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自称米子のプロモデラー

模型、フィギュア、ジオラマを製作するブログ

福の神を作る 其のニ

2024-06-25 08:53:51 | 模型

今日も朝からどんよりとした空です。

雨が降りそうで降らない。

湿度が68%で、塗装にはちょっと向かない湿度です。

ここ山陰は、真冬でも湿度が50%以下に中々ならないので、車の模型等塗装するのには難しい地域です。

エアコンの除湿が必須ですね。

そんな最中、今日も「福の神」の被り物の製作です。

前回までで被り物の造形自体はほぼ出来上がりました。

今回は、木製の表面に見える下地仕上げをします。

先ず、被り物の表面を綺麗に磨き上げて、でこぼこを消します。

その上に、木工用パテを紙コップに搾り出し、お湯を入れてかき混ぜて薄めます。

それを、鉄骨用の毛の硬い刷毛で一方方向に軽く撫でる様に塗ります。

刷毛は何度も塗るのではなく、一回だけ一発勝負で塗り付けます。

この細かい筋は「木目」なので、木を削ったらどんな木目になるか?考えながら塗り付けます。

全体に木工パテを塗り細かい筋を入れました。

パテの乾燥後、320番位のサンドペーパーで軽く表面を撫でて、細かいでこぼこを削り取ります。

刷毛等で表面の削り粉をはらい落とし、綺麗にします。

この後、アクリル絵の具で木目を書き込みますが、これも鉄骨用の硬い毛の刷毛を使います。

ここから一気に木製っぽい仕上がりになります。

続く!

 

 


福の神を作る 其の一

2024-06-24 08:46:03 | 模型

山陰地方もとうとう梅雨に入りました。

昨日も朝から雨が降り続き、湿度が半端ない状態で、塗装に気を付けなくてはなりません。

塗装面に結露して水滴がつきやすくなり、綺麗に塗装するのが難しいので、エアコンのお世話にならなくてはなりません。

その事とは関係ありませんが、今日から幸運を招く物を作る記事をアップします。

これはもう何年も前になりますが、知り合いの漫画家さんに被り物を作ってあげたのがきっかけで、ここ鳥取県の真ん中あたりに有る「倉吉市」にお住まいの方からの製作依頼でした。

この「倉吉市」は、古い土蔵の街並みが有名な「レトロ」な町です。

そこの街中の至る所に、「福の神」が並んでおられます。

有る作家の方の作品の様です。

街の至る所に木製の笑顔の福の神様が並んでおられます。

その顔を被り物にしてくれとの注文でした。

ただ、この頃はあまり被り物を作ったことがない時期だったので試行錯誤の連続でした。

この「福の神」の被り物を作った方法が、今作っている妖怪の被り物に繋がっています。

先ずこれを下地にします。

我が家に有った工事用ヘルメットです。

この外側は大きすぎるので外しますが、インナーの部分を使います。

被り物の素材は、硬質の発泡スチロールです。

普通の発泡スチロールより発泡倍率が低いので硬くてちょっとだけ重い素材です。

ただ、削ったり貼り付けたりは普通の発泡スチロールと変わりは有りません。

何枚か発泡スチロールを貼り合わせ、大きなブロックを作り、原寸大の型紙をあてがって下書きをし、熱線ヒーターでカットして大まかに形を削ったら、ワイヤーブラシや、80番くらいの荒いサンドペーパーで擦って形を作りました。

さらに、石粉粘土の「ラドール」を薄く塗って表面をコーティングします。

この様な福々しい笑顔の神様です。

ちょっと「恵比寿様」や、「大国様」「布袋様」の様な顔立ちですね。

これを徹底的に磨いてツルツルにします。

それから、表面にある仕上げを施して木製の仕上げにします。

近くで見ても、木でできている様なリアルな仕上げにします。

ここからどうやって木製になるのか?

それほど難しいことではないのですが、リアルに木製になります。

続く!

