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アイヌ民族関連報道クリップ

アイヌ民族・先住民族関連の報道クリップです。各記事の版権は発信元にあります。

テイクオフ:年末に、ウルル・カタ・…(NNA.ASIA)

2013-01-10 00:00:00 | その他のニュース
オーストラリア 2013年1月10日(木曜日)
テイクオフ:年末に、ウルル・カタ・…[社会]

年末に、ウルル・カタ・ジュダ国立公園を訪れた。ウルル(エアーズロック)と言えば巨大一枚岩で有名だが、アボリジニの聖地としてもよく知られる。現地の夏の気温は40度超えが普通で、筆者が訪れた際も日中の気温は45度近くまで上昇した。

登頂するか否かで頻繁に議論を巻き起こすウルルだが、日中気温が36度を超えると、安全面の理由から登頂は禁止される。あの妙につるつるした岩肌と急斜面を見れば納得だ。

現地ガイドによると、過去数年で36人が滑落により亡くなっているとか。ニュースで取りざたされているのを見たことがないが、それは観光客離れを懸念してのことか。観光収入の一部は、地元先住民のアナング族にも分け与えられているというから、彼らにとってウルル登頂が許されざる行為であっても、渋々黙認している現状があるように思う。(芽依)

http://news.nna.jp/free/news/20130110aud001A.html

密林で獲物をさがすジャガー(NATIONAL GEOGRAPHIC)

2013-01-10 00:00:00 | その他のニュース
密林で獲物をさがすジャガー
(エクアドル・ヤスニ国立公園)
自動撮影カメラが、狩りにきたジャガーの姿をとらえた。お目当ては、イノシシに似た動物ペッカリーだ。この一帯に暮らす先住民のワオラニ族はジャガーを先祖の霊と考えていて、シャーマン(霊媒師)の夢に現れ、狩りの獲物がいる場所を教えてくれると信じている。
写真=Steve Winter

http://nationalgeographic.jp/nng/article/20121227/335315/index.shtml

★NEWSの窓:科学 日本人のルーツ アイヌ民族は琉球人に近い (毎日小学生新聞)

2012-11-03 00:00:00 | その他のニュース
NEWSの窓:科学 日本人のルーツ アイヌ民族は琉球人に近い
毎日小学生新聞 2012年11月03日

 ◇毎日新聞論説委員(まいにちしんぶんろんせついいん)・青野由利(あおのゆり)
 私(わたし)たち日本人(にっぽんじん)の祖先(そせん)はどこからきたのか。繰(く)り返(かえ)し話題(わだい)になりますが、そのつど、興味(きょうみ)をそそられます。

 最近(さいきん)の話題(わだい)は、「北海道(ほっかいどう)のアイヌ民族(みんぞく)と沖縄(おきなわ)(琉球(りゅうきゅう))の人(ひと)は遺伝的(いでんてき)に近(ちか)い」というDNA解析(かいせき)による研究成果(けんきゅうせいか)。日本(にっぽん)の研究(けんきゅう)グループと、マレーシアからきた留学生(りゅうがくせい)が共同(きょうどう)で明(あき)らかにしました。

 実(じつ)はこの成果(せいか)は、意外(いがい)なものではありません。日本人(にっぽんじん)の祖先(そせん)については、そもそも、次(つぎ)のような説(せつ)が有力(ゆうりょく)だからです。

 「日本列島(にほんれっとう)には旧石器時代(きゅうせっきじだい)から縄文人(じょうもんじん)が住(す)んでいた。その後(ご)、弥生時代(やよいじだい)になって大陸(たいりく)から渡来人(とらいじん)がやってきた。日本(にっぽん)の本土(ほんど)では縄文人(じょうもんじん)と弥生人(やよいじん)の混血(こんけつ)が進(すす)んだが、北海道(ほっかいどう)と沖縄(おきなわ)ではあまり進(すす)まず、縄文人(じょうもんじん)の遺伝子(いでんし)が色濃(いろこ)く残(のこ)った」

 今回(こんかい)は、個人差(こじんさ)のある遺伝子型(いでんしがた)をたくさん分析(ぶんせき)したところ、この説(せつ)を裏付(うらづ)けるような結果(けっか)が得(え)られたというのです。

 この説(せつ)は「二重構造(にじゅうこうぞう)モデル」と呼(よ)ばれますが、その発端(ほったん)は約(やく)100年前(ねんまえ)にさかのぼります。当時(とうじ)、東大(とうだい)のおかかえ医師(いし)だったベルツさんが、「アイヌ民族(みんぞく)と沖縄(おきなわ)の人(ひと)は遺伝的(いでんてき)に同(おな)じ系統(けいとう)」という考(かんが)えを提案(ていあん)したのです。一方(いっぽう)、大森貝塚(おおもりかいづか)の発見(はっけん)で知(し)られるモースさんや、長崎(ながさき)・出島(でじま)のオランダ商館医(しょうかんい)を務(つと)めたシーボルトさんは別(べつ)の説(せつ)を唱(とな)えましたが、生(い)き残(のこ)ったのはベルツさんの流(なが)れをくむ説(せつ)だったのです。

