今日はたまたま農園の近くにある廃屋の解体作業を手伝いました。
家主の死後1年ほど放置されていたようで、築50年ぐらい?の古さも手伝って、良い感じに朽ち果てていました。
残されたものの中から、ふとアルバムを発見。
それをめくると、笑顔で写る生前のおじいちゃんやおばあちゃん、娘さん?やお孫さんさんの写真、まだ生活感のあった頃の家の写真など、いろいろな写真が残されていました。
アルバムの全ページの3分の1ほどしか貼られていない、少ない写真。
おそらくお孫さんの誕生あたりから残し始めたのでしょう。
誰かの結婚式や洞爺湖への家族旅行、家で近所の人との宴会や何気ない軒先の風景…。
自分はその人たちをまったく知らないのに、そのアルバムは僕に、やさしく彼らの人生を語るのでした。
アルバムというものは、自分のものでもいろいろ思い出し懐かしむことができますが、
まったく知らない他人のアルバムも、なぜか同じように懐かしい気持ちにさせます。
個人を超越した何かを語るアルバム。
それは、短くはかない人の一生というものを、今一度生きている者に諭すように語りかける、ひとつの歴史書なのかもしれません。
(追伸)
こういう解体作業で廃棄するものの中に、本能的に必ず捨てづらいものがあります。
そのひとつ、家が壊される最後まで残された、お子さんが小学生ぐらいに作った工作。
今日は馬をかたどった、ゆがんだ木工のイスでした。
そのイスを手に取る前に、残された写真から、家主のもともとの家業が競走馬生産だったことを知っていました。
大量生産された既製のイスはすぐに捨てられるけど、
これが何故だか、捨てづらいんだなぁ。
家主の死後1年ほど放置されていたようで、築50年ぐらい?の古さも手伝って、良い感じに朽ち果てていました。
残されたものの中から、ふとアルバムを発見。
それをめくると、笑顔で写る生前のおじいちゃんやおばあちゃん、娘さん?やお孫さんさんの写真、まだ生活感のあった頃の家の写真など、いろいろな写真が残されていました。
アルバムの全ページの3分の1ほどしか貼られていない、少ない写真。
おそらくお孫さんの誕生あたりから残し始めたのでしょう。
誰かの結婚式や洞爺湖への家族旅行、家で近所の人との宴会や何気ない軒先の風景…。
自分はその人たちをまったく知らないのに、そのアルバムは僕に、やさしく彼らの人生を語るのでした。
アルバムというものは、自分のものでもいろいろ思い出し懐かしむことができますが、
まったく知らない他人のアルバムも、なぜか同じように懐かしい気持ちにさせます。
個人を超越した何かを語るアルバム。
それは、短くはかない人の一生というものを、今一度生きている者に諭すように語りかける、ひとつの歴史書なのかもしれません。
(追伸)
こういう解体作業で廃棄するものの中に、本能的に必ず捨てづらいものがあります。
そのひとつ、家が壊される最後まで残された、お子さんが小学生ぐらいに作った工作。
今日は馬をかたどった、ゆがんだ木工のイスでした。
そのイスを手に取る前に、残された写真から、家主のもともとの家業が競走馬生産だったことを知っていました。
大量生産された既製のイスはすぐに捨てられるけど、
これが何故だか、捨てづらいんだなぁ。
おわ~早いですね!というかお店にいたんですね!
そうなんです、2日に決まりました!ぜひどうぞです(^^)
タイヤは一年通して同じスタッドレスはいてます…さすがにこの冬はきついでしょうね(^^;)