(3月24日の鹿児島の空)
3月24日、九州滞在の最終日のレポが残っていました。
その朝も快晴。
ただ、ホテルから見える桜島は 太陽の位置でシルエットのようになっていました。
相変わらず少し噴煙も上がっていました。
朝食時に 思いがけなく 神奈川在住で息子さんと二人旅の知り合いの方に バッタリ!
本当に奇遇でした。
そして、その方もうちの夫も お目当ては 知覧へ行くこと。
互いに一緒に行くことはしませんでしたが、のちにまた会うことになりました。
知覧という土地は 美味しいお茶の生産地と静かなたたずまいの武家屋敷群と・・・
武家屋敷は思いがけず たくさんの古いおうちを見られました、が
観光バスで たくさんの方たちがいらっしゃったので
静かなたたずまいではなくなりそうで 屋敷の見学はそこそこに
夫の知覧の目的地、知覧特攻平和公園に向かいました。
知覧特攻平和会館は たくさんの資料が展示されていました。
映像、写真、遺品、戦闘機の展示も。
ここから最初に出撃した日は 昭和20年3月26日だそうです。
ちょうど今頃で 鹿児島にも桜や菜の花が咲いていたでしょうに。
そして、見出し写真の青空へ、どんな気持ちで出撃したでしょう・・・
会館には膨大な遺品や遺影、なんといっても絶筆の手紙が展示されています。
読んでは涙が抑えられず、でも、読まずにもおれない。
我が子たちと同じ世代の この特攻隊員たちは
自分が大切に思う人達を守るため、ただそれだけで決死の覚悟を決めたのでしょう。
戦死された1036名もの若い命は あまりに儚い。
「永遠の0」の効果で 若い方もたくさん来場されて、熱心に見学されていました。
原爆資料館とともに、ここにもたくさんの人が この絶筆を読んでくれますように。
ちょうど、ご年配の方が 講話をしてくださって、
いろいろな資料のエピソードを交えて わかりやすく語ってくださいました。
朝に偶然会った親子と ここで再びお会いできました。
中2の息子さんは やっぱりなんかよくわからない、との感想でした。
実感として、現代と違い過ぎて ピンと来ないのも当然です。
でも、彼が見たもの、ここで知ったことは きっと 彼の心に残ると思いました。
今は日本は平和が普通で 戦争とは無縁のように思う。
でも、そうじゃない日はいつやってくるかはわからない・・・
知覧からはさらに南下して 開聞岳のそばまで行きました。
雲もなくよく晴れたのに、やっぱり春霞の一日でした。
砂風呂なども体験したかったのですが、あまり時間に余裕がなくなり
ゆっくりドライブし 北上しました。
この海岸の先は枕崎。この海は 東シナ海。
鹿児島は お茶の生産量がすごく多い県なんですって。
見渡す限り 茶畑の間を縫って 空港へ。
空港で 最後に黒豚とんかつ定食を食べ、かるかんやさつま揚げなど
お土産を見たり買ったり。
本当に楽しく充実の3泊4日の旅でした。
何日もにわたりまして 読んでいただき ありがとうございました。
出会った人、道、場所 すべて いい思い出になりました。
+ + +
ランキングに参加しております。
よかったら 下のバナーをポチッといただけると 励みになります。
よろしくお願いいたします。
↓
人気ブログランキングへ
ありがとうございます!