洞爺丸という名の客船が沈没する際に避難できる船がいてそこに向かって傾いた船から必死に脱出を試みる人々を写した写真があった。ここでちょっとした論争がおきた。即ち写真を写している間に一人でも二人でも救助できたはずだと非難する声と、写真があったからどんな状況だったかを知る手がかりになったという声。どちらも一理ありそうだが未だに結論はでていない二律背反なのである。
当時は撮影をした人が批判の的になったようだ。
未だに結論に至らないが少なくとも現役のカメラマンを続けるには前述の記録に残す事を最優先しなければならないと思わなければ仕事ができない。
人命優先的な考え方を持つ人間は報道写真という分野からは残念ながら自然と淘汰されてゆくのである。 私もその組であったが、最終的にフリーランスとして独立できたのだが・・。 写真が先か人命が先か?それは人命に決まっているのだが、事件事故の最前線の現場にでるとあながち人命がといいきれない場面に直面するのである。
話を戻して洞爺丸の沈没事故の写真を写したのは数枚に過ぎなかったことが明らかになったこと、災難を記録すべきであると考えていたことが公になって騒動は収まったらしい。
東北の大震災の時報道ヘリかられぽーとしていたアナウンサーの言葉が未だに忘れられない。
「屋根の上で助けを求めて手を振っている人の姿が見えます」
どんな思いで助けを求めていたか?そしてその人は救助されたのか?
もちろん不明である。
当時は撮影をした人が批判の的になったようだ。
未だに結論に至らないが少なくとも現役のカメラマンを続けるには前述の記録に残す事を最優先しなければならないと思わなければ仕事ができない。
人命優先的な考え方を持つ人間は報道写真という分野からは残念ながら自然と淘汰されてゆくのである。 私もその組であったが、最終的にフリーランスとして独立できたのだが・・。 写真が先か人命が先か?それは人命に決まっているのだが、事件事故の最前線の現場にでるとあながち人命がといいきれない場面に直面するのである。
話を戻して洞爺丸の沈没事故の写真を写したのは数枚に過ぎなかったことが明らかになったこと、災難を記録すべきであると考えていたことが公になって騒動は収まったらしい。
東北の大震災の時報道ヘリかられぽーとしていたアナウンサーの言葉が未だに忘れられない。
「屋根の上で助けを求めて手を振っている人の姿が見えます」
どんな思いで助けを求めていたか?そしてその人は救助されたのか?
もちろん不明である。