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87年前の1936年12月12日(双十二の日)「第2次国共合作・一致抗日」世界史を変えた西安事件が起きた日です。

2023年12月12日 | 日本と中国

友人の川口重雄さん(防衛省「市ヶ谷記念館」を考える会共同代表)からのメールを転載します。(一部)

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各位          12月12日〔本日第1信〕
お早うございます。
今朝は多摩川河畔にも雨が降っています。
何と11月17日(金)以来25日ぶりの「雨だな」と思う朝です。
▼今日12月12日は「双十二節」 87年前の1936年12月12日(双十二の日)、中華民国西安で張学良軍が蒋介石の身柄を確保し、「第2次国共合作・一致抗日」へ東アジア、世界史を変えた西安事件が起きた日です。
中国共産党軍と戦う戦意のない張学良軍に督戦のために、1936年12月4日に愛人を伴って西安を訪ねた蒋介石(中華民国行政院長・軍事委員会委員長)を、東北軍を率いる張学良、楊虎城が捕らえ、内戦停止・挙国抗日を迫りました。
延安から周恩来が到着し、蒋介石・周恩来・張学良会談が12月24日まで行われました。
1936年4月9日、延安で張学良と周恩来は会談しており、楊虎城は中国共産党軍と戦う意思はありませんでした(事件の前に共産党軍との間で装具不可侵協定を結んでいた)。
翌37年7月7日、盧溝橋事件をきっかけに「北支事変」(7月11日命名)、「支那事変」(9月2日命名)が始まると、8月22日、中国共産党軍は国民革命軍第8路軍に改編され、9月23日第2次国共合作が成立しました。
抗日民族統一戦線の誕生です。
蒋介石が張学良らに捕らえられたという第1報は日本の同盟通信(現・共同通信)の松本重治によって世界に伝えられました。
しかし、日本の世論は西安事件を、蒋介石が日本によって東北(満州)を追われた張学良によって拉致・監禁された内紛ととらえました。
8月13日、上海で第2次上海事変勃発、11月5日、日本陸軍第10軍(司令官柳川平助中将)が杭州湾に上陸し、日中戦争は全面化し、第10軍は首都南京を目指します。
すでに蒋介石は11月20日、首都を南京から重慶への遷都を宣言していました。
そして1937年12月13日、南京が日本軍によって占領され、翌38年1月まで続く南京大虐殺が始まりました。

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蒋介石

周恩来

(了)

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