バッハの「フーガの技法」は謎が多い。
各曲の作曲年代はいつか、バッハの意図した曲の配列はどうだったか、未完フーガは本当に終曲なのか、使用楽器は何か、などなど。
このたび角倉一郎「フーガの技法をめぐる諸問題」(小学館 バッハ全集第14巻)を読んだり、いくつかCDを聴いて多少理解が深まったので、曲の配列を中心に整理してみる。
初版譜(1751年)
カノン群を赤字にしたのは他の配列と比較しやすくするためである。
この初版がイマイチであることが混乱の元となっている。
まず10aのような草稿が紛れ込んでいる。さらに鏡像フーガの一曲のみ2台のクラヴィーアのための編曲が含まれている。
C.P.E.バッハのようなデキのいい息子が関与していながら、どうしてこのような杜撰な編集となったのか。
そして何より問題なのが、出版されたのがバッハの死後で、未完であることである。
ベルリン自筆譜
自筆譜は大きく2つの部分に分かれる。下の青字の部分は一曲ごと(4,18(1,2),19)に綴られていない紙で表紙がついている。それ以外はまとまった一冊となっている。
この自筆譜の配列が出版譜と食い違っているため、ますます混乱してくる。
基礎資料がこのように不統一な状態にあるので、演奏家は自らの判断で曲の配列や演奏楽器を選択しなくてはいけない。
次に、たまたま聴き比べることができた録音年代と使用楽器が異なる3種の演奏を比較してみる。
ヴァルヒャの演奏 (1956年 オルガン)
11曲までは初版にしたがっているが、次にカノンを順序を変えて演奏している。
その後の鏡像フーガは曲順を入れ替えるとともに、rectus→invertusの順にしている。
カノンの次に未完フーガがくると唐突な感じがするので、堂々たる鏡像フーガを締めくくりにして未完フーガに続ける形にしたかったようだ。
この配列だと、厳かに未完フーガが始まった時の終わり感が強い。なお、今回聴いたCD(POCA-2073/4)には未完フーガのヴァルヒャによる補完版も収められている。(1970年録音)
レオンハルトの演奏 (1969年 チェンバロ)
レオンハルト自身の解説がCDに添付されているので、彼の考えがよくわかる。初版譜にはかなりバッハの意図が反映されているとし、ほぼその通り演奏している。鏡像フーガもinversus→rectusと初版通り。未完フーガについては”先行する3つの提示部、そして3つの主題のストレットに後続するような4重フーガは、形式上どう考えても不可能である”と述べ、「フーガの技法」とは関係ない曲とみなし演奏していない。(上記の角倉氏の文章では”現在では未完フーガが≪フーガの技法≫の一部であることを否定する者はいない”と書かれているので、レオンハルトはこのCD録音後に考えを変えたか、角倉氏からはバッハ研究者とみなされていないかのいずれかであろう。)
またバッハの頭にあった使用楽器はチェンバロと推定している。ところが鏡像フーガは1人では弾けない。4声のNo.12は2声ずつ2人で分担すればよいが、3声のNo.13では”第2奏者が片手をポケットに入れながら演奏する”という事態になるので、No.18を採用した。
第4曲を2番目に持ってきたのは曲想の並びとしてしっくりくるし、”「数の象徴」の観点からも、この配列は支持されてよい”と述べているが、”私の勇み足かもしれない”とも述べているので確信はなさそうだ。
未完フーガが「フーガの技法」の一部かどうかについてはとてもどうこう言えないが、この大曲が2声のカノンで終わってしまうのはやはりさみしい。
ムジカ・アンティカ・ケルンの演奏(1984年 チェンバロ独奏と弦楽器合奏混在)
彼らの配列は独特で、各フーガ群の間にカノンを挟み込んでいる。ちょっとゴルトベルク変奏曲に似ている。
使用楽器も曲ごとにまちまちで第1曲は弦楽四重奏、第2曲はチェンバロ独奏という具合。カノンはすべてチェンバロ独奏である。またNo.13とその編曲のNo.18をともに演奏している。(もちろんNo.13は合奏、No.18は2台のチェンバロで)
この演奏を最初に聴いた時は違和感を感じたが、慣れると変化があって面白い。フーガが続いた後にカノンが来ると、気持ちがリセットする。
似たようなフーガが延々と続くのはどうも・・・(実際は変化に富んでいるのであるが)、という向きにはオススメ。
以上のように曲の配列も使用楽器も奏者によって実に様々であるのが「フーガの技法」である。
つまり「フーガの技法」は奏者にこれらの問題について自らの解決を迫っているわけで、奏者にとっては自らの音楽的センスを露呈せざるをえない誠に恐ろしい曲である。
ここで曲の配列について私の暴論を書かさせていただくと、他のグループが4曲ずつセットなのに反行フーガ群が3曲しかないのが気になる。実はもう一曲反行フーガが存在したか、作曲予定だったのではないか?
