葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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広島県への「宇品被服支廠群保存」のパブリックコメント

2020年01月19日 | ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ
広島県へ提出したパブリックコメントです。
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東京で「東京の戦争遺跡を歩く会」主宰をしております。
被爆建物としての文化財価値についてのパブコメですが、戦争遺跡としての文化財的価値が大変あると考えています。
県の歴史を拝見しましたが、江田島との関連で宇品港の軍事的重要性が高まりました。開国以後、コレラが日本に潜入し広島県でも患者が増えました。そのことから水道事業が他県や東京市より進んだと思われます。また、似島検疫所も日清戦争で中国大陸や台湾からの軍隊にたいする緊急性がありました。
李鴻章も広島大本営に来ていたのですね。
小生のgooブログ「葵から菊へ」(検索)から、>「《番外編》日清戦争と広島大本営「兵器を運んだ甲武鉄道飯田町駅」レポート>をご参照くだされば、日清戦争へ向けての青森から広島までの鉄道敷設と宇品短絡線の歴史を理解していただけます。
赤帽(ポーター)」も軍の命令で広島駅に出来ました。
亡父は、昭和12年(1937)第二次上海事変で応召し、大阪港から出帆しましたが、二年の兵役から帰還したときは宇品港に上陸しました。
被服支廠は見学していませんが、復元した広島城と広島護国神社は見学いたしました。
是非、耐震工事をして、被服支廠跡を現在のママ保存して国民に公開してください。
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2008年復元された広島城の前で。
 
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