2019.6.23.アメリカにおけるリバイバル
聖書 エペソ2:1~5、Ⅱペテロ3:9
題 アメリカにおけるリバイバル
暗唱聖句 Ⅱペテロ3:9
「 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束(=再臨)のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
はじめに
最近の歴史の中で起こったリバイバルの中で、先週はイギリスのジョン・ウェスレーのリバイバルを学びました。このリバイバルも大学の祈祷会から始まったということでした。リバイバルは大学の構内の祈祷会から始まると言われていましたが、本当にそうだったんだと納得しました。大学の構内で伝道活動を続けておられる方々のためには祈り続けなければならないですね。
それから、リバイバルが始まったところのグループの人数は、最初は小さかったがそれがだんだん多くなっていったということです。聖霊の力に満たされて、人数も多くなり、霊的刷新が起こりました。そしてそこに偉大な説教家が与えられ、用いられました。ウェスレー兄弟はイギリスのメソジストのリバイバルに用いられた器でした。
1. アメリカでは、イギリスより、少し早くリバイバルが起こった。(18世紀)
18世紀にはアメリカとイギリスに大きなリバイバルが起こり、アメリカではニューイングランド地方でリバイバルが起こりました。この地方は1620年にイギリスからピューリタン(清教徒)と呼ばれる人々102名がメイフラワー号にのって到着したところです。到着したところはプリスマ、近くにボストンという中心都市があります。この時、信仰を持っていた人々はごくわずかだったそうです。それから、100年がたち、彼らが持っていた熱心さと敬虔さは、すでに失われ、霊的な情熱は冷めていました。救いを知らない人たちが教会員として認められていました。新生体験のない人たちが教会員だったのです。
ニューイングランドの大リバイバルではジョナサン・エドワーズという人が祈りと説教で用いられ、5万人が回心したと言われています。この地方の人口の5人に1人が新生体験をしたと言われています。エドワーズは神との個人的な交わりをこのように記録しています。
「すると、神的な存在の栄光のような感覚が魂に生じてきた。それまでに体験したことのあるものとは全く違う、新しい感覚である。・・・・・と私は思った。このお方はなんと素晴らしいお方なんだろうかこの神を味わい、・・・・・・永遠にこの方の内に留まるというのはどんなに幸いなことなのだろうか。私は・・・・今までとは違う形で祈った。新しい種類の愛情をこめて祈った。・・・その頃から、私はキリストについて、すなわち、ご人格の美しさとすばらしさ、また無償の恵による救いのうるわしさについて、書物を読み、思いめぐらすことに多くの時間を費やすようになった。・・・…種々の神聖なことに抱いていた感覚が、しばしば突然呼び起こされた。それは、あたかも、心の中の甘い炎のようなものであり、魂の熱い思いであった。」
もう一人、「ディビッド・ブレイナード」の日誌から。
「1744年1月1日。朝、少し祈る。・・・・・・夕方少し祈る。・・・・・・・・ああ。この新年を神と共に始めることができ、そのすべてを、生を持ってであれ、死をもってでであれ、主の栄光の為に費やすことができるように。」
彼はニューイングランドの原住民のために断食して祈っていました。結果を見ないままに祈り、肉体的にも苦しんだ数年間を経て、ついにリバイバルが原住民たちの上にやってきたのを見ることができました。
「私は、聴衆のほぼ全員が捉えられたその力をみて、驚き立ちすくんでいた。それは強力な,反抗することのできない力であった。・・・・・・すべての年齢層の人々が、心の重荷から頭を垂れていた。・・・・・・・インディアンたちの中で目立っていたのは、以前は誰よりも自分は正しい、何の問題もないと思っていた人物であった。・・・・それがいまや自らの魂を思う厳粛な心にとらわれ、激しくむせび泣いていた。」
ブレイナードは原住民たちのために献身的に働き、犠牲を払いました。そして、29歳で亡くなってしまいました。
2.19世紀のアメリカのリバイバル(ニューイングランドから)
18世紀の終わりころには倫理や宗教は衰退していきました。大学のキャンパスも衰退していきました。ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学などは、設立当時は宗教教育機関として設立されました。かってはリバイバルの指導者が学長を務めたこともありますが、この時代では、本来の使命に忠実ではなくなってしまいました。諸大学は無神論と不信仰の巣窟になってしまいました。
このような退廃は、ニューイングランドにいた15名ほどの人々にとって、重い祈りの課題になりました。彼らは、神の介入を求め、全国的な「祈りの一致」を呼びかけました。多くの教派から教職者たちが参加しました。やがて、リバイバルの報告が各地で広まり始めました。大学で始まったことは注目すべきことでした。
