葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「大逆事件処刑109回追悼集会」に参加しました

2019年01月27日 | 幸徳秋水・鶴彬
防衛省市ヶ谷記念館を考える会」共同代表の川口重雄さんから、下記にのメールがありましたので参加しました。
・・・・・・・・・・・・・・
各位    1月26日〔BCC、本日第1信〕
お早うございます。
1910年に捕らえられ、翌11年1月18日に大逆罪で有罪判決を受けた死刑囚。
1911年1月24日に幸徳秋水ら11名が絞首刑に。
翌1月25日に管野スガが絞首刑になりました。
今日午後、大逆事件処刑109回追悼集会が開かれます。
日時:2019年1月26日(土)13:00~16:00
場所:正春寺(渋谷区代々木3-27-5)
参加費:500円
交通:JR新宿駅南口から甲州街道・徒歩15分
主催:大逆事件の真実をあきらかにする会

・・・・・・・・・・・・・・
管理人は、大逆事件の11名が刑死された市谷刑務所があった新宿区市谷富久町と、同事件を題材にした小説「花火」を上梓した永井荷風の自宅(断腸亭)があった余丁町が、区議時代の活動地域でした。
市谷刑務所刑死場跡の富久児童遊園には日本弁護士連合会が建立した「刑死者慰霊碑」があります。
現在住んでいる自宅近くに、都立蘆花恒春園があります。
徳冨蘆花は、大逆事件で明治天皇に嘆願書を提出し、一高の弁論部大会での講演で「謀反論」を演じました。蘆花の自宅離れは「秋水亭」と名付けました。

そんな縁もあって「幸徳秋水を顕彰する会」の会員となっていましたので、同会事務局長田中全さんに初めてお目にかかれて喜んでおります。

菅野須賀子の碑墓前で正春寺ご住職の読経と参加者の参拝後、正春寺の会場で追悼集会が始まりました。

「大逆事件の真実をあきらかにする会ニュース第58号」の内容に沿っての報告がありました。三鷹事件横浜事件の関係者からの発言と福島みずほ参議院議員からのメッセージもあり、「日本の良心」が凝縮した感がありました。














会場風景(司会は山泉進さん)


会場にかけられた「掛け軸」
菅野須賀子が獄中で詠んだ和歌

 くろがねの窓にさしいる日の影の
        移るを守り けふも暮しぬ
書は、堺利彦
へちまの絵は、望月桂




(続く)












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3 コメント

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一粒の麦死して 弁護士森長英三郎の大逆事件の書評 (亀田 博)
2020-04-12 17:03:07
「葵から菊」にコメント出来ないのでこちらに。今日の『東京新聞』お読みかもしれませんが田中伸尚さんの著作書評掲載。ついでに、慰霊碑の建立に尽力した森長英三郎弁護士は私家版で経緯を記録した冊子を発行しています。新宿区の記録も参考にしているようです。ご遺族にコピー版作成かインターネット上でデータアップの許可をお願いしましたが、現時点では不可ということでした。https://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2020041202000173.html?fbclid=IwAR3wfPrxE6cof55YDQHU4vyp1hrXqikDomOsS0Qst6cjmQ65jLz_oVKo5vg
一粒の麦死して 弁護士森長英三郎の大逆事件の書評 (亀田 博)
2020-04-12 17:08:32
リンク書き忘れたかもしれません。改めて
https://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2020041202000173.html?fbclid=IwAR3wfPrxE6cof55YDQHU4vyp1hrXqikDomOsS0Qst6cjmQ65jLz_oVKo5vg

一粒の麦死して 弁護士・森長英三郎の「大逆事件」 田中伸尚(のぶまさ)著

2020年4月12日


写真
◆権力に挑んだ波乱の生涯
[評]橘かがり(作家)
 明治天皇暗殺を企てたとの理由で無関係の人たちをも検挙、死刑に処した大逆事件。真の狙いは、でっちあげた陰謀を口実に、無政府主義者、社会主義者を根絶することだった。事件から半世紀後に存命者の復権と再審請求に挑み、膨大な記録を遺(のこ)した弁護士・森長英三郎(一九〇六~八三年)。その波乱に満ちた生涯を著者は丁寧に辿(たど)る。

 事件に連座して生存していた坂本清馬(せいま)と岡林寅松(とらまつ)の復権に協力要請されたのは四六年。被害者が生存しているのを森長はこの時初めて知る。二人の復権が実現後、再審も視野に入れるようになる。事件当時の弁護人は十一人、森長はこれに続く十二人目の弁護人との矜持(きょうじ)を示した。だが、弁護団の手弁当の活動もむなしく、六五年再審請求は高裁で棄却される。担当裁判官五人は皆、大日本帝国下の司法官試補を経た判事で、戦争責任を追及されることはなかった。(最高裁でも棄却)

 この間、森長は遺族や関係者に積極的に会い、墓参の旅を続けた。東京・新宿の富久(とみひさ)町児童遊園の片隅に、東京監獄・市ケ谷刑務所刑場跡があると知ればすぐに出向く。森長は全刑死者の慰霊塔を建てようと日弁連に提言。「ホトケになってからでもこうして慰めてやるのが弁護士の仕事の最終の仕上げだと思う」。弁護士という職業をここまで全うした森長に敬服するしかない。

 徳島の寒村に生まれ、無類の本好き、小学校を首席で卒業し、自由闊達(かったつ)な県立農学校に学んだ森長。作家を夢見て東京の明治学院に学ぶも除籍になり、山谷や浅草で放浪生活を送り、憔悴(しょうすい)して帰郷する。再上京後に心機一転、猛勉強して弁護士資格を得るが、動機は明らかでない。農学校で得た知性に、東京での理不尽な体験が澱(おり)のように堆積して、後に弁護士としての使命感に繋(つな)がったのではないか。

 刑場跡の児童遊園に私も立った。死刑判決が下りて間もなく、ここで十二人が処刑された。いつの世にも権力に都合の悪い存在が標的になる。歴史は過ちを繰り返す。本書は静かな怒りをこめて語りかけてくる。

(岩波書店・2970円)

ノンフィクション作家。『ドキュメント憲法を獲得する人びと』で平和・協同ジャーナリスト基金賞。

◆もう1冊
田中伸尚著『大逆事件-死と生の群像』(岩波現代文庫)
Facebookに投稿 (管理人)
2020-04-12 17:15:36
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