「各法曹養成課程の存在意義(1)」の記事で,以下のようなコメントがありました。
ロー・スクールで教鞭をとっている弁護士さんが、ロー・スクールについて書かれた本の冒頭で、旧司法試験についてこう書かれていました。
「法学部に入学しても、講義そっちのけで、予備校に通い、非人間的な生活になるほど数年間勉強し、それでも運が良くなければ合格できない」
黒猫さんの受験時代もそんな感じだったんでしょうか。
黒猫自身の受験時代の話は,書いても一般論としてはあまり役に立たないのではないかと思いますが,上記の本の記述には反論する必要があり,またロースクール生などの読者の方には聞きたいという人もいるかもしれませんので,戯れのつもりで書いてみることにします。
1 受験勉強初期(大学3年期)
黒猫が(旧)司法試験の勉強を始めたのは,大学3年の初め頃であり,早稲田セミナーの渋谷校で「基礎講座」を受講するようになりました。
当時は,弁護士になろうとはこれっぽっちも考えておらず,もっぱら裁判官志望でしたが,なぜ裁判官になろうと思ったかという動機も極めていい加減で,そろそろ自分の進路を考えた方がよいかなと思ったところ,大学の講義で裁判官が講演に来て,裁判官のライフスタイルもいいかなと思った,という程度です。
基礎講座は週に3回で,夕方に大学の授業が終わった後,近くの店でそばなどを食べて,約3時間授業を受けて帰宅する,といった感じでした。予習はしなくてよいと言われていたのでやりませんでしたが,この時期は復習もあまりやっていませんでした。
大学の授業にはきちんと出ていましたし,大学で緑会委員をやったり,ときには駒場に行って学友会の仕事の手伝いもしていました。また,この時期にエレクトーンの指導グレード5級を取得しています。
2 受験勉強中期(大学4年期)
大学3年の終わり頃(2月頃),司法試験の択一答練を初めて受講してみて,あまりの点数の低さに愕然としたことから,その頃から急に択一試験の勉強を熱心にやるようになりました。その甲斐あってか,その年の択一試験には合格。
ただ,論文試験についてはそれまで特に何も準備しておらず,択一合格後に論文予想答練は受講したものの,明らかに準備不足で,その年の論文試験は当然ながら落ちました。
論文に落ちた後は,気を取り直して論文講座の後期から受講を始め,このときには答練を受けた後,分からなかったところは論点カードを作って自分で論証パターンを書き,解説レジュメを読んでもよく分からないところは徹底的に基本書を読む,というような勉強をしていました。
大学の方はというと,緑会委員は相変わらずやっていましたし,基礎講座を受けたおかげで従来はあまり理解できなかった大学の授業にも付いていけるようになりましたので,講義そっちのけどころか,必要単位数をはるかに超えて実定法科目のほとんどを受講していました。4年終了時点で,卒業に必要な単位90単位に対し,取得単位数は140近く,ただし選択必修科目である英米法の試験をわざと受験しなかったので,司法留年が決定。
ただ,ストレスは相当たまっていたらしく,勉強の合間には,この時期に発売されたパワプロ98開幕版という野球ゲームでうさばらしをしていました(試合で相手投手をめった打ちにして,64対0とかめちゃくちゃな点数差で勝ったりしていました)。当時のセーブデータを見ると,能力値がほとんどマックスに近いオリジナル選手もたくさんいて,現在では到底考えられないほどやり込んでいたというのが分かります。
3 受験勉強後期(大学5年期)
大学4年の終わりには緑会委員も引退して,実定法科目の講義もほとんど取れるものがなくなったので,真剣に受験勉強をやっていた・・・と言いたいところですが,今度はゼミを3つも掛け持ち。しかも内容は租税法(租税条約の研究),財政法(住民訴訟関係),独禁法(海外関係)と,いずれも司法試験とは全くといってよいほど無関係,しかも最初の1つ以外は単位すらもつかない。
(ちなみに,この時期にも残った講義などを若干受講しており,結局卒業時の単位数は163になりました。)