さらに未完フーガともう一曲、すなわち2曲の鏡像、反行・拡大、他主題などありとあらゆる技法を盛り込んだ恐るべきフーガが完成されるべきであった。これらは基本と転回で計4曲になる。
「故人略伝」の”作曲者の最後の病気は、当初の構想どおり最後から2番目のフーガ(未完フーガを指していると推定)を完成することも、また4つの主題を含み、のちにはその全声部が残らず転回されるはずだった最終フーガ(影も形もないもう一曲)を仕上げることも、作曲者に許さなかった”という言葉はそういうことを意味している。
そうすると「フーガの技法」は平均律と同様全24曲のとてつもない曲集となったであろう。なお未完フーガは鏡像にならないということなので、それが中断の理由かもしれない。(バッハならば途中まで作曲する前に全体プランを立てるであろうからこれを理由とするのはかなり苦しいが・・・)
また楽器についても一言。
レオンハルトは各声部の音域などあれこれ根拠を挙げてチェンバロを使用すべき楽器としているが、楽器についてはバッハは全くオープン、つまりどんな楽器でも良し、と考えていたと思う。
手元にチェンバロがあればそれで弾けば良いし、オルガンが使える環境ならばオルガンで良い。何人かで集まって合奏するのも良し。その時楽器に合わせて移調したり、オクターブ上げ下げしたり、声部を足したり引いたりするのも一向に構わない。
むしろそのようにいろいろとアレンジしてフーガの魂を学ぶことこそバッハが望んだことだった。バッハ自身そのようなアレンジを自分の曲や他人の曲で数知れず行っていたし、No.18はその一例なのである。
そのようなことはバッハの時代にはおそらく当然だったのであろうが、いつしか作曲家の楽譜至上主義みたいのがまかり通るようになったのはなぜだろうか?
各曲の作曲年代はいつか、バッハの意図した曲の配列はどうだったか、未完フーガは本当に終曲なのか、使用楽器は何か、などなど。
このたび角倉一郎「フーガの技法をめぐる諸問題」(小学館 バッハ全集第14巻)を読んだり、いくつかCDを聴いて多少理解が深まったので、曲の配列を中心に整理してみる。
初版譜(1751年)
カノン群を赤字にしたのは他の配列と比較しやすくするためである。
この初版がイマイチであることが混乱の元となっている。
まず10aのような草稿が紛れ込んでいる。さらに鏡像フーガの一曲のみ2台のクラヴィーアのための編曲が含まれている。
C.P.E.バッハのようなデキのいい息子が関与していながら、どうしてこのような杜撰な編集となったのか。
そして何より問題なのが、出版されたのがバッハの死後で、未完であることである。
ベルリン自筆譜
自筆譜は大きく2つの部分に分かれる。下の青字の部分は一曲ごと(4,18(1,2),19)に綴られていない紙で表紙がついている。それ以外はまとまった一冊となっている。
この自筆譜の配列が出版譜と食い違っているため、ますます混乱してくる。
基礎資料がこのように不統一な状態にあるので、演奏家は自らの判断で曲の配列や演奏楽器を選択しなくてはいけない。
次に、たまたま聴き比べることができた録音年代と使用楽器が異なる3種の演奏を比較してみる。
ヴァルヒャの演奏 (1956年 オルガン)
11曲までは初版にしたがっているが、次にカノンを順序を変えて演奏している。
その後の鏡像フーガは曲順を入れ替えるとともに、rectus→invertusの順にしている。
カノンの次に未完フーガがくると唐突な感じがするので、堂々たる鏡像フーガを締めくくりにして未完フーガに続ける形にしたかったようだ。
この配列だと、厳かに未完フーガが始まった時の終わり感が強い。なお、今回聴いたCD(POCA-2073/4)には未完フーガのヴァルヒャによる補完版も収められている。(1970年録音)
レオンハルトの演奏 (1969年 チェンバロ)
レオンハルト自身の解説がCDに添付されているので、彼の考えがよくわかる。初版譜にはかなりバッハの意図が反映されているとし、ほぼその通り演奏している。鏡像フーガもinversus→rectusと初版通り。未完フーガについては”先行する3つの提示部、そして3つの主題のストレットに後続するような4重フーガは、形式上どう考えても不可能である”と述べ、「フーガの技法」とは関係ない曲とみなし演奏していない。(上記の角倉氏の文章では”現在では未完フーガが≪フーガの技法≫の一部であることを否定する者はいない”と書かれているので、レオンハルトはこのCD録音後に考えを変えたか、角倉氏からはバッハ研究者とみなされていないかのいずれかであろう。)