 


EXPO’70 世界の国からこんにちは! パート2

2024-06-23 07:25:31 | 日記

昨日からアップしている1970年開催された大阪万博のパンフレット記事ですが、今日も続きをアップします。

1970年ですが、私はまだ小学生でした。

大阪万博のパビリオンのデザインに魅了されて新聞記事や、雑誌記事等集めていたら、親が「そんなに興味が有るのなら」と言うことで、大阪の親戚の家に泊めてもらい、3泊4日の万博ツアーを一家全員(私と両親と、姉の四人)で行きました。

膨大な敷地に建設されたパビリオンの数々、写真でしか見たことの無かった実物が目に前に立っているのに感動しました。

たった3日間でしたが、有名なパビリオンに多く入ることが出来ました。

残念ながらカメラのフィルム感度の調整をまがえていた為、写真がほとんどまともに写っていませんでしたので写真が有りません。

しかし、その時パビリオンで頂いたパンフレットは、54年経った今でも大切に保管しています。

こんな箱に入れて保管しています。

この箱は父親がスーツを買った時の箱で割と大きな箱です。

万博のパンフレットや、旅行した時の絵葉書を入れてありますが、箱に書いてあるパビリオンの絵は私が小学校4年生の時に書いたものです。

なぜか、こう言うSFっぽい物を描くのが好きでした。

パビリオンのデザインが好きすぎて、画用紙を使ってパビリオンの模型を作りました。

三菱未来館、サンヨー館、カナダ館、日本館、ソ連館等、製作しましたが、写真等撮っていなかったので記録が有りません。

親に捨てられてしまったので。

画用紙で作ったので三次元曲線が作れず、二次元曲線の建物を選んで作りました。

これが生まれて初めての建築模型でした。

せめて写真を撮ってくれていたらと悔やまれます。

70年の万博では、この様な広大な敷地に到底全部回れないほどのパビリオンが立ち並んでいました。

これは東芝館です。

住友グループ館

フランス館

ミラーで覆われたカナダ館。

ここに入る順番待ちしている時、カナダ館のコンパニオンの男性(カナダ人?)の方が姉を引き留めて他の日本人のコンパニオンに何か話していました。

姉が何かやらかした?のかと思いましたが、その時、姉が着ていたTシャツのアルファベット文字を指さして「全く意味のない文字が羅列している」と言うことで、コンパニオンのカナダ人の方が面白がっていたそうです。

特に何かあると言うことはなく、無事カナダ館に入って展示を見せていただきました。

その時、パンフレットの他に、カナダの国旗にも描かれている「かえで」の葉っぱ型のピンバッジを貰いました。

こちらはイギリス館

生活産業館

流石にどんな展示だったか記憶が有りません。

あまり面白く無かったのかもしれませんね。

松下館、今現在、パナソニックの名前の電気製品で有名な会社ですね。

このパビリオンではタイムカプセルが話題になりました。

これですね。

1970年から5000年後に開けると言うことで、今もどこかに保管されていると思います。

電気製品の製造会社なので家電の歴史を見ることが出来ました。

これと似た物を「江戸東京博物館」でも見ることが出来ます。

こちらはオーストラリア館

日本館です。

この当時の日本の首相「佐藤栄作」です。

私らの世代は、日本の総理といえば、「佐藤栄作」ですね。

一番任期が長かったと聞きますし。

ソ連館

ロシアではないんですね。

このパビリオンではボストーク宇宙船のレプリカ?が天井から吊られて展示されていました。

この当時の、アメリカとソ連は冷戦状態だったので、宇宙開発も静かな戦いが続いていました。

アメリカ館ではアポロ11号の指令船カプセルの実物が展示されていましたし、なんといっても「月の石」が展示されていました。

アメリカとしてはソ連を出し抜いたぞ!と言うことでしょうか?

この万博でも「月の石」を見ると言うのが「万博に行った!」と言うことのステータスになっていた様です。

私も会場前に父親に引っ張られ、ゲートに待機して、会場と共にアメリカ館にダッシュでした。

姉と母親は後から来ましたが。

しんどかったのですが、なんとかアメリカ館に入ることが出来ました。

ただ、パンフレットがないんですね。

多分、品切れだったのか?

