心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

北アルプスの活火山・焼岳(2)

2020年08月25日 | 北アルプス


焼岳(2,455m) ((1)のつづき)


 「~ 6月6日、日曜日の朝7時頃、地震で目が覚めた。地震は激しさを増しながら断続的に続き、7時25分、最後に激震が走る。宿泊施設が大きくうなり、倒れるのではないかと思うほど激しく揺れた。その直後、地響きと烈震を伴い、大噴火が起きた。 ~」
 「~ 噴煙は一部が朝霧でかき消されたものの、その大半は空高く立ち上り、巨大な傘のように広がると、南西の風に乗り、すばやく谷を上っていった。その結果、朝の日差しは夜の帳に変わり、淡いスレート色の灰がこれでもかと降り注いだ。 ~」
 (1915年6月15日 J・メルル・デイヴィス氏の日記『焼岳の噴火』の訳文 『ウェストンが残したクライマーズ・ブック 外国人たちの日本アルプス登山手記』(クライマーズ・ブック刊行会・信濃毎日新聞社)より)


 「クライマーズ・ブック」で一番凄いと思ったのが、大爆発その日の記録でした。想像もつかない出来事を目の当たりにした人がいたのです。
 デイヴィス氏は同じ年の5月31日に、『雪の穂高、登攀』と題した日記も残しています。
 上高地から登り始めます。お盆休みの最中でしたが、雑踏のバスターミナルから登山口に入ると、すぐ静かになりました。火山であることを忘れる道が続きますが、高い木と木の間から目指す猛々しい頂上が顔をのぞかせています。
 背後には穂高の山々も見えますが、気温が高いせいか少し霞んでいます。
 遠かった頂上が眼前に迫り、次いで大きな梯子が現れます。梯子がなければ絶対に登れない大岩壁です。
 「小屋マデ121歩」という細かい掲示が出ていました。今日のルート中唯一の山小屋、焼岳小屋を出るといよいよ最後の登りです。火山ガスの噴気孔がいくつもあります。
 振り返ると、梓川が左に右に蛇行しているのが分かります。穂高連峰は雲に覆われて、形が分からなくなりました。立ち寄ったばかりの焼岳小屋の、森に囲まれた三角屋根が、もう小さくなっています。
 
 焼岳には北峰・南峰2つのピークがあります。南峰は北峰より高く、三角点もありますが、今は北峰にしか登れません。焼岳に二等三角点が置かれたのは、大爆発より13年も前のことでした。今、その三角点はちゃんと残っているのだろうか?と思います。点の記には、
 「~ 小松数十本ヲ伐採ス其他障碍樹木ナシ  ~」(基準点成果等閲覧サービス(国土地理院))
 と書かれていましたが、頂上一帯には「伐採」できるような樹木は1本も見当たりませんでした。
 北峰と南峰の間にある不思議な火口湖を過ぎ、南峰を見上げながら、中の湯温泉へ下り始めました。下れば下るほど、噴気が空の雲と一体になる気がしました。
 南峰は自然に出来上がった城壁のようで、折重なる巨岩はピークに近づくほど大きなものになっていました。
 火山活動は、立入禁止の南峰より北峰付近の方が活発に見えました。火山らしい山にはいくつも登りましたが、焼岳は本当に生きている火山そのものでした。


 中の湯温泉ではかけ流しの硫黄泉を心から楽しめました。
 松本からの帰路では激しい雨に見舞われました。ものすごい天気の変わり方でした。甲府で撮った写真を見ると、駅の時計が1時20分を指していました。
 深夜に新宿駅へ到着し、御茶ノ水へ向かう始発電車が来るまでの間、あずさ号の車内で待った記憶があります。








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【上高地から焼岳へ&焼岳から中の湯温泉へ】
 上高地バスターミナル8:10→新中尾峠・焼岳小屋11:09→北峰頂上12:44→中の湯温泉15:31
※北アルプスでは少ない、日帰り登山が可能な山です。そして、火山の迫力を間近で感じられる貴重なコースです。コース中、鎖をよじ登るところはありません。高く長い梯子は、見た目は圧倒されますが、難なく通過することができました。
 (体力●●●○○ 技術●●●○○) (登頂:2013年8月中旬) 



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