2005-05-14 00:00:00 幻の還暦 ~ 在日文化人たち ~
名づけえぬものに触れて≪ ただいま、です。 | Main | 還暦 ≫
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2005年05月10日
今日も、いいお天気ですね。
明け方、息子の泣き声で目が醒めた。
「チョーセンジンじゃない! チョーセンジンじゃない! チョーセン
ジンじゃない!」
うなされている。
「どうしたの……だいじょうぶだよ……夢だよ……」
と背中を撫でながら、ショックだった。
わたしは、<チョーセンジン>という言葉を使ったことがない。
カレもだ。
昨日から幼稚園がスタートした。
<おともだち>にイジメられたとしか考えられない。
5歳の<おともだち>が、<チョーセンジン>の意味を知っているは
ずがない。
GW中に、<おかあさん>が<おとうさん>や<おじいさん>や<お
ばあさん>に、
「柳さんってチョーセンジンなのよね。チョーセンジンってやぁね」と
話しているのを聞いたのだろう。
そんな風に、差別意識は親から子へと伝達される。
わたしが、最初に<チョーセンジン>と罵られたのも、たしか5歳の
ころだった。
今日は遠足。
朝、<チョーセンジン>について話し合う時間はなかった。
さっき、母に電話した。
母は、「悔しいわねぇ」といって、嗚咽した。
5歳のときに日本に渡ってきた母も、いやというほど<チョーセンジ
ン>と罵られてきたからだ。
遠足から帰ってきたら、そうだな……いちばんリラックスするお風呂
の時間に訊いてみよう。
日本と韓国、日本と北朝鮮は、友好的な関係を築いているとはいえな
い。
とりわけ北朝鮮とは、敵国とはいわないまでも、息子が成人するまで
のあいだには、さまざまな衝突が起こることが予想される。
知らされていることは僅かなのに、知っていると思い込んでいる。
知らないことによって敵意は育てられる。
すくすく、すくすくと、大きな木に育つ。
いつしか森になっている。
どこまでも、どこまでもつづく敵意の森。
森から抜け出すのは難しい。
お風呂のなかで、韓国と日本、北朝鮮と日本、韓国と北朝鮮の関係に
ついて、話さなければならない。
泣いている場合ではない。
Posted by 柳美里 at 2005年05月10日 11:34 | TrackBack
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Comments
柳美里さん
あなたのクソバカ発言はこちらでしっかり残っていますので、どうぞ
安心してください。
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1116070612/
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1116065554/
Posted by: t at 2005年05月14日 21:15
テラワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwうぇwwwwwwwwww
wwwっうぇwwwwwwww
Posted by: VIPPER at 2005年05月14日 21:17
判りました。
日本も今ここで行われたように
WW2で行ったとされる数々の悪行をここのコメント全て削除した様に、
全て無いことにして突っ張ればいいんですね。
半島の兄の国出身者の方よありがとう
Posted by: 愛国無罪 at 2005年05月14日 21:17
国民を拉致した上に、血の精算をとか不倶戴天とか言ってる連中が敵
じゃないんですか。そもそも在日が何をしてきたのか、少しは振り返っ
たらどうです?それとも、本国人からも棄民扱いで蛇蝎のように見られ
てるから根性曲がっちゃって無理ですか?
Posted by: 不貞鮮塵 at 2005年05月14日 21:17
片っ端から削除されるのはいかがでしょうか。まともな文化人ならば
反対意見にも耳を傾け、感情とは別のところで議論ができるはずです。
あなたがやっていることは文化人どころか、あなたの祖国の嫌いな帝国
主義的な方法です。
Posted by: G at 2005年05月14日 21:17
ここは朝鮮人の本性がよく分かるコメント欄ですね
Posted by: VIPPER at 2005年05月14日 21:18
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>>
2005年05月12日
還暦
昭和20年5月12日、東由多加は台湾で生まれました。
今日は60回目の誕生日です。
おめでとう、とはいえない。
死んでしまったから。
5年前に……
朝起きて、まず仏棚(仏壇に閉じ込めるのはイヤだったから、本棚の
一等席に拵えました)を拭いて、庭に咲いている小菊を切って萩で買っ
た花瓶に生け、遺影のガラスにスプレーをかけたら、あなたの目から涙
のように流れ落ちて……
お線香に火をつけて、あなたが好きだった柏餅と串ダンゴをお供えし
ました。
生きていたら、あなたに赤いチャンチャンコを着せて、還暦の宴をひ
らいていたはずなのに……
命日より、誕生日のほうが哀しい。
Posted by 柳美里 at 11:40 | Comments (2) | TrackBack (0)
── 柳 美里《名づけえぬものに触れて 20050512 》
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作成日: 2005.05.14(土)
名づけえぬものに触れて≪ ただいま、です。 | Main | 還暦 ≫
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2005年05月10日
今日も、いいお天気ですね。
明け方、息子の泣き声で目が醒めた。
「チョーセンジンじゃない! チョーセンジンじゃない! チョーセン