もらえて無かった様です。

こちらはガスパビリオンです。

ミロの作品がたくさん展示されていましたが、ガスとなんの関係が有るのか分かりませんでした。

ここのテーマが「笑いの世界」だったと思います。

笑いは万国共通の言葉というのが本当のテーマだった様です。

今の世の中、あちこちで戦争もあり、大変な世界になってきそうです。

泣き声も世界共通の言葉ですが、それを打ち消す笑いの世界に包まれることを願いたいですね。

笑うことは、「がん」の治療にも役立つそうです。

世界が笑いに包まれて平和になるといいですね。

来年再び大阪で万国博覧会が開催されます。

1970の万博では「人類の進歩と調和」でした。

今現在、まだ世界平和は実現していません。

この万博の様に、世界の国からこんにちはと言える平和な世界になってほしいですね。

世界平和をお祈りします。

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 


EXPO’70 世界の国からこんにちは! パート1

2024-06-22 07:44:25 | 日記

来年2025年の4月から、大阪万博が開催される予定ですが、いまだにゴタゴタしている様で、本当に開催されるのか?

パビリオンの建設も間に合うのか?と心配になります。

今から54年前にも、大阪で「万国博覧会」が開催されましたが、その時は今回の様なゴタゴタは無かった気がします。

その当時、私は10歳で、小学校4年生でした。

1970年でした。

私は、この当時の万博のパビリオンのデザインに興味があり、SF的な奇抜なデザインに魅了されました。

連日、新聞などで報道される万博の記事を集め、パビリオンの写真を見ながら絵に描いたりしていたら、親が「それほど見に行きたいのなら」と大阪まで家族全員で3泊4日の旅行をすることになりました。

幸い、大阪に親戚が居たのでそこに泊めてもらい、3日間万博会場に通いました。

この時、父親がカメラを持っていたのですが、フィルムの感度調整を間違えたまま、写真を撮り続け、ほとんどの写真が黒くダメになりました。

この当時はフィルムカメラしかなかったので、フィルムを現像しないと失敗がわからなかったんですね。

残念ながら写真はほとんどダメでした。

しかし、現場のパビリオンでもらったパンフレットは、実際にその場に行ったという証拠になりました。

今回は、そのパンフレットを紹介します。

今現在も大切に保管しています。

その当時の新聞記事も取ってあります。

もう54年も前の新聞なので色も変わり、ボロボロになりそうです。

しかし、パビリオンのパンフレットは良い紙を使い、その当時の最新の印刷技術で印刷されていたと思います。

54年もたった今も綺麗な状態で保管されています。

パンフレットの一部です。

これは日本館のパンフレットです。

上の方に「佐藤栄作」元首相の写真が載っています。

私らの世代は、日本の首相といえばやはり「佐藤栄作」ですね。

今日の、読売新聞にも1970年大阪万博の日本館の記事が出ていました。

上の写真がそのパビリオンに入った時に、コンパニオンの方から頂いた物です。

各パビリオンに入場するとコンパニオンの方からもれなくパンフレットやグッズをもらえました。

それを毎回大切に持って帰っていましたが、いまだに捨てず保管しています。

特に印象に残ったのがこれです。

「三菱未来館」です。

中に入ると、ディズニーランドのスターツアーズの通路のようなところを動く鋪道で進み、色んな特撮の映像を見ることが出来ました。

その映像のイラストがこちら。

映像の中で一番印象に残ったのが、台風の目の中に自衛隊の対潜哨戒機の様な飛行機が爆薬の様なものを投下して台風自体を初滅させると言うものでした。

おそらく「円谷プロかどこかが作った特撮映像」だと思いますが、10歳だった私の心には衝撃的でした。

この当時、私のヒーローは「ウルトラマン」でも、「仮面ライダー」でも無く「サンダーバード、国際救助隊」でしたので、どうしようもない自然災害を人間が初滅させると言う技術は衝撃的でした。

もしかしたら本当にできるかもしれないと思いました。

この「三菱未来館」の最後には、ステージ上に立つと、その姿がモザイクのパターンになって大きなモニターに映し出されて、子供達が、「シェー」のポーズを取ると言うのが流行っていた様です。

