おはようございます。
今日は別の事を書こうと思いましたが
頑張って小浜さんのお話を終わらせたいと思います。
突然の電話で
突然の帰国報告
だけど
D子もあと一ヶ月でマニラに行く為にの
仕事を辞める事になっていた
もう中国にはなんの未練もなかった
むしろ中国にいるのが辛かった。
荷物の整理をしながら
冬服は全部カラオケの女の子にあげて
夏服だけは持っていく事にした
いろいろ整理したけど
やっぱり捨てる事も出来ず
持っていく事も出来ない荷物があった
それは一年以内に必ず取りにくるから
部屋の片隅において置いて欲しいと
当居していた同僚にお願いをした
それから2ヶ月後
D子はマニラでの新しい生活をはじめた
マニラの語学学校に通う日々
中国とはちがう明るいマニラの雰囲気が
D子はとても好きだった。
※中国も今は嫌いじゃないです。
小浜さんは
日本に戻って胃がんの手術をうけたみたいで
その後の経過は順調みたいでした。
数ヶ月に一度
簡単な近況報告をメールでやりとりする関係が続いた。
一年後
そろそろ中国で預けた荷物を
取りに行こうと思いチケットをとった
すると偶然にも
小浜さんも同じ時期に
中国に出張があるという事がわかった
「良かったら香港で食事でもしない?」
当時はまだ中国に入るのは
ビザが必要だったから
どうせ香港ではビザ待のために
少し滞在しないといけない
時間もあるし
小浜さんと会うことを決意した。
※短く書こうとおもったけど
やっぱり長くなった、、、
やっぱり明日に続きます。。。
って言いたいですが
今日は頑張って描きます。
久しぶりに会った小浜さんは
少しだけ痩せた気がした
もちろん話の内容は
小浜さんと別れた後
彼に振られてボロボロになったお話。
小浜さんはD子の話をニコニコ笑顔で聞いてくれた
小浜さんは癌でそれどころじゃなかったはずなのに
自分の事ばっかりだったな~
と今思うと恥ずかしい。。。
楽しかった時間はすぐに終わり
香港の街を小浜さんと歩きながら
最後にこんな事を私に言ってくれた
「中国での生活はD子に会って本当に楽しかった。
自分に癌が見つかった時は泣きもしなかったし
夜もちゃんと眠れたけど
D子と別れてた時、数日間は食事も出来ず眠れなかったよ」
と言ってくれたのだ
その話を聞いて
当時のD子は
(へえ~そうなんだ)←と思っただけ
言葉の意味が理解できなかった
だけど
今はその言葉の意味が理解出来る。
最後に素敵なメッセージを送ってくれた
小浜さんには本当に感謝!
その後。。。
D子と同じ
3月生まれの小浜さんは
毎年欠かさず
D子にお誕生日おめでとうのメールを送ってくれていた
しかし
3年前から
メールが全く来なくなった
頭をよぎるのは癌の再発!?
どうかD子の事はただ忘れているだけで
日本で元気に暮らしていますように。。。
これでD子と小浜さんのお話は終わります。
おまけの記事
今日もありがとう!明日も見てね^^
D子より。。。
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