毎年この時期になると、年賀状をもう書いたとかまだだとかいう話題がよく出てきますが、黒猫のオリジナルの場合、そもそも年賀状自体を自分では全く書きません。
たしか大学生時代までは書いていたのですが、司法修習に入ってから、研修所でのクラスの人数は約70人と多すぎるし、実務修習での同期やお世話になった先生方まで入れるとそれこそきりがないし、そもそも住所が分からない人も多く、一体誰に出そうか悩んでいるうちにお正月が来てしまったという年があり、それ以来年賀状は全く書かなくなりました。一時期は、こちらからは書かなくても、向こうから年賀状を送ってきた人には返事を出していたという時期がありましたが、最近はそれすらもしなくなりました。もはや面倒だから送ってくるなという暗黙の意思表示です。
今から年賀状を出す習慣を復活させるとなると、そもそも誰に送るかという範囲を特定するのが難しいし、年賀状の文面やデザインを考えるのも面倒だし、誤って忌引の人に年賀状を送ったりしないよう送り先のデータ管理もするとなると、もはや費用と労力の無駄遣いだとしか思えません。よって、今更年賀状を出す習慣を復活させる気にはなれません。
最近、年賀状を出す人が徐々に減っているそうですが、やはり黒猫のオリジナルみたいな考え方をする人が増えているのかなあ・・・。
たしか大学生時代までは書いていたのですが、司法修習に入ってから、研修所でのクラスの人数は約70人と多すぎるし、実務修習での同期やお世話になった先生方まで入れるとそれこそきりがないし、そもそも住所が分からない人も多く、一体誰に出そうか悩んでいるうちにお正月が来てしまったという年があり、それ以来年賀状は全く書かなくなりました。一時期は、こちらからは書かなくても、向こうから年賀状を送ってきた人には返事を出していたという時期がありましたが、最近はそれすらもしなくなりました。もはや面倒だから送ってくるなという暗黙の意思表示です。
今から年賀状を出す習慣を復活させるとなると、そもそも誰に送るかという範囲を特定するのが難しいし、年賀状の文面やデザインを考えるのも面倒だし、誤って忌引の人に年賀状を送ったりしないよう送り先のデータ管理もするとなると、もはや費用と労力の無駄遣いだとしか思えません。よって、今更年賀状を出す習慣を復活させる気にはなれません。
最近、年賀状を出す人が徐々に減っているそうですが、やはり黒猫のオリジナルみたいな考え方をする人が増えているのかなあ・・・。