ話を通して神の国はこのようなものであることを教えられました。また自分の行いを通して神の国は愛の国であることを教えらえました。サーバントリーダーには、自分が持つすべてのものを相手に与え尽くすことが求められます。イエス様は命さえも与えてくださいました。十字架の犠牲は神の子であることすら、捨てることでした。すべてを捨てて、私たちを愛し、赦し、罪人であった私たちを神の子としてくださいました。そして、神の国を造り上げることができるようにしてくださったのです。イエス様は自分を「捨て石」とされました。マタイ21:42(詩編118:22)「『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。』

 またピリピ書にはしもべとなられたイエス様の姿が描かれています。
ピリピ2:3~9「2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。2:4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。 2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」

4. 阿南教会に必要なサーバントリーダーシップと献身者

 NHKの大河ドラマ篤姫が終わりました。この篤姫こそはサーバントリーダーとして徳川家を支えた人です。江戸時代の徳川宗家の最後を守ろうと捨て石になって一生懸命働いた方です。江戸が戦争で火の海とならないですんだのはこの篤姫のおかげでした。サーバントリーダーには先見の目が必要です。先を予測する力です。篤姫は徳川宗家の16代となった徳川家達(いえさと)の教育に残りの生涯をかけます。すべてを失って貧しくなったにもかかわらず、家達(いえさと)に次の時代を担う教育を授けるのです。英語を習わせ、イギリスに5年間留学させました。その結果、徳川時代と全く違う、新しい時代であった明治時代に、徳川家達(いえさと)は政治家として活躍をしました。そして、彼は78歳まで長生きしたのです。
徳川いえさとは伊藤博文や蜂須賀茂詔(はちすかもちあき)と共に働きました。蜂須賀茂詔(はちすかもちあき)は阿波の国徳島藩の最後の藩主で、蜂須賀家14代目の当主でした。彼もまたイギリスの有名なオックスフォード大学に留学しています。私たちが住んでいる徳島県からこのような人が出ているということは嬉しいことです。
 私たちの教会の将来を考えてみましょう。たくさんのサーバントリーダーたちが活躍できるように、今、その土台を作る時です。できることからはじめましょう。一人一人がサーバントリーダーとして献身しましょう。
(マタイ23:11,12節)「あなたがたの内のいちばん偉大な者は、あなたがたに仕えるものでなければなりません。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」
サーバントリーダーは心から、主に、身も心も時間も捧げなければなりません。主は今、この教会にサーバントリーダーが必要ですと言っておられます。来年から、リーダーの訓練会を開きます。この正月の間にどうぞ、主の前に静まって、リーダーとしてこの教会に仕えたいという思いが与えられるようにお祈りください。その思いが与えられた人は牧師に申し出てください。
イエス様のようなサーバントリーダーにはなれませんが、イエス様をお手本にしてリーダーの役割を果たしていきましょう。
また、今年一年間守られたことを感謝いたしましょう。



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