葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

千代田区長宛「甲武鉄道飯田町駅の鉄道遺構等に関する陳情」

2021年07月08日 | 鉄道遺構再発見

千代田区長宛に「甲武鉄道飯田町駅の鉄道遺構等に関する陳情」を提出しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

千代田区長 樋口高顕殿
                                                                    2021年7月8日
                                                                     新宿区議会議員待遇者会 長谷川順一
                                                               

近代文化財である鉄道遺構等に関する陳情
【陳情の要旨】
甲武鉄道飯田町駅「歴史コーナー」並びに牛込駅「説明板」を設置してください。
旧跡「牛込見附」の下にある石碑「阿波の國」をJR飯田橋駅「史跡眺望テラス」に移設してください。
【陳情の理由】
来年は、新橋⇔横浜間の鉄道開設150年記念となります。

八王子駅から新宿駅まで開通した私鉄の甲武鉄道は、1895年(明治28年)飯田町駅まで市街線として開通しました。更に御茶ノ水駅まで開通したのが1904年(明治37)年。その後に昌平橋駅まで延伸し、1912年(明治45)年万世橋駅まで延伸しました。このときに昌平橋駅は廃止となります。甲武鉄道は1906年(明治39)年に国有化となります。
飯田橋駅から旧万世橋駅までの高架道床や日本橋川に架かるトラスト橋は、貴重な近代鉄道遺構に位置づけられると考えられます。
JR貨物飯田橋駅跡の開発地区にある「飯田橋アイガーデンテラス」3階に甲武鉄道の「ゼロキロポスト」モニュメントと説明板がありますが、鉄道マニアしか知らない施設です。
現在、千代田区は「甲武鉄道飯田町駅の碑」を飯田橋二丁目交差点に建立していますが、当時の「転車台」に位置する都立「ハローワーク飯田橋」付近に甲武鉄道飯田町駅「歴史コーナー」(仮称)を設置してください。

1895年(明治28年)には牛込駅もできました。その駅舎跡にはイタリア料理店と薬局が成業していますが、その両脇には?に工の刻印がある境界石があります。
その場所に「甲武鉄道牛込駅」の説明板を設置してください。

JR東日本は、飯田橋駅の西口駅舎2階から江戸城外堀史跡を望む「史跡眺望テラス」を7月21日から供用開始をします。
 旧跡「牛込見附」の下にある石碑「阿波の國」は、何故か横向きになっていますので、顔を横にしないと刻字が読めません。よってJR飯田橋駅「史跡眺望テラス」に移設してください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

飯田橋アイガーデンテラス」3階テラスの甲武鉄道「ゼロキロポスト」モニュメント

説明プレート

明治30年刊「東京一目新圖」より作図

平凡社刊「江戸 東京 大地図」後楽園より 

総武線日本橋川トラスト橋

小石川橋から旧JR貨物飯田橋駅方面を見る

ドイツハーコート社

牛込停車場

JR飯田橋駅西口の交番の脇に千代田教育委員会の説明板があり、隣に大きな石が転がっています。その石には「阿波守内」と刻まれているのが読むことが出来ます。牛込御門は阿波徳島藩主蜂須賀忠英が築造しました。神楽坂通り商店会が阿波踊りを始めたことと徳島藩が築造したことには何かの縁を感じます。(現在は西口駅舎の改修によって、説明板が新しくなりました。)

(了)

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新たに「東京の戦争遺跡」の... | トップ | 【再掲】日刊ゲンダイ「東京... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

鉄道遺構再発見」カテゴリの最新記事