秋 田 奇 々 怪 会

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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第二十八話

2017年12月02日 | 本・雑誌から
「東北見聞録」粘り強く!

ネバネバする食べ物には、糖たんぱく質の一種で粘液素とも言われる「ムチン」が含まれていて体に良い!と言われる。トロロにオクラ、モロヘイヤ等々で、中でも代表格は何と言っても「納豆」では無いだろうか。サラリーマン時代によく通っていた秋田市の蕎麦店の日替わり定食金曜日版に、「ネバネバ丼」が或る日登場し、粘り物大好き人間としては「待ってました!」の心境で、以後毎週金曜日になるとネバネバ定食にのめり込む始末。トロロに納豆、更には生卵にマグロ・イカ等をよ~く混ぜ合わせてご飯にかけると、食の進むこと進むこと。そして何故かこの定食を食べた日は仕事も順調だった…様な気がする。さてこのムチンを含んだ粘り物の代表格「納豆」、実は意外な発祥ルーツが存在する。

①納豆はいつ生まれた?
納豆の食べ方は家庭によって様々だと思うが、朝食でポピュラーなのは醤油にカラシで、多くのパック詰めにはタレとカラシが内封されている。我が家の食卓では刻んだネギと味噌を混ぜるのが定番で、他に辛い大根おろしを入れる場合等もある。納豆の産地と言えば、全国的に有名なのは茨城県の水戸だ。東北では民謡の「秋田音頭」に♪秋田名物、八森ハタハタ男鹿で男鹿ブリコ、能代春慶・檜山納豆・大館曲げわっぱ…と歌われている様に、秋田県では能代市檜山地区に伝わる納豆が良く知られている。いずれも歴史ある納豆の産地だが、時代的には中世から近世に区分される。その納豆の発祥が古代「平安時代」にまで遡り、しかも秋田県横手市の古戦場で生まれたとなると…どうだろう。「えっ?何故古戦場が納豆の発祥地?」との驚きが湧いて来るのではないだろうか。実は古戦場跡を見下ろす城跡に「納豆発祥」の碑が存在するのだ。


②歴史の背景
紙面の関係で極く簡潔に紹介するが「前九年の役」「後三年の役」と言えば、平安時代後期に東北の陸奥・出羽を舞台とした大きな戦役だ。11世紀、出羽国の清原氏と陸奥国の安倍氏が大きな勢力を誇っていたが、安倍氏が国司(中央から派遣された国の行政官)と対立して滅びる。最終局面で国司側に参戦したのが清原氏で、1062年までの12年間の戦いが「前九年の役」だ。その後1083年に始まったとされる「後三年の役」については諸説あるが、横手市教育委員会の資料によると、「清原一族の内部分裂に端を発し、相互に戦いを交えている時に陸奥守として赴任してきた源義家が清原氏の一方に加担、他方を滅亡させた事件」と解説している。蝦夷も絡む清原・藤原・源氏のドロドロとした戦いは高橋克彦氏原作のTV大河ドラマ「炎立つ」でも描かれていた。その「後三年の役」の古戦場跡に納豆の記念碑はある。

③発祥の碑を訪ねたものの…
記念碑を訪ねたのは冷たい木枯らしが吹き始めた晩秋の頃。秋田市から国道13号を南下して大仙市~美郷町を経由すると目指す横手市金沢に到着。金沢公園(金沢城跡)の看板からカーブを数か所登って行くと、やがて八幡宮下の駐車場に辿り着く。納豆発祥の碑は、この一角にある…筈だったが、何と!冬囲いされていてブルーシートにすっぽり包まれていた。「ありゃ!困った」と言う訳で階段を上って八幡宮に行くと、たまたま祭典の日だった事から多くの地元の人たちが集まっていた。代表の方に「実は…」と話すと「それじゃ囲いを外してあげましょう」と即決の運びに。これまで何度か訪れていたので当然見られると思っていたが、この時期に訪れたのは初めてだったので少々申し訳ない思いでいっぱいだった。地元の方々の協力を得て、枯葉が積もったブルーシートが外され記念碑が姿を現した。
約1・5メートル程の高さでどっしりとした重厚な記念碑だ。


