葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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[2023-8-19『1945ヒロシマ連続講座2016』 【 今日の通信=満蒙開拓と不戦兵士を語り継ぐ会のお知らせ 】

2023年08月19日 | ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ

[2023-8-19『1945ヒロシマ連続講座2016』「ヒロシマ通信」を転載します。

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【 今日の通信=満蒙開拓と不戦兵士を語り継ぐ会のお知らせ 】

今日の通信は、満蒙開拓・残留邦人をテーマの26日(土)語り部・巻口清美さんのオンラインの会と、「不戦兵士を語り継ぐ会」発足に向けた28日(月)の集会のお知らせです。どうぞご参加ください。

【 昨日の通信=「2023年夏のヒロシマの旅の記-2・3」を読んで読者から 】

◆「ヒロシマの旅」、ありがたく読ませていただいています。

ちょうど今『爆撃機ロンサムレディー号~被爆死したアメリカ兵』(日本放送出版協会 2004年刊)という本を読んでいるので、本の中で見た「平和の碑」を今日、通信で見るなんて!と驚き、思わずメールしました。伊陸という地名も、中国憲兵隊司令部跡地の銘板も、この本で初めて知りました。今度広島に行ったら、銘板を見に行きます。本はあと少しで読み終わりますが、今日の通信と合わせて、じっくり読みたいと思います。  (・・・・・・都内在住)

◆通信の8月18日号で「平生(ひらお)」という地名を見て驚きました。私はここに住んでいました。中学校3年生になった時、父は山口県平生町の新光学院という少年院に転勤になり、私も平生町の官舎に住むことになりました。そこは小さな半島に囲まれた湾になっていました。官舎は平生湾の岸の前でした。回天はここで訓練をしたのでしょう。新光学院はその半島にありましたから、元はここが訓練基地だったのでしょう。その後、父は定年後、山口県光市に住みました。光市にも回天基地がありました。JR徳山駅からフェリーに乗って大津島に行くと、そこに回天記念館ができています。ここは私はまだでかけたことはありません。  (・・・・・・神奈川在住)

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「不戦兵士の会」の記事に岩井忠正氏のことがありましたが、遊就館内の「伏龍」と「回天」では解説をして頂きました。

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『◆通信の8月18日号で「平生(ひらお)」という地名を見て驚きました。私はここに住んでいました。』との記述がありましたが、田中直俊さんも平生基地にいました。ブログ記事をご参照ください。

故田中直俊さんの自分史『黒い棺桶・人間魚雷「回天」の搭乗員』の全文を掲載します

(了)

 

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