Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

トクプロ「ゾウの鼻歌」@ナビ・ロフト

2004年07月30日 | 舞台特に演劇
緊張感に堪え難くなっているのだろうか?
最近、自分のことを特にそう思うことがある。
疲れているわけでもなく、もしそうであったとしても
言い訳になるような話じゃないし。


すこしうっとうしい気分のまま、地下鉄鶴舞線に揺られていた。

自転車屋が舞台。父(木村庄之助)と娘(長江ヒロミ)の仲は
やはりというか、今時というか上手く行ってない。宅急便が届く。
その先からケンカを始めるから配達の人(若月智美)はなかなか
受け取ってもらえない。ちょうど同じ時に父と野球の練習に
行こうとした電気屋(池野和典)も、ひとりで出かけるわけ
には行かない。

ようやく受け取ったと思ったら中から出てきたのは霊感商法だか
なんだかに引っ掛かった象の置き物。しかも鼻が折れている。

なかなかうまくいかない。

それは、今の私が抱えている状態や環境と似ている部分もあり、
違う部分もある。自分の言葉や行動が、どちらかというと他の何か
に向かって通りにくい状態に直面している、ような感じといえば
わかりやすいだろうか。原因は、自分の側にしかないような気がするし、そうではないような気もする。

もやもやした状態は、観終わった後も晴れないし、今も大して
変化があるわけでもないが、そこから抜け出すヒントが有るとする
ならば、「断定する力」なのではないか、と思う。

「自転車屋ですから」

ラストシーン、借金を返すため家業を手伝うことになった娘が、
訪ねてきた客に自身を表明する。不確定な未来に対して、
せめて自身に拠(よ)って立つことを求め、歩き出した
姿が少しだけ眩しかったのは、控えめにもその力が湧きだしていた
ということなのだろう。

《写真=当の公演パンフレット。》
toku

ベトナムからの笑い声「G.H.Q」

2004年07月25日 | 舞台特に演劇
京都に来ています。
寺町京極のカフェ「ゴッドマウンテン」から、
ただ今打っております。

…神山?いやいや。

きっかけは何だったか、いつの間にか注目していた
「ベトナムからの笑い声」の恒例となったオムニバス
公演。4本立てで正義の味方に立ち向かう「悪の秘密結社」
のフルコースを目撃してきました。

「演劇とコントの境界線上を驀進中」(HPより)の
売り文句に嘘はなかったように思います。単に突っ走るだけ
でない。かといって頭でっかちな演劇に走らない。
あくまで自分達が今現在持っている弾を、いかに
効果的に相手(客席)に当てるかを追求した結果が、
舞台上に結実していたようにみえました。

ただ、前回まで一部で評されていたような「黒い笑い」
の濃度は多少薄まったかなという気も同時に感じました。
これはテーマに乗せた題材(「悪」…)そのものがすでに
パロディーであるところがあるので、構造が隠れた
だせいで、含ませた毒が見えにくくなったのかも、と思います。

舞台としては全く問題なく成立していたので、そんなに
気にするレベルの話でもないし、むしろ疑うべきは、
ベトナムの笑いが「黒い」「毒がある」「パロディだ」と
いう、評価する言葉にあるものの見方そのものかもしれません。

彼らは宣言しています。「ただ、笑える」ことを目指すのだ、
と。十分に達成していたと思います。

また、攻守交替の攻め手が増えました。
しんど。

PCも戻ってきました。なぜか液晶パネルが新しく
なっていました。トップの写真等は、28日(水)を目処に
更新したいと思っています。

さあ、帰ろ。

《写真=また来そうな、「GM」店内》
godm


しばらく延期のご連絡

2004年07月22日 | 日々の雑感
前回(18日付)の当欄で、トップページの写真を更新、
云々とお知らせした件ですが、
あの後私の相方(iBooK
《600Mhz》)がまたしてもダウンしてしまい、
本日からしばらく修理に出すことになりました。
どうも初期不良の一種だったらしく、
ロジックボードエクステンションリペアプログラム
の適用対象機種ですよあなたのPCは、というわけで、
トップも含めブログ以外の更新が遅れます。

しかし…、と思う。電話でアップルコールセンターと
やり取りしながら引取修理のところまでたどり着いたけど、
あの、個人の登録データをこちらの電話を保留にして
確認して、いきなり「ニシムラ様!」と呼ぶのは、
ちょっとどうなんだろうと思わないわけではない。
コンピュータの修理というハイテクな現場にしては、
妙に生々しい。しかも、よくよく考えてみると大して
必要のない生々しさではある。

そんなことを思うのも、普通の家電品と違って、
対面で修理を目撃した経験が少ないという理由が
あるかもしれない。エアコンだとか洗濯機、さすがに電子
レンジはコンピュータの側だったが、
大抵の電気器具は故障の場合、サワダ電化の沢田社長が
直して帰る物だったのである。ニシムラ家では。