 今回(こんかい)の遺伝子解析結果(いでんしかいせきけっか)で興味深(きょうみぶか)いのは、アイヌの人(ひと)から見(み)ると、本土(ほんど)の日本人(にっぽんじん)より沖縄(おきなわ)の人(ひと)の方(ほう)が遺伝的(いでんてき)に近(ちか)いこと。さらに、本土人(ほんどじん)から見(み)ると、アイヌ民族(みんぞく)より韓国人(かんこくじん)の方(ほう)が遺伝的(いでんてき)に近(ちか)いということです。

 こんな話(はなし)を聞(き)いていると、アフリカで誕生(たんじょう)した人類(じんるい)の祖先(そせん)が、長(なが)い年月(ねんげつ)をかけてやってきたはるかな道(みち)のりが思(おも)い浮(う)かびます。

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 科学記者歴(かがくきしゃれき)は20年(ねん)とちょっと。好(す)きな分野(ぶんや)は、生命科学(せいめいかがく)と天文学(てんもんがく)。大学(だいがく)では薬学(やくがく)と心理学(しんりがく)を学(まな)んだが、小学生(しょうがくせい)のころ、将来(しょうらい)の夢(ゆめ)は天文学者(てんもんがくしゃ)だった。東京生(とうきょうう)まれの東京育(とうきょうそだ)ち。


http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20121103kei00s00s007000c.html

藻岩山 市民の山の今・むかし(北海道札幌市観光案内)

2012-08-22 00:00:00 | その他のニュース
藻岩山 市民の山の今・むかし

札幌のまちを見守るように立つ藻岩山
藻岩山のなりたち
 札幌を代表する観光地であり、市民の山として親しまれる藻岩山。標高531mのこの山は、およそ2000万年前から200万年前までの間、このあたり一帯で起こった活発な火山活動によってできた山です。今でも、登山道から火山由来の岩石が数多く観察できます。
 藻岩山はかつて、先住民族であるアイヌの人たちから「インカルシペ」(「いつもそこに上って見張りをするところ」という意味といわれている)と呼ばれており、そのことは幕末の探検家、松浦武四郎の『後方羊蹄(しりべし)日誌』にも記されています。
 この時代は、隣接する円山が「モイワ」と呼ばれていました。ところが、明治時代の地図などでは現在の藻岩山・円山の記述に変わっています。いつの頃からか、入植した人々が2つの山の名前を取り違えたものといわれていますが、いまだその理由は定かではありません。

ゴツゴツとした岩が多い登山道

天然記念物への道のり
 藻岩山は、人口192万人を有する大都市にありながら、多様な植生を持つ原始林が天然記念物に指定されている、全国的にも非常に珍しい山です。現在も、登山道以外のエリアへの立ち入りは厳しく制限され、植生の保護が行われています。
 この天然記念物への指定に尽力したのが、札幌市の名誉市民第一号である植物学者宮部金吾(1860-1951年)です。宮部は札幌農学校の2期生として新渡戸稲造や内村鑑三らとともに学び、後に札幌農学校、北海道帝国大学の教授を務めました。北海道大学植物園の生みの親でもあり、長年園長も務めています。
 明治中期、札幌の開拓が急ピッチで進められるのに従って、貴重な原始林が失われていく中、藻岩山の原始の大木が次々と伐採されていくことを憂えた宮部は、なんとかこの原始林を残したいと考えました。彼の強い提唱により、1915(大正4)年に、北海道の原生天然保存林に、そして1921(大正10)年、藻岩山原始林は北海道で第一号となる天然記念物に指定されました。

宮部 金吾博士(1860-1951年)

藻岩山とスキーの歴史
 藻岩山は、北海道のスキーの歴史の上でも特筆すべき場所です。1911(明治45)年、オーストリア人のレルヒ少佐が旭川へ赴任、軍人たちに「一本杖スキー」を教え、そこで技術を教わった軍人や学生たちが藻岩山で初のスキー登山を行った、という記録が残されています。その後、スキーの普及に伴って、円山や三角山などとともに、藻岩山でも市民がスキーを楽しむようになりました。
 もうひとつ、藻岩山のスキーの歴史に残る出来事として、この場所に日本初のスキーリフトが作られたという記録があります。
 第2次世界大戦後、進駐軍は藻岩山の北側斜面を接収し、原始林を切り開いてスキー場を造成しました。そこに、長野県の志賀高原と並び、1947(昭和22)年に日本で最初のスキーリフトがつくられたのです。
 進駐軍の接収が解除された後、もともとの原始林の姿を取り戻そうと、リフトの設備はすべて取り壊されました。現在は、残されたコンクリートの基礎の一部が「日本初のスキーリフト」の面影をとどめています。
 現在の藻岩山市民スキー場は1958(昭和33)年12月、進駐軍のスキー場とは別の場所、原始林のエリア外の場所に新たに作られました。今も地元の小学生のスキー学習をはじめとして、毎年多くの市民が訪れます。この場所で 毎年3月に開催されている「藻岩山スキー場まつり」では、一本杖スキーのデモンストレーションが行われ、北海道へのスキー伝承の歴史を今に伝えています。

