へブル書11章を読んだ。
11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
信仰とは1--待ち望まれている事がらの 保証、実質、実体、本質 である。
信仰とは2--目で見られない 事がらの 確信、明るみに出す、証拠、である。
私達もへブル人たちと同じように、困難や問題の中でも、後に来るすばらしいもの、再臨を待ち望んでいます。主の約束は必ず成就することを確信しています。今、目に見えて起こっているコロナやこれに関連する事実だけに目を向注いで平安と喜びを失いかけていたことに気付き、悔い改めました。
11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
昔の人々・旧約時代の聖徒たちは、キリストの贖いのひな型を見て、来臨と再臨を旧約の時代の聖徒たちは、贖い主のひな型だけを見て、本体を知らずに初臨を信じ、再臨を信じ待ち望んでいた。そんな信仰が神に称賛されたのです。
私達は聖書のみことばの、半分ほどの事がらがに成就したことを知っている。残りの半分ほどの事がらも、これから必ず成就するのだと信じるなら、昔の人々と同じようにその信仰が称賛されることになります。
私自身、これから神の約束の内容を細かく学んで希望を持つなら、神を喜び、神に喜ばれる人生となっていくことができることを感謝します。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
私達は悟ります
世が、理路整然と造られ完了していることを、神のことばレーマによって
見えるものが、生じたこと、 現れていないものから
天地の創造主は、無から有を生じさせた。それも見えない神のことばによって。私の回りに置かれているものすべてが、時間も空間も超えた創造主によって造られたものです。それらによって私は支えられ生きています。起こっていること、これから起こることのすべてが、神の大きなご計画の中のことであることです。その神を讃美し礼拝します。
♪♬♪♬♪♬
主の前にひざまずき 心から讃美ささげる
あなたはとこしえに わたしの神
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます