秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
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日本伝承大鑑25 寒戸の婆【さむとのばば】

2024年05月03日 | 伝承大鑑
『遠野物語』8話にある、「神隠し」と題される話に登場するあやかしが寒戸の婆である。

……寒戸のある家の娘が、梨の木の下に草鞋を残したまま行方知れずとなった。三十数年後、親類などが家に集まっていると、老いさらばえた姿でその女が戻ってきた。どうして戻ってきたのかと尋ねると、女は人々に会いたかったからだと答え、また去って行った。その日は風が激しかったため、遠野の人は、風の強い日は「寒戸の婆が帰ってきそうな日」と呼ぶそうである。……

上の話を柳田國男に語ったとされる佐々木喜善が、昭和5年(1930年)刊の『民俗文芸特輯』第2号に、ディテールの異なる同じ筋の話を発表している。

……松崎村の登戸(のぼと)というところに茂助の家があった。その家の娘が、梨の木の下に草鞋を残したまま行方不明となった。幾十年経ったある風の強い日、家の人に会いたくなって、山姥のような姿になった娘が帰ってきた。肌に苔が生え、爪は二三寸に伸びたような姿であった。娘は一晩泊まると帰って行ったが、それから毎年その時期になると山の土産を持って訪れた。家の者も餅を持たせてやったりしていたが、来る時の数日が大風になるために村方より掛け合いがあって、山姥が来ないようにまじないをおこなった。その後、その山姥が来ることはなかったという。

大風のある時は「今日は、登戸の茂助婆様が来る日だ」と老人が言っていたのを覚えている。山の物に攫われた娘が老齢になって、里に帰っても安心だとなった時初めて里帰りを許されて、人々に会いに行けるのであろう。……
実は、遠野には“寒戸”という地名はない。しかし、柳田國男の著作があまりにも有名になりすぎたために、いつしか“寒戸の婆”の名が正式なものになったようである。寒戸の婆にまつわる伝承は口碑だけだったが(佐々木喜善の作品によると「婆が来ないように封じた石塔が六七年前まであったが洪水で流された」とある)、現在は『遠野物語』の観光名所として石碑が、登戸橋のたもとに置かれている。


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