それでもこの年に最終合格できたのは,それなりに司法試験の勉強はやっていたからでしょうが,論文試験の直前期2週間ほどは,租税条約のゼミで課題のレポート作成に追われ,提出はなんと試験初日の前日。何とか書き上げたものの,疲れ果ててそれ以上司法試験の受験勉強などする気になれず,結局直前の追い込みはなしのまま試験に突入。
この時期は,あわせて公務員試験の受験もやっていて,最終日の試験終了後はその足で参議院法制局の試験を受けに行くという慌ただしさでした。公務員試験の方は,対策をほとんどやっていなかったこともあって,一次試験合格止まり。併せて受けた衆議院事務局と参議院法制局も論文・面接段階でアウト。
このときは,論文試験も絶対落ちていると思い込み,せっかく2年間勉強したのだからそれを活かして何か別の資格の1つくらい取っておこうと思い,9月には行政書士試験の願書を提出するも,実際には論文試験には合格しており,口述も無事クリアしてその年に最終合格。
実質勉強期間は,平成9年4月から最終合格した平成11年10月までの,約2年半。勉強を始めた時期が遅かったので同期には出遅れましたが,勉強期間は大学の同期と比べても結構短かった方かな,と思います。
なお,行政書士も一応受けて,楽勝で合格しました。
黒猫のようなやり方は,当時の合格者としてはやや特殊なケースかもしれませんが,私の周りにいた人たちの中には,黒猫より1年早く合格した同期の学生も結構いますし,司法試験を何度受験しても落ちていた人というのは,受験友達と遊び回ったり彼女を作ったりしてあまり勉強していなかったケースか,あるいは意味もなく民法の条文を丸暗記したり刑法の細かい学説にはまったりと明らかに非効率的な勉強をしていたケースのどちらかだと思います。
ただ,司法試験の世界は,他の資格試験の世界と比較するとあまりにも無駄な情報に満ちあふれているので,必要なものをしっかり取捨選択できる能力がないと,何年勉強しても無駄骨に終わるリスクがあることは確かだと思います。もっとも,法科大学院制度によってその点が改善されているとは到底思えないのですが。
ロー・スクールで教鞭をとっている弁護士さんが、ロー・スクールについて書かれた本の冒頭で、旧司法試験についてこう書かれていました。
「法学部に入学しても、講義そっちのけで、予備校に通い、非人間的な生活になるほど数年間勉強し、それでも運が良くなければ合格できない」
黒猫さんの受験時代もそんな感じだったんでしょうか。
黒猫自身の受験時代の話は,書いても一般論としてはあまり役に立たないのではないかと思いますが,上記の本の記述には反論する必要があり,またロースクール生などの読者の方には聞きたいという人もいるかもしれませんので,戯れのつもりで書いてみることにします。
1 受験勉強初期(大学3年期)
黒猫が(旧)司法試験の勉強を始めたのは,大学3年の初め頃であり,早稲田セミナーの渋谷校で「基礎講座」を受講するようになりました。
当時は,弁護士になろうとはこれっぽっちも考えておらず,もっぱら裁判官志望でしたが,なぜ裁判官になろうと思ったかという動機も極めていい加減で,そろそろ自分の進路を考えた方がよいかなと思ったところ,大学の講義で裁判官が講演に来て,裁判官のライフスタイルもいいかなと思った,という程度です。
基礎講座は週に3回で,夕方に大学の授業が終わった後,近くの店でそばなどを食べて,約3時間授業を受けて帰宅する,といった感じでした。予習はしなくてよいと言われていたのでやりませんでしたが,この時期は復習もあまりやっていませんでした。
大学の授業にはきちんと出ていましたし,大学で緑会委員をやったり,ときには駒場に行って学友会の仕事の手伝いもしていました。また,この時期にエレクトーンの指導グレード5級を取得しています。
2 受験勉強中期(大学4年期)
大学3年の終わり頃(2月頃),司法試験の択一答練を初めて受講してみて,あまりの点数の低さに愕然としたことから,その頃から急に択一試験の勉強を熱心にやるようになりました。その甲斐あってか,その年の択一試験には合格。
