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「1883年(明16)に発行された日本初の人物像の入った紙幣で、かつ唯一の女性の肖像入り」元共産党北区議八百川孝さんFacebookの投稿から

2021年09月05日 | 韓国・北朝鮮問題
元日本共産党北区議会議員の八百川孝さんが、Facebookに投稿した記事と紙幣を転載します。
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 私は、「これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史」(中塚明著 高文研)でこの紙幣のあることを知りました。
 写真は1883年(明16)に発行された日本初の人物像の入った紙幣で、かつ唯一の女性の肖像入りのものでした。新札は、「渋沢翁」ですが、これは男。この女性の名は、神功皇后。日本書紀の中では、初の「天皇」でこれもはじめて「朝鮮征伐」にのりだしたとされていました。女性を大事にしたのかといえば、まったくそうではない。天皇の歴史は、男尊女卑が大原則なのでした。その女性が、侵略の神であったわけです。明治政府以降、天皇家は皇室神道を、旨とし、神仏混淆政策が進められて、仏教もまた神道の下に置かれてしまいました。この神道が、徹底した男尊女卑の思想で塗り固められていました。教育勅語もよく読めば、男に従うことの大事を説いたものになっています。家父長制大事ということでした。
 その皇室から、普通の男と駆け落ちしても結婚すると言い出した女性が登場しました。昔であったならば、暗殺されかねない大事件です。この女性、この先どんな悲劇が待っているか。心配する向きもおありかとおもいますが、それはどうでもいいこと。好きな異性の心をつかんだならば、後は突進あるのみ。苦労み山のホトトギス。それでいいのだ。それが人間というものであって、一庶民となれば、どんな苦労が待っているのかはおのずとわかることなのだとおもいます。選挙権も手に入れるはずです。苦労の末に、彼女は、誰に一票を投ずるのでしょうか。
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管理人は、共著の「学び・調べ・考えようフィールドワーク 靖国神社・遊就館」の中で、  §展示室2【日本の武の歴史】を執筆していますので転載します。
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  §展示室2【日本の武の歴史】
  まず、旧石器時代・新石器時代などの歴史を完全に無視しているところ がほかの歴史博物館の展示と根本的にちがいます。
  はじめに古事記・日本書紀の神武天皇・日本武尊・神功皇后の説明があ り、古墳時代の「衝角付兜」(複製)や短甲(複製、短い鎧)、中世・近世 の甲冑や刀が展示されているので、神話の世界の神武天皇などが、楠木正成や徳川家康などと同じように、あたかも実在したかのように思えてしまいます。入館者を惑わせる展示です。
  神武天皇については、第一代の天皇で、「長途の東征と苦難とを克服さ れた神武天皇は、国のすみずみまで同じ屋根の下で、人々が安らかに暮らせるようにと願い、大和の橿原に統一国家の基礎をすえられた。皇統は連綿と継承され、今上天皇は第百二十五代である(建国記念の日は神武天皇 即位の日にあた名)」と説明しています。
  しかし、神武天皇が活躍したとされるころの日本は縄文時代で、国家も 戦争もなく、みんなが平等に生活していて、天皇のような権力者は存在していませんでした。
 3番目の神功皇后については、「海外交渉史の発端を彩る女性」で、「第十四代仲哀天皇の大后で、古代における女性の神秘性と強さを代表する。神功皇后は神意のまにまに男装して海北の新羅に進撃されたが、出発に際し略奪や降参した者の殺害を禁止する軍令を発せられた。これは、我が国の人道的軍紀の原点である」と説明しています。
  神功皇后も実在しない神話上の人物ですが、このような説明で日本軍が 行った中国やアジアへの侵略、残虐行為を免罪できるものではないでしょう。
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(了)
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