今にしてみれば大した技術では無いのですが、この当時は、自分の動く姿がモザイクパターンでリアルタイムに投影されるなんて凄いことでした。

「三菱未来館」は、54年たった今も鮮明に覚えているパビリオンです。

他に、

これですが、

この竹をカットした様な建物ですが、その壁面にある様に、サントリーのパビリオンです。

私の父親が、3度の飯より「酒」が好きで、そのせいでか?こパビリオンに入りました。

中に入るとこのコースターを一人一人にもらえました

私と両親、姉の四人分有ります。

サントリー館のテーマは、「命の水」だったと思います。

自然の清流からウイスキーを作り出す工程を映像で見られると言う展示だったと思います。

残念ながらあまり記憶に残っていません。

あまり興味が無かったんですね。

このパビリオンの他にも、

電力館、これも父親が「中国電力」に勤務していたので入ったのかな?

これは「サンヨー館」ですが、話題になったのが「人間の洗濯機」です。

中に入っているだけで体を洗ってくれる機械で、この当時はかなり話題になりました。

今の技術なら簡単に作れるのでしょうけど、この当時は奇抜すぎて話題になりました。

このシステムを使えば「身障者」の方など、体を洗うのに人の手を必要とする場合、この機械があれば良いのでは?と思ってしまいます。

ちょっと早すぎた技術だったのでしょうか?

このパビリオンのパンフレットは、まだまだ有りますが、長くなったのでまた次回にします。

続く!

 

 

 

 

 


鳥取県のキャラクターフィギュア製作 パート15

2024-06-21 08:38:39 | 模型

連日製作していた「リトットちゃん」のフィギュアですが、ケースの中に取り付けして「アニカル祭り」で展示しました。

その辺の写真が有りません。

色々著作権的な事もあり、写真を撮ってませんでしたのでご了承ください。

という事で、ケース本体の製作です。

いきなりですが、透明のカバーが付いてます。

この透明板はポリカーボネートの透明板で、ホームセンターで買って来た物です。

1ミリの薄い物なので、柔らかく、曲面に良く馴染みます。

ケース本体のフレームに添わせて曲げて、小さな皿ビスで止めました。

透明板はすぐ傷が入るので、最後まで養生のフィルムは剥がせません。

透明板を取り付けた縁が締まりのない感じなので周りぶちを取り付けます。

これは1ミリのエンビ版をカットして使いました。

試しにフィギュアを中に入れてみると、

こんな感じですが、フィルムでよく見えませんね。

ケースの周りぶちをを、シルバーにしました。

このシルバーは、塗装ではなく、「中川ケミカル」の「タフカルシート」という屋外用の粘着シートを貼り付けました。

屋外様なので、粘着も強力で、表面も耐久性が抜群で、塗装より耐久性が有ります。

こうしてケースも完成です。

早速フィギュアを中に取り付けました。

取り付けはベース部分にフィギュアの足から出ているアルミ線を差し込んで、エポキシ接着剤で固定しました。

上の写真ではベースの丸い透明板にシルバーのシートが貼られてませんが、この様に足の裏から出ているアルミ線を差し込んで固定しています。

そうして完成しました。

やっと完成です。

こんな手間のかかる製作なのですが、ノーギャラです。

しかし、このフィギュアを製作したおかげで、米子ガイナックスの「赤井孝美さん」から、ブルドーザー戦車のジオラマ製作の依頼が来ました。

このフィギュアの製作も無駄ではなかった様です。

このフィギュアも、もう13年ほど前になりますね。

今年は仕事がかなり少なくなりました。

もっと造形で腕を振るう仕事をしてみたいものです。

地元の設計事務所も建築模型を制作するほど予算がない様ですし、大きな仕事が、大手のゼネコンに取られている様です。

地元の設計事務所や、建設会社は想像以上に不景気の様です。

私もこの暑さで干上がってしまうかもしれませんね。

今回でこの「鳥取県のキャラクターフィギュアの製作」は終了です。

次はちょっと懐かしい物をアップしようと思っています。

それは何でしょう?