これは2005年9月頃に書かれた分析である。
民主党代表選の分析
どんなに対面に拘った人でも、より状況が緊迫してくるとその人なりの本質というものが出てくるものだ。それが政治家であり、特にトップを目指す人であれば、その重責により負の反動が表れたりもする。前代表の岡田氏などはそれが選挙という特別な緊張状態の中、小泉氏への敵対的態度や、国民を脅すような大げさな表現、自分本位の1フレーズ・ポリティックス、感情が表れないなどという反動となった。
民主党代表選の菅氏対前原氏について、新代表選が近づくほどにその発言がどのように変化するのか、ということを分析するとは、より緊張状態に陥るとすればいったいどのような反動が現れるのかという予測になるはずだ。これは今後の民主党を予測する上でも重要である。
新代表選候補者、菅直人
民主党代表選の菅対前原について、新代表選が近づくほどにその発言がどのように変化するのか、ということを分析するとは、より緊張状態に陥るとすればいったいどのような反動が現れるのかという予測になるはずだ。これは今後の民主党を予測する上でも重要である。
菅氏の発言の推移
①「民主党が(自民党に対し)きちんとした対抗軸を出すことが必要」
↓
②「今は世代交代という次元でものを見られる余裕のある時ではない」、「ここで手を打たないと存在感を失う」
↓
③「小泉ハリケーンに痛めつけられた民主党という船の浸水を止め、きちっと港にたどり着いて、立て直す。わたし自身が先頭に立たざるを得ない」
発言は①~③へと変化した。どれも新代表選出前の発言である。
救済型発言→失った議席は民主党にとって大打撃であり、大損害であり、今や沈没寸前の危機を救うのが自分であるという発言だ。
初めは二大政党の意志を感じさせるように対自民への戦略を求めているのだが、それが新代表選が近づくにつれ危機感を煽っていくこととなる。「余裕がない」、「存在感を失う」が、さらに「沈没の危機」を訴え、それを救う自分の使命を強調する。
衆院選に大敗した民主党を救おうという菅氏は、「ぶっ壊れる日本をあきらめない」という岡田と、救世主願望があるという点で似ている。自己の能力をアピールし、自民と対立する姿勢をとるという態度はそのまま踏襲するのではないだろうか。
また共通点として彼も喋りすぎる傾向があり、Oー157の風評被害を起こしその弁解のため貝割れ大根を口いっぱいほおばった顔や、「未納三兄弟」などと自民党の政治家を揶揄(やゆ)してから自らの未納が発覚するなどの失敗が思い出される。
議論好きで向上心はあるが、批判的で苛立つ性質である。
自己の価値を高くしたいという欲求があり、そのために周囲に理解を求めている。
大敗した責任としての批判や苛立ちは新代表選に置き換わり、未練は強く残るものの、執行部の不手際は見まいとして、それらの葛藤の全てを自民党への対抗へと向けている。
①の対抗軸としての戦略の重要性を語る強い意識は、
②の経験による忠告へとトーンダウンしながらも、前原氏とは一線を画しながら、
③に至っては危機感という神経質傾向を示した。
このように神経質傾向に陥った理由とは、様々な情報が不利にもちいられているという恐れが作用してのことである。新代表選の不安感が選挙の大敗と結びつき、さらに大げさな表現となってしまっている。
また「大きな被害があったから立て直す」とは『助ける』ということであり、頼りにされる存在として自己アピールしていることは言うまでもない。しかし助けるという姿勢を見せながらも、他者の自分勝手な行動を嫌うという懸念もあることを多くの人は感じているだろう。岡田の「一枚岩でなければ政権は取れない」と同じ意見である菅氏だから、より自立的な人に強く反対することになる。
より統制的になるとは、より党に依存的であるという欠点を自覚してない。旧社会党系の全体主義的な体質である。
自己を救世主と見立てるファンタジーは、民主党の救済を夢見るのだが、実際は議席を減らした党にしがみついているだけの現実に、さらなる自民への対抗姿勢を強調したり、ことさらに損害と危機感を訴えたりの、大きな心の揺れとしての『不安定さ』を表してしまった。
「余裕のある時ではない」などの不安や焦りを表すのではなく、もっと落ち着いた安定的なリーダーとなるべきではなかったか。
民主党代表選挙
2005年09月17日 両院議員総会
前原誠司 96票
菅直人 94票
2005年9月17日、衆院選敗北を受けて岡田が党代表を辞任する。党代表選挙に立候補して、前原誠司に敗北。
民主党代表選の分析