またバッハの頭にあった使用楽器はチェンバロと推定している。ところが鏡像フーガは1人では弾けない。4声のNo.12は2声ずつ2人で分担すればよいが、3声のNo.13では”第2奏者が片手をポケットに入れながら演奏する”という事態になるので、No.18を採用した。
第4曲を2番目に持ってきたのは曲想の並びとしてしっくりくるし、”「数の象徴」の観点からも、この配列は支持されてよい”と述べているが、”私の勇み足かもしれない”とも述べているので確信はなさそうだ。
未完フーガが「フーガの技法」の一部かどうかについてはとてもどうこう言えないが、この大曲が2声のカノンで終わってしまうのはやはりさみしい。
ムジカ・アンティカ・ケルンの演奏(1984年 チェンバロ独奏と弦楽器合奏混在)
彼らの配列は独特で、各フーガ群の間にカノンを挟み込んでいる。ちょっとゴルトベルク変奏曲に似ている。
使用楽器も曲ごとにまちまちで第1曲は弦楽四重奏、第2曲はチェンバロ独奏という具合。カノンはすべてチェンバロ独奏である。またNo.13とその編曲のNo.18をともに演奏している。(もちろんNo.13は合奏、No.18は2台のチェンバロで)
この演奏を最初に聴いた時は違和感を感じたが、慣れると変化があって面白い。フーガが続いた後にカノンが来ると、気持ちがリセットする。
似たようなフーガが延々と続くのはどうも・・・(実際は変化に富んでいるのであるが)、という向きにはオススメ。
以上のように曲の配列も使用楽器も奏者によって実に様々であるのが「フーガの技法」である。
つまり「フーガの技法」は奏者にこれらの問題について自らの解決を迫っているわけで、奏者にとっては自らの音楽的センスを露呈せざるをえない誠に恐ろしい曲である。
ここで曲の配列について私の暴論を書かさせていただくと、他のグループが4曲ずつセットなのに反行フーガ群が3曲しかないのが気になる。実はもう一曲反行フーガが存在したか、作曲予定だったのではないか?
さらに未完フーガともう一曲、すなわち2曲の鏡像、反行・拡大、他主題などありとあらゆる技法を盛り込んだ恐るべきフーガが完成されるべきであった。これらは基本と転回で計4曲になる。
「故人略伝」の”作曲者の最後の病気は、当初の構想どおり最後から2番目のフーガ(未完フーガを指していると推定)を完成することも、また4つの主題を含み、のちにはその全声部が残らず転回されるはずだった最終フーガ(影も形もないもう一曲)を仕上げることも、作曲者に許さなかった”という言葉はそういうことを意味している。
そうすると「フーガの技法」は平均律と同様全24曲のとてつもない曲集となったであろう。なお未完フーガは鏡像にならないということなので、それが中断の理由かもしれない。(バッハならば途中まで作曲する前に全体プランを立てるであろうからこれを理由とするのはかなり苦しいが・・・)
また楽器についても一言。
レオンハルトは各声部の音域などあれこれ根拠を挙げてチェンバロを使用すべき楽器としているが、楽器についてはバッハは全くオープン、つまりどんな楽器でも良し、と考えていたと思う。
手元にチェンバロがあればそれで弾けば良いし、オルガンが使える環境ならばオルガンで良い。何人かで集まって合奏するのも良し。その時楽器に合わせて移調したり、オクターブ上げ下げしたり、声部を足したり引いたりするのも一向に構わない。
むしろそのようにいろいろとアレンジしてフーガの魂を学ぶことこそバッハが望んだことだった。バッハ自身そのようなアレンジを自分の曲や他人の曲で数知れず行っていたし、No.18はその一例なのである。
そのようなことはバッハの時代にはおそらく当然だったのであろうが、いつしか作曲家の楽譜至上主義みたいのがまかり通るようになったのはなぜだろうか?
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