今回の修理の周辺事情は、前からブックマークに入れて
おいた、宮沢章夫さんの「富士日記」(現在は新シリーズ
「不在日記」)でずいぶん勉強させていただいた。
ありがとうございました。それ以外にも宮沢さんの
このシリーズ、恐ろしいまでの密度と内容の濃さなので、
一度訪れていただきたい。今日の文体もかの日記の文体
を少しでもまねようとしたのだが、ご覧の通りの体たらく、
である。宮沢章夫の中にはデーモンが棲んでいる。

昨日は七ッ寺共同スタジオについにやってきた「五反田団」
を観に行く。刈馬カオスさんや品川浩幸さんが寄せていた
言葉ほどには、実は期待していなかったのだが。

しかし。

パンチカーペットの上に平台を何の装飾も
なく立てただけのセットで起こった、80分少々の、
奇跡のような時間を、私は3ヶ月くらいは忘れないような
気がする。

ある意味世界の中心で

2004年07月18日 | インプロについて
昨夜は午前3時前まで、新宿である劇団の主宰者を交えて
だらだらと飲んでいまして、ようやくキンコーズのPCの前に
たどり着きました。頭おかしいわ、この街は。


朝、「ムーンライトながら」で東京駅。その時から、
即興実験学校に行く前にどうしても寄っておきたい場所
がありました。別に誰かに会う、何かを観に行くという
わけではなく、単に「そこ」に行くということだけの
ことです。

中学2年の冬、友達同士で初めて東京へ遊びに来た時も
そこに行って、ただぼーっとしていたような気がします。
そこから見える景色はそれまでの人生で出会ったことの
ない、重々しくて、それでいてぼんやりしてるような、
なんだか説明のつかない難解なものでした。ただ言えたのは、
しばらくここに居たい、という強い感情があった
ということくらいでしょうか。

トップページに、前回のこのブログ(7/16付)で登場
したラジオを持っていって記念撮影をしてきた、その写真を
自宅に帰ったらアップします。一体どこなのか、
お判りになったらコメントでも下さいませ。

ワークショップの模様をまとめています。
いつもの通り(?)、暫くお待ちいただきますが、
その文章をカレーを食べながら考えている時に、
「ああ。インプロであることよ…」と思えたことを
ご報告したいと思います。

こういう(↓)風に物が並んでいまして、
いいなあ、というアイディアが浮んだ瞬間、さっさと
荷物を片付けようとして、見事に行き詰まる自分が
想像することが出来たんですね。

…だって、コーヒー残ってるし。もったいないし。

ぽん

それだけです。
当然のごとく、明日もこのフラフラ旅は続きます~。




時間旅行

2004年07月16日 | インプロについて
ナインティナインのオールナイトニッポンを久しぶりに
聞こうと思ってラジオを付けたら、ニッポン放送が何年かぶりで
有楽町(創業の地)に戻ることを記念する特別番組。

本当に久しぶりに、AMで桑田圭祐の声を聞いたような気がする。
FMならば国営放送の「ミュージックスクエア」があったし、
現に今もJFNの土曜夜で聞けるわけだが、あの人が喋っていた
頃といえば小学生。それも低学年。演劇やらインプロやら
を志すなんて露程にも思わず、どこにでもいるような小太りの
いじめられっ子ライフ@愛知県を送っていた。

そうだ、かつて私はラジオ少年だった。
中学への進級祝いだったか、買ってもらったラジカセの
小さな周波数の小窓に無理やりテープを貼り込んで、
これは毎日放送、これは朝日放送、東北放送、中国放送、
KBC九州朝日放送と雑音だかなんだかよくわからない電波を
必死につかみ取ろうとしていた。なぜだか名古屋の局にあんまり
興味がなかった。多分今から考えるに、「外部」に行きたかった
のだと思う。いじめとか、そうはいえなくても自分にはそうと
しか思いようのないような(実際はこっちの方が多かったのだろう)
精神的なストレスから解き放たれて、楽になりたかったのだろう。

あの時のような重圧はもう結構だと逃げようとしても、
多かれ少なかれ矢面に立つのが大人の生活だし、実際今の
私の毎日もそうだ。そうなんだけど昔と違うのは、
固い、重い、苦しいといったことと、緩やかで、軽くて
心地よいといったこととは一体であり、自分の心の
構図を切り直すことでいつでも「跳べる」自分がいる、
その存在を教えてもらったということだと思う。

ま、うまく行かないこともあるんだけど。
今日の夜、もろもろ転機を与えてくれた即興実験学校へ、
久しぶりの出講です。
radio

水面を走りながら

2004年07月14日 | 日々の雑感
書かなければそこに何があったか、知られることはない。
言わなければ、思っていることを伝えるのは難しい。

それが何かに対してすぐに届く言葉なのか、
それともどこかで突然発見される思いなのか、それらを
発する人間自身にすらわからないことも多いはずだ。

私はこのブログをそんな気持ちで書いている。
陸(おか)の上から、水面を見つめる視線のように
その立っている場所のおぼつかなさといったら、ない。

下手でもやる。注目されずともやる。
金にはできる範囲で糸目はつけない。とにかくやる。

仕事から上がって、自宅で片付けをした後スタジオへ。
懸案になっている原稿を前にぶつぶつ。仕事を休めれば
その後TAKE IT EASY!の公演に駆け付ける
つもりだったが、まるで無理だった。やはり開演の200分
前にには出ないと間に合わないところがつらい。