ただ,論文試験についてはそれまで特に何も準備しておらず,択一合格後に論文予想答練は受講したものの,明らかに準備不足で,その年の論文試験は当然ながら落ちました。
論文に落ちた後は,気を取り直して論文講座の後期から受講を始め,このときには答練を受けた後,分からなかったところは論点カードを作って自分で論証パターンを書き,解説レジュメを読んでもよく分からないところは徹底的に基本書を読む,というような勉強をしていました。
大学の方はというと,緑会委員は相変わらずやっていましたし,基礎講座を受けたおかげで従来はあまり理解できなかった大学の授業にも付いていけるようになりましたので,講義そっちのけどころか,必要単位数をはるかに超えて実定法科目のほとんどを受講していました。4年終了時点で,卒業に必要な単位90単位に対し,取得単位数は140近く,ただし選択必修科目である英米法の試験をわざと受験しなかったので,司法留年が決定。
ただ,ストレスは相当たまっていたらしく,勉強の合間には,この時期に発売されたパワプロ98開幕版という野球ゲームでうさばらしをしていました(試合で相手投手をめった打ちにして,64対0とかめちゃくちゃな点数差で勝ったりしていました)。当時のセーブデータを見ると,能力値がほとんどマックスに近いオリジナル選手もたくさんいて,現在では到底考えられないほどやり込んでいたというのが分かります。
3 受験勉強後期(大学5年期)
大学4年の終わりには緑会委員も引退して,実定法科目の講義もほとんど取れるものがなくなったので,真剣に受験勉強をやっていた・・・と言いたいところですが,今度はゼミを3つも掛け持ち。しかも内容は租税法(租税条約の研究),財政法(住民訴訟関係),独禁法(海外関係)と,いずれも司法試験とは全くといってよいほど無関係,しかも最初の1つ以外は単位すらもつかない。
(ちなみに,この時期にも残った講義などを若干受講しており,結局卒業時の単位数は163になりました。)
それでもこの年に最終合格できたのは,それなりに司法試験の勉強はやっていたからでしょうが,論文試験の直前期2週間ほどは,租税条約のゼミで課題のレポート作成に追われ,提出はなんと試験初日の前日。何とか書き上げたものの,疲れ果ててそれ以上司法試験の受験勉強などする気になれず,結局直前の追い込みはなしのまま試験に突入。
この時期は,あわせて公務員試験の受験もやっていて,最終日の試験終了後はその足で参議院法制局の試験を受けに行くという慌ただしさでした。公務員試験の方は,対策をほとんどやっていなかったこともあって,一次試験合格止まり。併せて受けた衆議院事務局と参議院法制局も論文・面接段階でアウト。
このときは,論文試験も絶対落ちていると思い込み,せっかく2年間勉強したのだからそれを活かして何か別の資格の1つくらい取っておこうと思い,9月には行政書士試験の願書を提出するも,実際には論文試験には合格しており,口述も無事クリアしてその年に最終合格。
実質勉強期間は,平成9年4月から最終合格した平成11年10月までの,約2年半。勉強を始めた時期が遅かったので同期には出遅れましたが,勉強期間は大学の同期と比べても結構短かった方かな,と思います。
なお,行政書士も一応受けて,楽勝で合格しました。
黒猫のようなやり方は,当時の合格者としてはやや特殊なケースかもしれませんが,私の周りにいた人たちの中には,黒猫より1年早く合格した同期の学生も結構いますし,司法試験を何度受験しても落ちていた人というのは,受験友達と遊び回ったり彼女を作ったりしてあまり勉強していなかったケースか,あるいは意味もなく民法の条文を丸暗記したり刑法の細かい学説にはまったりと明らかに非効率的な勉強をしていたケースのどちらかだと思います。
ただ,司法試験の世界は,他の資格試験の世界と比較するとあまりにも無駄な情報に満ちあふれているので,必要なものをしっかり取捨選択できる能力がないと,何年勉強しても無駄骨に終わるリスクがあることは確かだと思います。もっとも,法科大学院制度によってその点が改善されているとは到底思えないのですが。