一本杖スキーのデモンストレーションの様子

札幌の観光名所へ
 1958(昭和33)年、北海道大博覧会の開催に合わせて、藻岩山にはロープウェイが開業しました。当時は8人乗りの小さなゴンドラでした。また、同年、観光道路も開通し、一層気軽に山頂まで行くことができるようになり、ここから、観光名所としての藻岩山という新しい歴史が始まりました。その後、1969(昭和44)年には山頂に展望台が設置され、札幌オリンピックが開かれた1972(昭和47)年にロープウェイは66人乗りのゴンドラ2両が交互に行き来する形に改修されました。
 札幌随一の眺望を楽しむ観光スポット、貴重な天然記念物の原始林、そして、市民が登山やスキーを楽しむ場と、さまざまな顔を持つ藻岩山は、2011(平成23)年12月、展望台とロープウェイ施設が全面リニューアルしました。藻岩山のストーリーは、山頂展望台施設内で上映されている3D映像でも楽しむことができます。
ョンが行われ、北海道へのスキー伝承の歴史を今に伝えています。

http://www.welcome.city.sapporo.jp/monthly/1209moiwa.html

社説 五輪閉幕 感動を明日につなごう(北海道新聞)

2012-08-14 00:00:00 | その他のニュース
五輪閉幕 感動を明日につなごう(8月14日)
 ロンドン五輪が閉幕した。自らの限界に挑む選手の姿に感動し、勇気をもらった。あらためてスポーツの素晴らしさを知った。そんな17日間だった。

 競泳男子のマイケル・フェルプス選手(米国)は4冠を手にした。通算の金メダル数が史上最多の18という「怪物」ぶりに驚かされた。

 陸上男子のウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)は短距離3種目で連覇の偉業を成し遂げた。

 うれしいのは日本選手の活躍だ。

 レスリング女子で3連覇を果たした吉田沙保里(55キロ級)、伊調馨(63キロ級)両選手は圧倒的な強さを見せた。体操の男子個人総合で日本選手として28年ぶりの金を獲得した内村航平選手の技の美しさとともに人々の目に焼き付いただろう。

 昨年のワールドカップに続く金を―との期待の重圧に耐え、五輪初の銀を手にしたサッカー女子「なでしこジャパン」の奮闘もたたえたい。

 最後まで諦めない―。大切なことを教えてくれた選手もいる。

 道産子で柔道女子の上野順恵(よしえ)選手(63キロ級)がその一人だ。準々決勝で敗れ、敗者復活戦から銅をもぎとった。その姿に共感し、明日への希望を得た人も少なくないだろう。

 日本選手のメダル数は金7を含む計38で、2004年のアテネ大会(37個)を上回り、過去最多となった。

 文部科学省は金メダルの数値目標を「国別で5位以上」とした。結果は10位で、目標に及ばなかった。

 だが、メダル数だけで評価すべきではない。選手たちがもたらした感動を、子どもたちの教育やスポーツ振興を通じ活力のある社会づくりにどうつなげるかが重要だ。

 今大会では問題も表面化した。

 バドミントン女子ダブルスの1次リーグ最終戦で無気力試合があり、4ペアが失格した。1次リーグの順位で決まる決勝トーナメントの組み合わせが有利になるよう、わざと負けるようなプレーをした。

 1次リーグを設ける場合は決勝トーナメントの組み合わせは抽選で決めるといった改善が欠かせない。

 柔道や体操、ボクシングでは誤審が問題となった。審判の資格要件の厳格化などを検討すべきだ。

 4年後の次回五輪は南米初のブラジル・リオデジャネイロで開かれる。ブラジルは、先住民族、ヨーロッパ系、アフリカ系など多様な民族で構成され、アマゾンの熱帯雨林の保全など環境先進国でもある。

 環境問題を踏まえ、ロンドン五輪は「持続可能性」をテーマとした。次回のリオでもこの考え方を引き継ぎ、発展させて、五輪の場で、多様な文化を認め合う世界の姿を示してほしい。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/396134.html