結局、稽古なんだか雑談なんだかわからなくなって21時半に終了。
到達点は、まだ見えない。

<写真=相棒が戻ってきた。HDを交換して、
昔の思い出は全部消えた…。>
ibook

名古屋/朗読

2004年07月11日 | 朗読・声の周辺
貯金は続かない性質(たち)だ。
これこれこれだけの金額をよけて、後から銀行にでも
預けに行こうといっても、大抵は使い込んでしまい、
貯金にする金だったのか、生活費にする金だったのか
曖昧な境界線はその形を隠すことになる。


人生に明確な境界線など引けはしない。すべては
心が決める曖昧な切り分けの連続でしかないと
言われれば、まあ、確かにそうなのだが。

タイトルのような語句でググる。
Googleで検索して、望むサイトを探して
回る。
まだ切り口はあるだろうが、朗読会たるもの、

①作家や詩人が自分の作品を書店やカフェ、
 ギャラリーといったところで朗読する。

②医療、介護、障害者福祉の現場で、機能回復の
 ための手段としての音声表現の一種として
 用いられる。  

③人権や環境問題といった社会の諸事象に対する
 啓発活動の一環として用いられる。


…けっこう真面目なのだ。そんなこといっては怒られそう
だけれども、とりあえず探してみた限りでは上の3つの
ような種類に分けられるようだった。もし、きちんと
作品として作りこむことをすれば、それらとは別に、
「笑える朗読」というものを作れるかもしれない。

そんなことを考えながら、公演予定日までの
スケジュールを考えている。根本的な読む技術の
上達、作品の選定と構成、編集、当然公演としての
制作の諸作業も待っている。1人を起点として
久しぶりに行う作業のため、いろんな方に協力を仰がねば
なるまい。

何だか仕事しているとか言いながら、
何にも決まっていない風情がありありとしているが、
公演日は11月の第1週(6、7の土日)もしくは、
12月の第1週(4、5の土日)にしようと考えている。
これには多少の理由があって、それはおいおい書いきたい。

《写真=相方(人ではなくiBook)がロジックボード
異常でお休み、親のPCで更新中》
down

今夜のワイプ・アウト

2004年07月09日 | 日々の雑感
28歳も後半を迎えてくると、
自分の意志だけではどーにもならんことが、
日増しに多くなってくるもので、
その多くは
自分の本職である学校の仕事、そして当然表現(あえて
演劇とは書かない)の方面にも出てくるものだ。

でも、そこを「何ともならない」と答えを曖昧にして、
一等現在の状態を傷つけないように逃げてばかりいると、
手痛いやけどを負うことになる。信頼を失う。何もかもが
ムダになったような気がする。とにかく良いことなんて
何もないという事態に陥る。

分かっているはずなのに、その原因が発生するところに
まさに立ち会っていたはずなのに。本当に度し難い奴である
ことだ、と思う。

以上、先月から先週にかけての愚痴終わり。
さ、週末、週末。

《写真=仕事場にて一景》
koushou.jpg

桜姫のお遊戯草子「シセイ」

2004年07月04日 | 舞台特に演劇
初見。
独房女子更衣室の「好色四人遊女」に似た作りの舞台。
カラオケマイクを使った導入に嫌な予感。
しかし。
堅実な構成に失礼な話だが少し驚く。
もっと、勢いで片付けようとするのかと思っていたのだ。
物語の中盤、刺青を刻み付けるところからの流れの
鮮やかさは記憶されていい。

役者として舞台に戻ることを決めた人間には、
勇気づけられる芝居だった。本当に、頑張ろうと思った。
恥ずかしい話だが、そういうことなのだからしょうがない。

shisei

あえて声に出さずとも

2004年07月03日 | 朗読・声の周辺
AfroWagenでは、この冬に向けてある企画を始動します。


人の音声は、人を奮い立たせも、沈ませることもできる
力をもった表現です。しかし、余りに身近であることから、
とりたてて話題になることも少ない表現でありました。
かつては。

しかし今はどうでしょうか、「声に出して読みたい日本語」
が空前のベストセラーとなり、国営放送の、しかもラジオ
第2とかで細々と流れていた朗読番組が一躍脚光を浴び、
草葉の陰から徳川夢声翁も飛んで火にいる夏の武蔵、
てなわけで、見る間に「読む」ということに注目が集まっ
ています。

…でも、そういうブームも斜めから見てみると、
何だかおかしいんですよね。別に日本語の美しい響きを、
いつも古文や俳句、明治大正の文豪の名作ばかりで
感じ取っているわけではないし、だいたい徳田秋声なんて
約10年ぶりに名前聞いたし、何で五七調のものばかりなんだ、
とか突っ込みどころは、いろいろあるのです。

そこらへんを切り口にして、12月、私のルーツとなった
劇場でお会いできればと思っております。「あえて声に出さずとも
良い日本語」。どうぞ宜しくお願いします。

《写真:見よ、月が後を追う(C/丸山健二)》
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