私の場合は、合格年と修習期としては黒猫さんとほとんど変わらないと思いますが(年齢は大きく違います。)、勉強を再開して概ね3年で合格しました。
合格までのことは、ブログで記事にしたことがあります(http://puni.at.webry.info/200510/article_7.html)。
ちなみに、私が、初めて択一試験に合格したのは、大学を卒業した年でした。
霞が関の職場を抜け出して、法務省まで見に行きました。
初めて受験した論文試験は猛暑の早稲田大学で、しかも刑訴で見たこともない論点が出題され(当時の刑訴は使用する基本書によってはこういう恐ろしいことが起こりえたのです。)、見事に撃沈でした。
この年の最終合格者は500名を切ってましたので、合格した年と比べると、まさに隔世の感があります。
ちなみに、当時は、まだ教養選択というものがあり、経済原論選択の私は、縦書きの答案用紙なのにグラフを書いたりしていました。
司法試験というものに固定観念を抱いてました。
そこまで苛酷なら、ロー・スクールを設立して受験生の負担を下げた方がいいんじゃない?と素人的考えだったのですが。
………しかし、そうなると黒猫さんもこのブログでたびたび書かれていますが、ロー・スクールの存在意義とはいったい………
むしろ、2年ないし3年強制的に学校に通って卒業しないと、受験すらできないというのでは、逆にデメリットばかりが目につきます。(予備試験が今後はじまるとしても)
旧司法試験で3000人合格が毎年続けばレベルが低い試験になります。
予備校講義・教材で勉強し、たいした法解釈もできないレベルで合格するようになるでしょう。
そのような弁護士が大量に出てくると問題です。
そこで、大学院で実務家や教授がある程度の質を確保するのです。
ここに法科大学院の存在意義があります。
「ロースクールに入学しても、講義(特に新司法試験に関係ない講義)そっちのけで、予備校に通い・・・」というのは現実としてあると思います。現に、卒業生(1期既修)のなかで予備校にお世話になっていない人はごく少数ではないでしょうか。
黒猫先生へ
ローの中には、法学部と同様の教育というより、既に予備校化したローもあるのではないでしょうか。具体的には、①あくまで新司法試験に役立つか否かを基準に、講義内容、教材を選定、②予備校及び予備校作成の教材の利用を明示ないし黙示に奨励するローでしょうか。
私の通うローでも科目によってはこのような講義・演習を行う先生はいらっしゃいます。
私は予備校に通ったことがないので、予備校とローの直接比較はできませんが、予備校の教材には読み手の利便性を意識して作られ、ローの教授(特に研究者)から批判される割には使える教材が多いというのが実感です。一方、ロー向けに開発された教材は、まだまだ実験段階のものが多く、熟成されてないと感じることもあります。
ここにも、制度が先行して、何を教えるかという内容が決まっていないまま見切り発車してしまった現実が現れているのかもしれません。
もちろん、いわゆる基本書にも読みやすいものは多々ありますので、予備校教材のみ使うのが効率的とか、それだけで足りるとは思いません。
ねどべど先生へ
おそらくローには多額の税金が投入されていると思います。ですから、ロー生はこれまでの司法浪人生以上に、社会の皆様に支えられて勉強ができていると考えます。もちろん、学費を出してくれる親にも支えられています。
だからこそ、早く合格して1日も早くご恩返しを、と思います。
また、そろそろ部下(職場の後輩)を持ち出した友人の話を聞くと、遅れをとっていると焦ることもあります。
匿名さんへ
「大学院で実務家や教授がある程度の質を確保する」とありますが、いくら優秀な研究者・実務家でも、教育は苦手という先生も、その逆の先生もいらっしゃると思います。「誰が」以上に、どのような教育をするのか、その「教育手法」こそが質の確保を左右する要素ではないでしょうか。この点で、ローのカリキュラム、教育手法に疑問符がつくのではないかというのが私の実感です。
長文失礼しました