どんなに対面に拘った人でも、より状況が緊迫してくるとその人なりの本質というものが出てくるものだ。それが政治家であり、特にトップを目指す人であれば、その重責により負の反動が表れたりもする。前代表の岡田氏などはそれが選挙という特別な緊張状態の中、小泉氏への敵対的態度や、国民を脅すような大げさな表現、自分本位の1フレーズ・ポリティックス、感情が表れないなどという反動となった。
民主党代表選の菅氏対前原氏について、新代表選が近づくほどにその発言がどのように変化するのか、ということを分析するとは、より緊張状態に陥るとすればいったいどのような反動が現れるのかという予測になるはずだ。これは今後の民主党を予測する上でも重要である。
新代表選候補者、菅直人
民主党代表選の菅対前原について、新代表選が近づくほどにその発言がどのように変化するのか、ということを分析するとは、より緊張状態に陥るとすればいったいどのような反動が現れるのかという予測になるはずだ。これは今後の民主党を予測する上でも重要である。
菅氏の発言の推移
①「民主党が(自民党に対し)きちんとした対抗軸を出すことが必要」
↓
②「今は世代交代という次元でものを見られる余裕のある時ではない」、「ここで手を打たないと存在感を失う」
↓
③「小泉ハリケーンに痛めつけられた民主党という船の浸水を止め、きちっと港にたどり着いて、立て直す。わたし自身が先頭に立たざるを得ない」
発言は①~③へと変化した。どれも新代表選出前の発言である。
救済型発言→失った議席は民主党にとって大打撃であり、大損害であり、今や沈没寸前の危機を救うのが自分であるという発言だ。
初めは二大政党の意志を感じさせるように対自民への戦略を求めているのだが、それが新代表選が近づくにつれ危機感を煽っていくこととなる。「余裕がない」、「存在感を失う」が、さらに「沈没の危機」を訴え、それを救う自分の使命を強調する。
衆院選に大敗した民主党を救おうという菅氏は、「ぶっ壊れる日本をあきらめない」という岡田と、救世主願望があるという点で似ている。自己の能力をアピールし、自民と対立する姿勢をとるという態度はそのまま踏襲するのではないだろうか。
また共通点として彼も喋りすぎる傾向があり、Oー157の風評被害を起こしその弁解のため貝割れ大根を口いっぱいほおばった顔や、「未納三兄弟」などと自民党の政治家を揶揄(やゆ)してから自らの未納が発覚するなどの失敗が思い出される。
議論好きで向上心はあるが、批判的で苛立つ性質である。
自己の価値を高くしたいという欲求があり、そのために周囲に理解を求めている。
大敗した責任としての批判や苛立ちは新代表選に置き換わり、未練は強く残るものの、執行部の不手際は見まいとして、それらの葛藤の全てを自民党への対抗へと向けている。
①の対抗軸としての戦略の重要性を語る強い意識は、
②の経験による忠告へとトーンダウンしながらも、前原氏とは一線を画しながら、
③に至っては危機感という神経質傾向を示した。
このように神経質傾向に陥った理由とは、様々な情報が不利にもちいられているという恐れが作用してのことである。新代表選の不安感が選挙の大敗と結びつき、さらに大げさな表現となってしまっている。
また「大きな被害があったから立て直す」とは『助ける』ということであり、頼りにされる存在として自己アピールしていることは言うまでもない。しかし助けるという姿勢を見せながらも、他者の自分勝手な行動を嫌うという懸念もあることを多くの人は感じているだろう。岡田の「一枚岩でなければ政権は取れない」と同じ意見である菅氏だから、より自立的な人に強く反対することになる。
より統制的になるとは、より党に依存的であるという欠点を自覚してない。旧社会党系の全体主義的な体質である。
自己を救世主と見立てるファンタジーは、民主党の救済を夢見るのだが、実際は議席を減らした党にしがみついているだけの現実に、さらなる自民への対抗姿勢を強調したり、ことさらに損害と危機感を訴えたりの、大きな心の揺れとしての『不安定さ』を表してしまった。
「余裕のある時ではない」などの不安や焦りを表すのではなく、もっと落ち着いた安定的なリーダーとなるべきではなかったか。
民主党代表選挙
2005年09月17日 両院議員総会
前原誠司 96票
菅直人 94票
2005年9月17日、衆院選敗北を受けて岡田が党代表を辞任する。党代表選挙に立候補して、前原誠司に敗北。
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