adlibrary

余波文庫
(↓移転中)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/rss

 勝谷誠彦の土下座

2005-06-16 00:00:00 | goo blog
 2005-06-16 00:00:00 勝谷誠彦の土下座
 
 切れ目のない悪文、土下座三連発! 通算アクセスNo.!。
 14609153 ÷ 36305 = 402.4
 19960101-20050616 = 36305 days
 
>>
 
 勝谷誠彦の××な日々。
 
■2005/06/16 (木) 築地をどり夏の土下座公演今日から1面左で開演。
 
 5時起床。JALに乗るのは文字通り命懸けになってきた。昨日のB767
機の着陸時前輪脱落事故http://www.asahi.com/national/update/0615/TKY200506150299.html
はその後の対応について私は驚きを禁じ得ない。まず事故直後のJALと
国交省の行動だ。福知山線の事故の時に私は事故現場に勝手に立ち入っ
て写真を撮りまくり「擦過痕」なる今となっては嘲笑するしかないもの
を示して事故責任を転嫁しようとしたJR西日本を指弾した。ところが今
回も事故直後の映像を見ると明らかに航空・鉄道事故調査委員会の係官
ではない人間が現場からコロコロと外れたタイヤを除去し途中で滑走路
に落ちた破片などを拾い集めている。そして日航は会見を開き「整備上
問題はなかった」「着陸直前まで異常はなかった」と断定した。どこか
で見た風景である。鉄道事故よりも更に重大な結果をもたらしかねない
航空機事故で国交省は航空会社のこの対応を許していいのか。私が今回
とりわけ現場の証拠を重視するのは人為的な破壊工作を懸念するからで
ある。車輪はパンクしてから外れたのではなくホイールがまず外れてそ
れからパンクしたとも考えられる。その場合車輪を脚に留めている金具
を何者かが離陸前に外していた可能性があるのではないか。ご存じのよ
うに日航内部では機体の配線の切断など内部での破壊工作としか思えぬ
事件が起きている。その背景にはただでさえややこしい労組関係がJAS
との合併によって更に複雑化したということなどがあるが大陸方面から
来た工作員の関与も考えられぬことではない。さすがに警察に強い読売
がこう書くのは
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050615it15.htm
そのあたりを視野にいれているものと思われる。もうひとつは目下の危
機として原因が不明なまま事故機と同じ型のB767が飛び続けていること
だ。JALだけでも36機に及ぶが各航空会社は飛ばし続けたまま点検を続
けるつもりらしい。確かに飛行停止は莫大な損害をもたらすだろうが着
陸時に前脚が壊れるかもしれない飛行機に乗りたい乗客がいるだろうか。
商売と人命とのギリギリのせめぎ合いが目の前で行われていることを私
たちは知った方がいい。航空機事故に関してはこんな労作のサイトがあ
り2000年代のアクシデントを見るだけでも勉強になる。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/civil_aviation/cadb/disaster/jadrnen2000.htm。
飛行機とは修正しつつ飛んでいるものであることがよくわかる。
 
■2005/06/15 (水) ひめゆり騒ぎの記者は息子が青学落ちたんじゃねえか。
 
 4時起床。ようやく風邪が完全に抜けたようで絶好調。昨日は
『ムーブ!』までの間にホテルの部屋で『北海道新聞』『WiLL』『旅』
と書き上げる。昨日書いた青山学院高等部の入試問題について多くの人
から原文を見ることができるURLを頂戴した。まさにわが情報部員は世界
中にいるわけで感謝に耐えない。こちらである。
http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf。
4ページ目にいくと問題の長文があって読むことができる。私が最初に
読んだのは先程の原稿を書いている合間だったのでナナメにだったが一
読驚嘆した。ひとつはまことによくできた文章であることにである。教
師が子どもの気持になって書いたというのだが子どもらしい素直さがよ
く出ている。と同時に私がかねてから指摘している「戦争のリアリティ
を知らずして戦争の怖さはわからない」ということを見事の言い当てて
いるのである。きちんとした翻訳で読んでいただきたく折しもこの問題
でメールをいただいたわが情報部員の中でオークランド駐在のM嬢にお
願いした。こちらである。
http://blog.goo.ne.jp/bambamtang/。
どうです。特に父祖を親族をわが国の防波堤として捧げてくださった敬
愛する沖縄の良民常民のみなさん。どこが問題なのでしょう。文中で作
者は防空壕の中での手触りとしての感触に戦争の刃の恐怖を痛感する。
それとの対比としてひめゆりの語り部の物語に「モノとしての戦争と反
戦」を感じているのである。そこから話をさらに支那の反日に持ってい
くあたりはいささかあざといほど見事な文章である。しかもこれを英文
のテキストとしたことは鋭い。リアリティから目をそらさず物語を疑う
この思考方法こそがまさに欧米人のそれだからだ。おそらくこの文章は
ひめゆり商売の連中の最も痛いところを突いたのだろう。これもいつも
言っているように「戦争を知らずして平和は語れない」のである。だか
ら子どもたちには駐屯地で武器を触らせるべきであり日本軍がいかに闘
って死んでいったかを教えるべきなのだ。そのことに蓋をして情緒的平
和踊りだけをしている愚かさをこのテキストはまさに指摘している。反
戦ゴッコに胡座をかいてイデオロギーや金に代えてきた勢力が沖縄をは
じめとするこの国の「平和運動」を食い物にしてきたのは紛れもない事
実だろう。無責任な記事を書き散らしている記者諸君。まさか原文全文
に当たっていないなどということはないだろうね。
 
