同意できても、できなくても、それが権威による命令かどうかの判断以外に、頭脳は働いていない。
あらゆることの「いい悪い」を人に決めてもらわないと、にっちも、さっちもいかなくなる。
奴隷に広い視野は、必要ない。
「信じるか、信じないか」、「鵜呑みするか、しないか」の二者択一を迫る環境は、視野狭窄へつながり、奴隷化教育の絶対条件である。
そもそも最初から、真実というものに、まったく興味がない。自力で真偽を確かめると言う意思や能力が一切ない。
それは「いい人か悪い人か」などという問題ではない。
先祖解放の役事、全ての罪が許される聖酒式。 個性完成は空念仏になる。
奴隷信仰には、先祖解放の役事や全ての罪が許される聖酒式は必要だが、信徒の個性完成は必要ない。
そこには、りっぱな教育者も高潔な人格者もいらない。
不誠実な指導者でも、寄生虫のような公職者でも、充分に役割を果たすことができる。
マイルドコントロールは存在しない。
自己責任の放棄と他者への責任転換の言い訳にすぎない。
奴隷信仰も、あなたが選択した道だから。
「人間が神に似ている由縁は、自己決定の自由にある。個人の主体性こそ、人間の尊厳の根である。」(ピコ・デラ・ミランドラ 15世紀の新プラトン主義の代表者)
埼玉では、今回の基元節参加にあたり、40数を捧げて無い家庭は参加出来ないという話しを聞きました。経済目標の為には、基元節すら利用するとは、責任者としてどうなのか?
埼玉の食口には事の真意を教えて欲しい、本当にそんなことがあったのか?
makotonofubo ha mesia .........sikasi genzaiseisan niha suudai no jikan ga kakaru to wakatta !
kamisama no seturi no chuusin wa makotono sijyo igaikara
arawareru kanousei ga arukotowo kangaerareru youni natta !!
tonikaku kamisama to makotono fubosama ikasareteiru inochi ......................subeteni kansha site souzouhonzen no jibun to katei wo tukuriageyou ............kansha !