以前投稿したように、もう黙っていられない。
管理人(注) 以前投稿の記事は、霊感商法を推奨する徳野会長発言 「悔しければ長野を超えろ!」
12月10~12日の熱海での会議においても、反省の色は全く見られなかったので、次の内部資料を公開します。
祈願書ラインに関する清平日本事務局からの資料です。
清平と日本教会の関係がハッキリする資料であり、今まで教会ぐるみで法に触れる手法を用いていた証拠です。
18ページの内、一部公開
問題となる箇所はわざわざ赤字で書いてあるのでとても分かりやすい。
こんなごまかしが世間に通用すると思っているのですか? 徳野さん!
頭を冷やしてよーく考えれば分かるでしょう?
だって「非常に客観的に鋭く分析するタイプ」だから。
信仰ビジネスのようです。
これからも内部告発宜しくお願いします。
印鑑が再開したときも「因縁トークはしないトークの方法」として再開したのに、結局は因縁トークしまくりで逮捕。
長野は清平に逐一確認して展開しているが、それを無視してしまうと、また元に戻りますよ~。今でも教会員に対して家系図で献金強要してますから。
本部に隠れて動き回っている家系図の先生方が堂々と姿を現してくるかな?
祈願書の恩恵は大きいが、霊的にきちんとしないと怖いことになりますよ~。
反省の色が全くなかったとの事ですが、長野の件の後や今回の会議の中で、こんな方針はおかしいのでは無いかと、きちんと発言されたのでしょうか?それとも何も言わないまま目安箱に直行ですか?
信者になってもらえば
こんなややこしいことしなくて
いいのに。
と、言われたコメントがありましたが、どうなるか分かるじゃぁないですか。 じゃぁあなたはその場に行って正して下さい。
トーカーは「ゲストに罪感を分からせないといけないから、恐怖心を与える話をする、そこに持っていく(家系図トーク時に)」
と言ってます。
悪い事にはしてるのは、どちらでしょうか?
現役教区長さんを裁くのは、方向違いです。
この目安箱やインターネットネットワーク、世の中とはこういうものですよ。
あらゆる矛盾に情で目をつぶってきましたが、献金抜きでゲストに施す事が出来ない方々には…正直残念で、もう無理です。
神様が、イエス様がこういういう事されますか?相対基準合わないですよ。
結局何らかのシステム、巧みなトークを用いて、現役教会
員あるいは新規会員に対して献金を強要する方法である
ことには変わりありません。
献金は感謝してするものだけど、その額だけでは山ほど
いる無職献身者を養うことができないし、実績が悪ければ
韓国人幹部の怒りに触れクビになってしまう。
では何故彼らはこれしかできないのか、答えは簡単です。
霊感商法しかスキルがない、一般社会では働きたくない、
この2点だと思います。
その一方韓国人幹部からの集金要請が尽きることはない
でしょうから、もはや彼らがいなくなるしか組織改善の道
はないと考えます。
沢山の相談があれば国も動くでしょう。
韓国幹部より日本の行政の方がまだ役にたつと思います。
こんな表現を現役教区長がするとは信じられないというのが読んでの感想です。
私の客観的見解は、
『この手法が「法に触れる」とかそもそも考えていなかった』
が事実に近いと分析しています。
(これはこれで教会の問題部分ではありますが)
これを『教会ぐるみ』と表現してしまうと、
「その手法をコンプライアンス違反と知りながら、(私利私欲の為に)行っていた」って意味にとれますよね?
少なくとも、本質を抑えてない人が読めば、そうとらえる文章かと分析します。
ですから、今回の投稿の表現には例えば次のような補足が必要だと思います。
「その手法をコンプライアンス違反とは知りながらも、『これがその人にとってはプラスになる(目に見えない面において)と確信しているから』行っていた」
だと思うのです。決して私利私欲のために行ってはないと思います。
少なくとも現役の教区長であるならば、そのように指導してきたのではないでしょうか?
この投稿における表現を考えないと、過去のご自分がしてこられた内容をも否定することになります。
このサイトはあくまで客観的な意見を述べなければ、管理者の本意と、存在意義がずれてくる恐れがあるサイトです!
感情が文章に乗っかりすぎると、反対派のサイトと変わらないものとなってしまう危険があるサイトです。
それは管理者の本来の「サイトを立ち上げた意図」とズレてくると思うのです。
「教会を良くしたいのか」、「批判したいのか」はよくよく動機を正すべきです。
でないと、その他に存在する、デマばかりの反対派サイトとは質が違うので(デマでない情報がある)、教会に恨みを持つ方にとっては、さらなる批判の材料にしかなりません。
つまり、より教会に対して恨みを増幅させる材料になってしまうのではないかと不安を感じるのです。
反対派のサイトの作成意図はそこにあるので、そのサイトを読むことで、そうなるのはしょうがないというか、当たり前ですが、
このサイトを通してそうなっては(恨みを増幅させてしまっては)、このサイトの存在意義が変わります!(管理人さんの過去の投稿を読む限り)
それこそ、いつの間にかサタンの主管するサイトになってしまうので、投稿する方と共に、管理者の方には一言言っておきたくコメントしました。
できれば、このコメントに対して管理人様の意見が聞きたいです。
宜しくお願いします。
ご指摘の内容はブログ開設当初からずっと抱えている課題でもあります。
私の考えを申し上げます。
>このサイトはあくまで客観的な意見を述べなければ、管理者の本意と、存在意義がずれてくる
このサイトは、「意見」より、理不尽な「事実」を教えてほしい、読者の皆さんに伝えてほしいというのが本来の趣旨でした。
ですから、不当な扱いを受けたり、良心の痛みを感じ信仰の危機を感じた事実を提供してくださるご本人に、客観性を期待することは難しいことだろうと考えています。
教会や組織に対する意見ならば、ブログを自分で立ち上げ、自論を述べればいいだけの話ですから。
これまで実際に自分自身が体験した事実をコメントして下さった方の話にフォーカスして、コメント欄から本文の記事に上げるように運営してきたつもりです。(全てがそうではありませんが)
そして、私自身が、投稿された記事に対して意見を述べることは殆どしてきませんでした。
ブログ開設当初に書いたように、ここに上がる理不尽な事実がなくなることが私の願うところです。そのような事実がなくなった時このブログの使命も終わりだと思っております。
本来そういうことがないように設置されている、本部相談室が対応をきちんとしてくれていれば、ここに上がるような記事は出てこなかったはずですが、その機能が果たされているとは思えない現実がまだまだ続いています。
私が思う客観性は投稿された内容が事実であるかどうかです。オフラインでの情報取集もして、できるものは、事実確認までして掲載するということです。
確かに、このサイトが反対派の道具になってしまうというご意見もわかります。しかし、例えば拉致監禁が一方的に反対派が悪いのかと言えばそうでもなく、そのような行為をさせてしまう教会側にもかなり問題があることが明白になってきました。恨まれるようなことを事実教会がしている以上、恨むなと言うほうが酷です。
あとは、個々人の信仰で消化していただくしかないのだろうと考えます。
HOさん、貴重なご意見ありがとうございました、ご理解いただけましたでしょうか?