■2005/06/14 (火) 青学は学問の府の責任として問題の全文公表せよ。
 
 5時半起床。日本人の劣化の最たるものは「謝れば済む」と思ってい
ることだと日々感じているがまあ元首相どもから衆院議長までが支那朝
鮮に土下座をどりを繰り返しているのだから下々がそうなるのも当たり
前だろう。そのうち一度ゆっくり書こうと思っているが私が最近腹にす
えかねているのは無闇矢鱈と謝り続ける東京のタクシー運転手どもだ。
奴らが一般人よりも道を知らないのは今や国際的常識だからあきらめる
としても乗り込んでいきなり「始めたばかりなので道を知りません。す
みません」と謝り出す。無茶苦茶なコースを行くので指摘すると謝り続
けたあげくに「料金はいりません」「じゃあ1000円で」と土下座する。
たとえ自分が損をしてもとにかくその場を逃れればいいのである。こう
いうクズと長い会話をすると脳が腐るので私はたいがい正規の料金より
多めの紙幣を押しつけるようにして逃げるがそこには自分の間違いを分
析して次の雪辱につなげようという向上心のカケラもない。狗猫奴隷の
論理である。青山学院という学校もどうやらそうらしい。春先の入試で
起きた出来事が6月23日の沖縄慰霊の日の直前に急に浮上して大騒ぎに
なるうさんくささをある読者は終戦記念日前後に支那朝鮮にご注進する
売国奴のせいで毎年繰り返される築地をどり土下座の所作に倣って
「摩文仁をどり」とメールをくれた。言い得て妙である。早速土下座使節
を送った青学の阿呆どもの写真を一面に載せて大はしゃぎの琉球新報を
見ればよくわかるというものだ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-3116-storytopic-1.html。
今回の件については多くのメールをいただいたが驚いたのが沖縄の人々
からの声だ。沖縄の悲劇を語り継ぐことの尊さはもちろん認めながらも
それをイデオロギーや金に代える連中のせいでどれほど沖縄が新たな蔑
視を受けているかを縷々とつづられたものが目立った。ユダヤ人の過剰
な被害者意識に困惑するイスラエル関係者やエセの跳梁を嘆く解放
運動の闘士たちと同様な悩みである。沖縄の方々ですらかかる問題意識
があるというのに学問の府である当の青学のこの低能ぶりはどうだ。http://www.aoyamagakuin.jp/news/2005/koutoubu/0610/0610.html。
これほど空虚で無内容な日本語を私は久々に見た。おまえら人を教育す
る能力ないよ。青学の教職員生徒は恥じよ。もう一つ謝罪馬鹿マンダム
のCM問題勃発だがまだ記事リンク見つからないので明日お楽しみに。
 
http://www.diary.ne.jp/user/31174
── さるさる日記
 
<<
 
作成日: 2005年6月17日(金) 10時17分

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (亜衣)
2005-06-23 10:17:49
「沖縄慰霊の日」で検索してたどり着いた者です。

辺野古の米軍ヘリ基地建設阻止運動を支援しています。

母の故郷なので。

私は関東で生まれ育ち、実際の沖縄をまだまだ知らず、

でも何か私にできることはないかと手探りして、

現在に至ります。



「沖縄の悲劇を語り継ぐことの尊さはもちろん認めながらも

それをイデオロギーや金に代える連中のせいでどれほど沖縄が新たな蔑

視を受けているかを縷々とつづられたものが目立った。」

この言葉は胸に突き刺さりました。

沖縄県民が反基地運動に腰が重く見えるのはどうしてなのか…

と、ずっと思っていましたから。



そんな面もあるんですね…悲しいことです。

腹立たしいことです。

でも、私が支援している運動は、「金に代えてる」なんてことはないと信じています。

イデオロギー色は、持っている人もいれば持っていない人もいます。

私は辺野古の座り込みにも参加してきましたので、

それは断言します。

基地建設の作業員に暴行されて怪我をした女性のお宅に泊まらせてもらいましたが、

イデオロギー色のある話は一切出ませんでした。

全国から集まった支援金も、運動の経費以外には使われていないと納得して帰ってきました。



はじめましてなのに、突然の長文で失礼いたしました。

青学の原文と訳文、これから読ませていただきます。

トラックバックもさせていただきました。
返信する

コメントを投稿