陽炎日記

日々の出来事を中心に綴ってます。

高田郁著 「みをつくし料理帖 特別編」花だより

2019-03-25 16:58:32 | Weblog
 捜していた時期になくて今年にはいってからだったか何気に入った本屋で、
ようやく見つけて家のテーブルに積んでいたのを読み出してようやく読み終えた。

大阪へ行った澪さんがどんなくらしをしているのか気になっていた。
最初の『花だより』ではつる家の種市が浅蜊の佃煮を作って大阪の澪さんに届けたい
と思って大阪に旅発つ(清右衛門と坂村堂の3人で)
しかし箱根まで来て腰痛急遽江戸へ逆戻り。佃煮はにぎりめしの中に入れて、
清右衛門達がほおばることに。(馬上の種市が悔しがる)
にぎりめしの中には浅蜊の佃煮が入っていた。

『涼風あり』では小野寺数馬に嫁いだ乙緒(いつを)の話。
(数馬を思っていた澪さん)
数馬と乙緒の間には息子が一人いる。数馬40歳、息子5歳、
息子悠馬のおば早帆(さほ)が小野寺家に来るがなにやら怪しげな土産物持参してきた。
"梅煮"だったが上手くないのだ。
料理が好きだというが・・・乙緒はこれはどうして上手いのかわからないが、
体面上受け取り、食するのは家にいる奉公人達だった。
"梅煮"のお返しに"枇杷"を重箱に詰めて早帆の家に出向く。
そこで乙緒は早帆から江戸のつる家の澪の名前を聞かされて動揺する。
帰って来てから具合が悪くなり翌日医者に診てもらうと懐妊しているという。
つわりがひどく食べ物をうけつけない。寝付いてしまうほどだった。
しばらく寝たり起きたりの生活を続けたある日、数馬は妻に「何か食べたいものはあるか」
とたずねると「岡太夫」だと答える。「姑母さまより、こうしたときに殿さまに
岡太夫を所望するように、と申しつけられました」
そんな折父親からくず餅が送り届けられた。あまり食欲のない娘のために父親が誰かに
作らせたのだろと思う乙緒。
そんな晩、夫数馬がいろいろな台所調理器具持ち込み乙緒の前で何やら作り始めた。
言葉には出さなかったが"岡太夫"だった。
「その粉はの正体はなんなのでしょう」と夫に聞くと「それを知らずに岡太夫を
所望したのか?」と驚かれた。「岡太夫とはわらび餅のことだ」と教えてくれる。
蕨の粉を使用したというのだ。
夫の気持ちが痛くわかって嬉しい乙緒だった。

『秋燕』ではあさひ太夫の名を捨て生家の再建を果たした野江の話。
生家高麗橋淡路屋の女主人、野江。
しかし女主にはなれないしきたりなのだ。
なので番頭が主になることも。野江を身請けした摂津屋と他二人が協議して
野江を身請けした話を辰藏に話す。
それを踏まえて二人は一緒になることえを決意、唐汁を飲みながら・・・

『月の船を漕ぐ』では澪さんと源斉先生(医者)が一緒になって・・・
澪は『みをつくし』というお店を出して繁盛していた。
疫病が流行り源斉は自分の身をけずるほど患者に向き合っていたが、
とうとう倒れた。何を食べさせてら元気になるだろうかと考えていろいろ試してみたが
ほとんど食べてくれなかった。そこで澪は源斉の母に手紙を出した。
そこには江戸味噌の作り方が書いてあった。
夫の寄り添わなければとようやく気づいて、一生懸命姑の味にすべく味噌造りに
挑戦する。それそっと見守る源斉の姿。
ようやく味噌汁を食する源斉をみてホッとする澪。
しばらくお店を休んでいたのでようやくお店を再開するが、立ち退きにあいに
新しい場所を捜してもらい再開にこぎつけた。
再開するとつる家の種市、清右衛門、坂村堂がようやく大阪へやってきた。

最後に快くまとめたな~。
それぞれの生き方をどうやってまとめていくかという作業は大変だろう。
作家も大変な仕事だ。
完結してしまったな~。澪さんにお子さんは出来たのだろうか?
そこが気になるが・・・
 
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