以前は日本批判を繰り返してきたのだが、国内治安の不安が爆破事件によって高まっている。
天安門でのガソリンを積んでの突撃炎上ではなく、山西省太原市の省共産党委員会の建物付近で起きた爆発は、鋼鉄の玉やくぎが仕込まれており、明らかに殺人目的であることが分かった。
テロが起きるのは中東では政治的なものと宗教的なものとに分けられる。紛争や戦争も政治的なものだ。
日本でのオーム真理教のテロ攻撃は宗教というよりも、新興宗教のアナーキズム化による異常行動の方が分かりやすい。動機は妄想的であった。
一般的に国内テロは、恐怖政治への戦いである。
恐怖政治とは反対者を弾圧する政治で、文化大革命や天安門事件に代表され、大きさは比べ物にならないが現代にも続いている。悪政・虐政・暴政などと言われているがテロリズム政治とも言われている。
テロリズム政治への攻撃がテロという皮肉だが、政治的な権力闘争圧力が強いために小規模でもテロ攻撃が続けば、おのずと指導者たちへの圧力も高くなる、というわけでテロリストたちの狙いもそこにある。
無差別殺害事件が連鎖するように、殺人衝動が連鎖すればテロリストたちの数も多く事件も起こりやすくなる。テロ活動の意味そのものが無差別殺戮だ。
習政権の「中華民族の偉大なる復興」というスローガンだ。だが、現実はそれとは逆の党内部や行政などの収賄を抱えながら、また、それらを理由の権力闘争を繰り返している。
まさに、この偉大な中華民国とは不安定なアイデンティティーだ。「偉大なる復興」を必死になって守ろうとして、周辺国では頑なな姿勢で領土問題を起こし、国内では反対者を弾圧している。インテリ層や反体制芸術家へのいわれなき拘束は拉致のようでもある。
国粋主義は今や支配階級の盾とされ、それに違反する人民を弾圧し威圧し続ける。
テロがより名誉を重んじる確信犯、つまり政治犯に偏るのであれば、民衆からの不満分子の計画的犯行の可能性が低くなる。
もちろん、理由をつけて誰かを逮捕するのだろうが、それではテロは根絶できない。
テロが完全犯罪となる条件は、警察が関与している、ということになる。警察自らが社会も指導者たちをも不安に陥れて、自己の重要性を誇示するためだ。あくまでも可能性と予測である。
これに共産党の反政府派が関与しているのなら、より政治的な確信犯となる。権力闘争の激化と政変を目論んでいる。
このように政権の「中華民族の偉大なる復興」というスローガンは、理想的な類型に誇張されながらも、現実の事態は不本意な問題として表出されてしまう。
人民は政府との距離を強く感じながらも、その不気味さを実感するか、政府発表に操作されるしかない。
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天安門でのガソリンを積んでの突撃炎上ではなく、山西省太原市の省共産党委員会の建物付近で起きた爆発は、鋼鉄の玉やくぎが仕込まれており、明らかに殺人目的であることが分かった。
テロが起きるのは中東では政治的なものと宗教的なものとに分けられる。紛争や戦争も政治的なものだ。
日本でのオーム真理教のテロ攻撃は宗教というよりも、新興宗教のアナーキズム化による異常行動の方が分かりやすい。動機は妄想的であった。
一般的に国内テロは、恐怖政治への戦いである。
恐怖政治とは反対者を弾圧する政治で、文化大革命や天安門事件に代表され、大きさは比べ物にならないが現代にも続いている。悪政・虐政・暴政などと言われているがテロリズム政治とも言われている。
テロリズム政治への攻撃がテロという皮肉だが、政治的な権力闘争圧力が強いために小規模でもテロ攻撃が続けば、おのずと指導者たちへの圧力も高くなる、というわけでテロリストたちの狙いもそこにある。
無差別殺害事件が連鎖するように、殺人衝動が連鎖すればテロリストたちの数も多く事件も起こりやすくなる。テロ活動の意味そのものが無差別殺戮だ。
習政権の「中華民族の偉大なる復興」というスローガンだ。だが、現実はそれとは逆の党内部や行政などの収賄を抱えながら、また、それらを理由の権力闘争を繰り返している。
まさに、この偉大な中華民国とは不安定なアイデンティティーだ。「偉大なる復興」を必死になって守ろうとして、周辺国では頑なな姿勢で領土問題を起こし、国内では反対者を弾圧している。インテリ層や反体制芸術家へのいわれなき拘束は拉致のようでもある。
国粋主義は今や支配階級の盾とされ、それに違反する人民を弾圧し威圧し続ける。
テロがより名誉を重んじる確信犯、つまり政治犯に偏るのであれば、民衆からの不満分子の計画的犯行の可能性が低くなる。
もちろん、理由をつけて誰かを逮捕するのだろうが、それではテロは根絶できない。
テロが完全犯罪となる条件は、警察が関与している、ということになる。警察自らが社会も指導者たちをも不安に陥れて、自己の重要性を誇示するためだ。あくまでも可能性と予測である。
これに共産党の反政府派が関与しているのなら、より政治的な確信犯となる。権力闘争の激化と政変を目論んでいる。
このように政権の「中華民族の偉大なる復興」というスローガンは、理想的な類型に誇張されながらも、現実の事態は不本意な問題として表出されてしまう。
人民は政府との距離を強く感じながらも、その不気味さを実感するか、政府発表に操作されるしかない。
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