19世紀の初めになると、リバイバルのリーダーたちの名前と、リバイバルの起こった地名が急速に増えていきます。しかし、聖霊が働かれるところでは、必ず祈りが先にあり、発動力になりました。
各地の大学生たちは、クリスチャンサークルを始めました。当初は反発を受けたものの、やがて流れが変わりました。「彼らは互いに見守りあい、熱心に祈り、頻繁に集まり、互いに相談に乗り、親身になって助言することに心を尽くした。その大半は小さなグループであった。例えば、ブラウン大学では、3人の学生が「大学祈祷サークル」を作り、毎週個室に集まっていた。」
ジョナサン・エドワーズの孫ティモシー・ドワイトは、1796年にイェール大学の学長となり、生きたキリスト教体験への回復を導きました。6年後の1802年には学生の3分の1がキリスト教信仰を告白したのです。さらにこの年、同大学の卒業生の半分がフルタイムの献身者となりました。(すごいね)
リバイバルの同じような話は、ほかの大学のキャンパスからも聞かれるようになりました。(アマ-スト大学、ダートマス大学、プリンストン大学など)
小さな群れであっても、それぞれの大学で献身的な祈りがなされた結果、活発な伝道がなされ、多くの学生たちが救いに導かれていったのです。このような大規模な回心と信仰への目覚めは、多くの大学で何世代もの学生に受け継がれていきました。
学生たち自身による説教は、学生礼拝の一部となり、新しい学期が始まるごとに、全学規模での祈りの日が組まれていきました。
チャールズ・G・フィニーは、アメリカの最も有名な伝道者の一人です。1792年、無神論の家庭に生まれた彼は、まず学校の教師になり、やがて、ニューヨーク州の法律事務所の見習いになります。そして、司法試験を目指して勉強する中で、聖書があることに気が付きました。聖書はアメリカの法律の基礎になっていたからです。生まれて初めて聖書を購入しました。読んでいるうちに聖書がまさに神の言葉であるとの確信に至りました。こうして、彼は29歳の時にキリストに生涯を明け渡しました。法律家の夢を捨てて、福音を語るものとなりました。31歳の時に、伝道者に任命されると、自らが福音を語った場所で、すぐにリバイバルが起こります。同じことは各地で起こりました。人々が各地で神の国に押し寄せてきたのです。中でも有名なものは1830年、ニューヨーク州ロチェスターで持たれた集会です。その結果、地域の諸教会には十万人の人々が加えられたそうです。短期間で起こったことは、神の偉大な働きであり、宗教的な回復でした。
フィニーの成功においても、祈りは一番の要素でした。ある時、オーバリン大学で授業していました。学生から質問を受けましたが、答えがわかりませんでした。彼は正直にわからないと答え、その場で、ひざまずいてお祈りしました。そして立ち上がると、主が与えてくださった答えを分かち合いました。
フィニーの作品の中に「信仰のリバイバルについての講演集」があります。祈りという主題の章とリバイバルにおけるその重要性の章が複数含まれています。「勝利を収めていく祈り」「信仰の祈り」「祈りの御霊」「祈りのための諸集会」という章です。
「祈りの御霊」の中にはこんな証があります。
ある牧師の教会では14年間もリバイバルが続いていました。フィニーはそのことの秘訣を知りたいと思っていましたがわかりませんでした。ある祈祷会で、その教会員の一人が立ち上がり、打ち明けました。「私は長い間、毎週土曜日の夜には、聖霊のご降臨を求めて夜中まで祈っていました。ところがこの数週間それをしていないのです。」と言って彼はむせび泣きはじめました。フィニーは「あの牧師には、祈る教会員がいたのだ」ということがわかったのです。
3. 神はひとりも滅びることを望まず、すべての人が救われることを望んでおられる。
リバイバルは信仰の原点に返る運動です。信仰は、最初は燃えていても、油断しているといつの間にかこの世のことに心が奪われて、冷えてきます。私たちには、繰り返し、リバイバルが必要です。神は私たち神の子供たちが、キリストの救いのゆえに喜びにあふれているように願っておられます。そして、神はすべての人々が救われることを望んでおられるのです。
エペソ2:1には、私たちは「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」といわれています。このような私たちにキリストは命を与えてくださいました。永遠のいのちです。喜びです。光です。暗闇の中にいたのに、光の御国に招き入れられました。それはただ神が愛の方だからです。
5節「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──」
この恵みをすべての人々に伝えることが、神のみこころです。暗闇の中にある日本に、リバイバルがやってくるように祈りましょう。私たちの心にもリバイバルが来るように祈りましょう。