新・平家物語〈2〉 (吉川英治歴史時代文庫)吉川 英治講談社このアイテムの詳細を見る |
「新・平家物語(二)」吉川英治 講談社
武者の世始まる
確か「愚管抄」にこのように書かれたのがこの保元の乱・平治の乱のあたりだったと思う。
ちなみに「愚管抄」を書いたのは慈円といって九条兼実の弟。
九条兼実は名門摂関家の藤原忠通の息子。
だから慈円も忠通の息子で、貴族代表と言える。
平家物語はこの慈円が書いたとか後援者だったとかいう説がある。
平家物語がどこか貴族社会に同情的なのもうなずけるわけだが、この慈円の父・藤原忠通とその弟頼長の争いが保元の乱である。
もちろん後白河天皇と崇徳上皇との戦いでもあるが、摂関政治華やかかりし平安朝なので、天皇や院にはあまり決定権はない。保元の乱は忠通や頼長を中心とした側近達の争いなのだ。
天皇や院はただの御旗である。
だが実は、忠通や頼長も御旗となりつつあった。
保元の乱の主導権を握ったのは源氏と平氏それぞれの武将たちである。
それが如実に暴露されるのが平治の乱だ。
保元の乱の時は、頼長は源為義など武者の意見を聞かずに負けた。
忠通は、というよりその影で暗躍した信西入道は清盛や源義朝などの武者の意見を取り入れた。と言えば、忠通の方が主君として器がありそうだが、この信西入道は平清盛と同じ中流階級の貴族。
ということは、中流階級に牛耳られた方が勝ったということになる。
これがどんなに天地が逆転するようなことだったか。
平治の乱ではもはや貴族の考えとか思惑とかを越えて、平清盛と源義朝が直接戦の指揮をとっている。
例えば孫子の兵法は武士の必読書のように考えられているが、この時代は貴族のもの。頼長はこの兵法を修めていたために文武に秀でていると自身のことを豪語していた。
武士は文字すら読むことができなかったから、当然だが兵法のへの字も知らない。
この兵法が武士階級全般に読まれるようになるのは江戸時代だと言われれば、頼長が武士を馬鹿にした気持ちも分からなくもない。
そして貴族が当然のように武士に命令していたという事実も想像に難くない。
現代は武士=軍人というイメージがあるからなぜ彼らが兵法を知らなかったのかピンと来ないかもしれない。
だが、当時の階級的には武士=兵卒である。
彼らを指揮するのは中将とか大将と呼ばれる人たちだ。そしてこの地位に着くのはだいたい名門貴族の若君と相場が決まっていた。
だが、そのすべてが変わったのが保元の乱と平治の乱だ。
武士が貴族に命令する時代が来たのだ。
しかし当事者たちはまだそのことに気付いていなかった。
ただ自身に降りかかる火の粉を払い続ければ、ただ家族との幸せを追求していけば、先頭に立っていた。
吉川英治の描く平清盛と源義朝像はそんなイメージを感じる。
この描かれ方には多少不満があるが、案外そんなものかもしれない。
そして自身の運命を知らない新たな脇役達がちらほらと現れつつある。
熊谷次郎とか斉藤実盛とか平家物語でおなじみの武将の名前を聞くにつれ、「おお」と妙な感慨にふけってしまう。
彼ら若侍たちが来たる源平合戦でどのような運命に行き会うのか。
知っていてもなぜかワクワクしてしまうのが吉川平家なのだろうか。
ページを繰る手ももどかしく、平治の乱中盤で物語は3巻へと続く。
明日には本屋へ駆け込んでいるだろうが、多少の不満を書き記しておく。
吉川英治の文章からはどうも貴族政治の行き詰まりを感じることができない。
新しい武者の世が始まるのだから、貴族政治の腐敗を描いてくれれば新しい時代の到来を感じることができたと思うのだ。
なのに、貴族達にはどうしようもない奴もいるがそれでもその政治にはどこか清涼な感じがする。
また清盛も、あそこまでのし上がるにはそれなりに汚いことをしてきているだろうに、何かおきれいな感じがする。
女を伝手にコネを作るとか賄賂を渡すとか、当時では当然のように行われていた。実際に彼以外の登場人物はそういう汚い部分も持っているのに、彼だけがきれいなままだ。
政治の腐敗と行き詰まりに関しては現在では盛んに言われているが、吉川英治の生きた時代ではまだそこまで行き詰まりを感じなかったのだろうか。
そしてまだ政治家への期待が残っていたのだろうか。
貴族政治にどこかいくばくかの同情を感じるのは原文の平家物語が悪いのか。それとも時代の流れが悪いのか。
ともかく源義朝にはたくさんの愛人を作り、平清盛には一人もいないのはいささかバランスが悪いように思う。
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