心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

北アルプスの活火山・焼岳(1) 「クライマーズ・ブック」に残された、噴火直後の記録

2020年08月23日 | 北アルプス


焼岳(2,455m)


 「~ ただ、この7月の噴火でできた谷を横切ってからは、険しい場所や岩がごろごろしている場所が数多くあった。最後の岩場は非常に切り立っていたが、何よりも危険なのは、登攀中に上から転がり落ちてくる石だった。男性陣と人夫が助けてくれたおかげで、12時半頃には古い噴火口のてっぺんまでたどり着いた。西方向に登ると硫黄臭が強くなった。そこでまた別の噴火口に向かって下り、大量の蒸気が噴き出ている穴を通り過ぎた。男性陣の1人が女性の明るい緑色をしたシルクのスカーフをそのガスにかざしたところ、色が深いワインレッドに変わった。別の男性が自分の深緑色のウールの靴下で同じことをやってみたが、何の変化も見られなかった。 ~」
 (『ウェストンが残したクライマーズ・ブック 外国人たちの日本アルプス登山手記』クライマーズ・ブック刊行会・信濃毎日新聞社)


 日本アルプスを世界に紹介した宣教師ウォルター・ウェストンは1914年、
 『 KAMIKOCHI ONSENBA CLIMBERS' BOOK 』
 と題された日記帳を、上高地の温泉宿に残しました。この本では、その日本語訳を読むことができます。古くは1914年から、一番新しいもので1972年です。原文は英語が多いですが、フランス語やドイツ語、さらには漢文もあります。
 1940年8月の次は、戦争を挟んで1946年9月まで空いています。それはフランス語の文章で、自分には訳文しか読めませんが、

 「~ ここで、あらためて強調したいのは、経験豊な登山者でさえ、日本アルプスはすばらしいということです。 ~」 (『ウェストンが残したクライマーズ・ブック 外国人たちの日本アルプス登山手記』クライマーズ・ブック刊行会・信濃毎日新聞社)

 と書かれているのにはとても感動しました。どの山に登ったかには触れられていませんが、戦後間もない時期でも、上高地や北アルプスの魅力が全く変わっていないことが、伝わってくるようでした。
 冒頭は1915年9月、F・A・スペンサー氏ほか計6人による焼岳登山の記録です。活火山の焼岳は、1915年6月6日に大噴火を起こしました。クライマーズ・ブックには、焼岳の描写もいくつか出てきます。わすか3か月後に登り、「シルクのスカーフ」や「ウールの靴下」をかざした時の様子は、100年以上経った今でもまったく新鮮さを失わない記録だと思います。


 三千メートル峰の槍ヶ岳から、さらに高い穂高岳を越えて続く稜線は次第に標高を下げ、(南に乗鞍岳がそびえているとはいえ、)2,455mの焼岳で終わりを告げます。猛々しい姿の山は、しかし上高地の風景に溶け込んでいます。焼岳からは、血湧き肉躍る情熱が、最高の気品を伴って表出されているのです。
 双六岳から新穂高温泉へ小池新道を下る途中、焼岳と乗鞍岳が並んで見える場所があります。両方とも活火山ですが、見た目は全然違います。乗鞍岳は焼岳より500m以上高く、横の方向にも大きいのに、焼岳の方がずっと力強く感じられます。
 
 (登頂:2013年8月中旬(写真は2012年8月・2017年11月)) (つづく) 



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