ジンじゃない!」
うなされている。
「どうしたの……だいじょうぶだよ……夢だよ……」
と背中を撫でながら、ショックだった。
わたしは、<チョーセンジン>という言葉を使ったことがない。
カレもだ。
昨日から幼稚園がスタートした。
<おともだち>にイジメられたとしか考えられない。
5歳の<おともだち>が、<チョーセンジン>の意味を知っているは
ずがない。
GW中に、<おかあさん>が<おとうさん>や<おじいさん>や<お
ばあさん>に、
「柳さんってチョーセンジンなのよね。チョーセンジンってやぁね」と
話しているのを聞いたのだろう。
そんな風に、差別意識は親から子へと伝達される。
わたしが、最初に<チョーセンジン>と罵られたのも、たしか5歳の
ころだった。
今日は遠足。
朝、<チョーセンジン>について話し合う時間はなかった。
さっき、母に電話した。
母は、「悔しいわねぇ」といって、嗚咽した。
5歳のときに日本に渡ってきた母も、いやというほど<チョーセンジ
ン>と罵られてきたからだ。
遠足から帰ってきたら、そうだな……いちばんリラックスするお風呂
の時間に訊いてみよう。
日本と韓国、日本と北朝鮮は、友好的な関係を築いているとはいえな
い。
とりわけ北朝鮮とは、敵国とはいわないまでも、息子が成人するまで
のあいだには、さまざまな衝突が起こることが予想される。
知らされていることは僅かなのに、知っていると思い込んでいる。
知らないことによって敵意は育てられる。
すくすく、すくすくと、大きな木に育つ。
いつしか森になっている。
どこまでも、どこまでもつづく敵意の森。
森から抜け出すのは難しい。
お風呂のなかで、韓国と日本、北朝鮮と日本、韓国と北朝鮮の関係に
ついて、話さなければならない。
泣いている場合ではない。
Posted by 柳美里 at 2005年05月10日 11:34 | TrackBack
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Comments
柳美里さん
あなたのクソバカ発言はこちらでしっかり残っていますので、どうぞ
安心してください。
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1116070612/
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1116065554/
Posted by: t at 2005年05月14日 21:15
テラワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwうぇwwwwwwwwww
wwwっうぇwwwwwwww
Posted by: VIPPER at 2005年05月14日 21:17
判りました。
日本も今ここで行われたように
WW2で行ったとされる数々の悪行をここのコメント全て削除した様に、
全て無いことにして突っ張ればいいんですね。
半島の兄の国出身者の方よありがとう
Posted by: 愛国無罪 at 2005年05月14日 21:17
国民を拉致した上に、血の精算をとか不倶戴天とか言ってる連中が敵
じゃないんですか。そもそも在日が何をしてきたのか、少しは振り返っ
たらどうです?それとも、本国人からも棄民扱いで蛇蝎のように見られ
てるから根性曲がっちゃって無理ですか?
Posted by: 不貞鮮塵 at 2005年05月14日 21:17
片っ端から削除されるのはいかがでしょうか。まともな文化人ならば
反対意見にも耳を傾け、感情とは別のところで議論ができるはずです。
あなたがやっていることは文化人どころか、あなたの祖国の嫌いな帝国
主義的な方法です。
Posted by: G at 2005年05月14日 21:17
ここは朝鮮人の本性がよく分かるコメント欄ですね
Posted by: VIPPER at 2005年05月14日 21:18
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2005年05月12日
還暦
昭和20年5月12日、東由多加は台湾で生まれました。
今日は60回目の誕生日です。
おめでとう、とはいえない。
死んでしまったから。
5年前に……
朝起きて、まず仏棚(仏壇に閉じ込めるのはイヤだったから、本棚の
一等席に拵えました)を拭いて、庭に咲いている小菊を切って萩で買っ
た花瓶に生け、遺影のガラスにスプレーをかけたら、あなたの目から涙
のように流れ落ちて……
お線香に火をつけて、あなたが好きだった柏餅と串ダンゴをお供えし
ました。
生きていたら、あなたに赤いチャンチャンコを着せて、還暦の宴をひ
らいていたはずなのに……
命日より、誕生日のほうが哀しい。
Posted by 柳美里 at 11:40 | Comments (2) | TrackBack (0)
── 柳 美里《名づけえぬものに触れて 20050512 》
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東 由多加 劇作/演出 19450512 長崎 東京 20000420 54 /異19450513 台湾/1969東京キッドブラザース結成~黄金バット ♀柳 美里 小説/劇作 19680622 横浜 /劇団・青春五月党主宰 在日韓国二世=柳原孝(パチンコ釘師)&梁栄姫の長女 /1996年下期芥川賞《家族シネマ》19990622出版差止判決《石に泳ぐ魚》 /《柳美里の自殺/家族の標本/私語辞典/自分の死亡記事を書く》 柳 丈陽 美里の長男 200001.. 東京? /在日韓国三世 父は妻子あるテレビ局ディレクター「この世で最初に対面し抱き上げ たのは、母親でもなく、父親でもなく、赤の他人の東 由多加だった。」 ♀柳 愛里 女優 19711221 神奈川 /在日韓国二世=美里の妹。
作成日: 2005.05.14(土)