④記念碑に刻まれた由来
そこには次の様に記されている。「金沢の柵を含む横手盆地一帯を戦場とした後三年の役(1083~1087)は、八幡太郎義家と清原家衡(いえひら)・武衡(たけひら)との戦いで歴史に残る壮絶なものであった。この戦いの折り、農民に煮豆を俵に詰めて供出させた所、数日を経て香を放ち糸を引くようになった。これに驚き食べてみたところ、意外にもおいしかったので食用とした。農民もこれを知り、自らも後世に伝えたという。」碑の裏側には「後三年の役900年まつり記念 昭和62年9月建立 おはよう納豆創業者 (株)ヤマダフーズ」と記されていた。昭和29年の創業から60年にわたって地元に根差して全国展開している納豆大手会社の建立した碑だった。碑文に記された言い伝えは八幡太郎義家の遠征に大きく関係しており、納豆の伝播ルートを辿ると秋田~水戸~関東~中部へと続いていて、東北発祥説が各地に有る中で秋田発祥説が有力視されている。また容器の歴史もワラツト中心から三角や四角の竹皮、そして経木(きょうぎ)へ、現在の容器の原型で上蓋が紙の物が1962年に登場、1975年には現在のPSP容器となった。血液サラサラ効果や血栓溶解作用がある「ナットウキナーゼ」は、医学的な裏付けも立証されている。毎日の食卓に上る納豆だが、長い歴史や効用を考えながら一粒一粒じっくり味わってみては如何がだろうか。
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2 コメント

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照会(みと・あかつかカンファレンス) (池田剛士)
2017-12-02 07:13:37
照会(みと・あかつかカンファレンス)



学術秘書
池田です。

「ムチン」と記述する根拠についてご教示くださいますようお願いいたします。

※参考
[1]デジタル大辞泉:
ムチン(mucin)
動物の上皮細胞・粘膜・唾液腺などが産生する粘性物質の総称。糖たんぱく質の一種で、アミノ酸がつながったポリペプチド鎖に糖鎖が枝状に結合した構造をもつ。
[補説]オクラや山芋などに含まれるぬめり成分もムチンと呼ばれることがある。これは高分子の多糖類とたんぱく質が結合したもので、動物の粘液に含まれるムチンとは異なる。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%B3-140618
[2] 丑田公規「クラゲの有効活用の限界とムチンの化学」『化学と教育』Vol. 65 (2017) No. 5 p. 228-231:
ムチンという化学物質については,一般人のみならず専門家の間にも誤った情報や呼称が広がっている。そこで,一般の化学教育に携わっている方に正確な情報をていねいにお伝えするため本稿を執筆することにした。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/65/5/65_228/_pdf#page=3

では。


この件に関するお問い合わせ先:
みと・あかつかカンファレンス事務局長
ラクトース研究班「いもいち2025」班長代理
有限会社学術秘書
本店営業部
池田剛士
〒311-4141
茨城県水戸市赤塚1-386-1-107
電話:029-254-7189
携帯:090-4134-7927
返信する
ムチンのお問い合わせありがとうございます (小笠原)
2017-12-03 09:26:23
池田様、この度はムチンの記述について、お問い合わせをいただきました。
言うまでもなく、当方はその面の専門家ではありませんし、知識も薄弱です。

ただ、今回の記述については秋田県の納豆メーカーの資料を参考にしています。
参考に挙げていただいた丑田公規氏の考え方は初めて目にする物で、そうした問題提起が起こっている事自体、驚きを持って知りました。

回答になっていないかもしれませんが、素人ゆえお許し下さい。
今後もよろしくお願いいたします。
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