ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

恵みによって祈る その1 恵み

2020-12-01 07:10:42 | へブル人への手紙
へブル人への手紙13章24-25節 最後の締めくくりです。
13:24 すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。
 13:25 恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。

4つの段落でお話します
Ⅰ恵み Ⅱ頌栄と祝祷 Ⅲ指導者と聖徒たち Ⅳまとめ・応答

Ⅰ 恵み
恵みが、あなたがたとともに(ありますように)で締めくくられています。
恵みとはカリス155回 動詞カリゾマイ23回
へブル書の中に6回 この25節がそのうちの最後のもの。
それぞれの個所から「恵みが、あなたがたとともに(ありますように)」という意味を調べます。
二つの側面があります 
A恵みを喜び感謝する 
B恵みを失うことへの警告
A-1ヘブル 2:9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
神であるイエス・キリストが人々の罪の贖いために十字架にかかって死ぬために、この世にご降誕くださいました。それは神の一方的な愛によるものでした。イエスのご降誕から十字架上の死に至るまでの苦しみは、神の恵みの現われでした。
ヨハ3:16。 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
  • アドベントのこのシーズンにイエス・キリストの苦しみの生涯を黙想し、神の恵みを深く覚える時としましょう。


A-2 ②Heb4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
  1. 私達は神のあわれみと恵みによって神と和解し、助け主聖霊を受けています。
  2. 天には審判の御座ではなく恵みの御座があり、イエス・キリストは、父なる神におりにかなった助けを送るようにと執り成してくださっています。自分で自分の信仰を強くすることのできない私達は、恵みによって大祭司であるキリストを通して、大胆に神に近づくことができ、神に近づこうとする者に神はさらに近づいてくださいます。恐れて引き下がる者には聖霊は与えられません。
  3. もっと大胆に祈っても良いのだ。その求めを神は喜んでくださいます。そして聖霊の語りかけに応答して神との交わりを深めて生きましょう。


B-1③Heb10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
1)自分の罪のために十字架についた神の子をあがめないで踏みにじる
2)十字架上の血は、自分達の罪をきよめるためのハギオスの血であるのに、一般のコノイニヤの人の血と同じようにみなした。
3)神の恩恵を理解させる聖霊を軽視して正しくしっかり聞かない
このような三重の罪を犯している者の罪は重い。さらに、一度クリスチャンになったユダヤ人がユダヤ教に戻るなら、この世に調子を合わせて世に戻って行くなら、最悪であって、再び立ち返る道はない。
6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
  • 聖霊により語られたみことばの聞き方を点検しよう。聞くことを怠ったり軽んじて自己中心になった時にはすぐに悔い改めて立ち帰らなくては危ないのです。

B-2④Heb12:15 そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、
「神の恵み」「キリストによる救い」を全うするためには、すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求め 聖められる人生を歩まなくてはならない。そのためには、人はそのための注意深さを失い方向を誤ると、救いからこぼれ落ちることになる。そしてそれは、その人だけでなく兄弟姉妹までもが悪影響を与えることとなります。
  • 信仰から落ちこぼれないよう監督してくださっている牧師、リーダーに感謝し、兄弟姉妹でも、互いに謙遜に注意し合うことができますように。

A-3⑤Heb13:9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。
神の恵みによって生きることを理解せずに、食物=肉の満足、律法的 自分の忠実さ、頑張り、金者禁煙、責任を果たす、このようなことで自分の心を強めようとするならば、マルタのように、他の人をさばいたり、腹が立ったり、嫉妬したりするようになります。
礼拝行為、教会奉仕、あかし・伝道、献金 すべての行ないの動機の源が、神の恵みから出て来るものでないなら益とはなりません。
益となるものと、益とならないもの
ヘブル 4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
ヘブル 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
ヘブル 13:9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。
ヘブル 13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。
  • 自分のすべての行ないの動機の源を点検して、それは益となることなのかを考えて、神の恵みを喜び、みこころに従う生き方を選び取って行けますように

A=B ⑥Heb13:25 恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。(アーメン)
  • 祝福だけではなくと注意・警告も含んでいることに注意したい。

原典によっては、最後にアーメンとあります。これは、礼拝でいうと祝祷にあたります。
 


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