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今日の『朝日新聞』コラム「天声人語」には、 ほとほと呆れました。

2020年03月18日 | 東京都政・東京五輪・新国立競技場・神宮外苑開発

友人の川口重雄さんからのメールを転載します。

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各位      3月18日〔BCC、本日第5信〕

今日の『朝日新聞』コラム「天声人語」には、ほとほと呆れました。

文頭「1940年に開催を予定しながら、戦火のために幻に終わった東京五輪には、雄大な聖火リレーの構想があった。ギリシャのオリンピアでともされた火は海路でシリアに運ばれ、中東からインド、中国、朝鮮半島を経て日本に届くはずだった」

第12回東京オリンピック大会は1940年9月21日から10月6日の予定。

(ちなみに実際に行われた第18回東京オリンピック大会は1964年10月10日から24日まで)

天声人語子の言う「雄大な聖火リレーの構想」は、国内ではどこを走るか。

紀元2600年(1940年)に向けて宮崎県宮崎市「八紘台」に造営された「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)、いわゆる八紘一宇の塔(戦後は「平和台」公園・「平和の塔」と改称)から日本に到着した聖火は、全国各地へ運ばれる予定でした。

同年11月10日の宮城前広場(戦後の皇居前広場)で開かれる「紀元2600年記念式典」の、いわば前祝いでした。

添付ファイルで靖国神社見学会の折りに配っている「八紘一宇の塔」の資料を添えました。

No.26には、1940年大会のポスターを付けましたが、埴輪像が建国神話とリンクしていることを雄弁に物語っています。

ただし、日向国=宮崎県からはポスターのような人物埴輪は出土していません。

No.26右側の1964年5輪の聖火リレー第2コースも宮崎が起点です。

No.26のポスター、リレーコース、新聞記事は、すべて東京都教育庁指導部指導企画課編集・発行の『オリンピック・パラリンピック学習読本 高等学校篇』(2016年3月発行)に掲載されているものです。

こうした事実をふまえて天声人語子は執筆しているのでしょうか。

ギリシャから日本に来るのが「雄大」なのか。

その後の、国内での建国神話を強調するためのリレーコースが企図された事実に触れないのはどうしてか。

天声人語子の筆力不足を嘆いてみても仕方ありませんが、「雄大な聖火リレーの構想」に納得する人がいたら困りますので、一筆認めました。

それでは。川口重雄拝

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