『僕は依頼者が少ない』の番外編ですが,今回の元ネタは『はがない』ではなく別のライトノベルです。分かるかな・・・?
平凡な人生を送るのは難しい。
生まれてこの方,僕はそんな台詞をどれだけ聞かされてきただろう。
ちょっと変わった自分の外見と名前が原因で,友達と呼べる人がほとんどいなかった少年時代。
高校受験は悪夢だった。
大学受験は地獄だった。
運良く第一志望の大学に合格した後も同じだ。自炊して妹の面倒を見つつ,やっとのことで雇ってもらえたコンビニのバイトで金銭の重さを知り,働いてお金を得ることの大変さを思い知らされた。何とか溶け込むことのできたサークル内の上下関係に,社会の階層で生きる辛さも垣間見た。
平凡な人生を送るのは難しい・・・・・・。
僕は,その事実を骨身に染みて理解しているつもりだった。
だが,平凡な就職をするのがこれほど難しいとは,思ってもいなかった。
大学3年生の2月,初めての採用面接が不合格に終わったとき,僕の感想は「バイトの面接とは随分雰囲気が違うものだなあ」という,いささか暢気なものだった。
3月になり,不合格の数が十を超えると,さすがに「何か対策を立てた方がよいのかも」と思い始めるようになった。
4月になり,一時採用が終盤を迎えると,携帯の圏外が怖くなり始めた。電波の届かないところに移動した瞬間,採用担当から電話があったら,電波が通じないことで面接予定者のリストから外されたら。そう思うと,携帯電話を数分おきに確認しないと安心できなくなることもあった。
そんなときに,僕の頭をよぎった言葉が,『適性試験』だった。
僕が通った大学にも『法科大学院』が設置され,少なくない数の学生が進学していることは知っていた。法科大学院を受験するには5月または6月に行われる適性試験を受験しなければならず,4月中旬までに出願しなければ間に合わない。
この時期には,別に本気で弁護士を目指そうとか,法科大学院に進学しようかなどと考えていたわけではないが,万一どこにも就職できなかったときのために保険を掛けておかなければと思い,一も二もなく適性試験の出願に踏み切った。
5月。
大手企業の採用が一段落したとき。
僕の内定数は相変わらずゼロのままだった。
経済不況,採用抑制,雇用調整。そんな言葉はニュースでイヤになるほど聞いている。
でも,自分の大学は十分名も通ったところだし,最終的には何とかなるだろうという油断があった。サークル活動や何やらで,同期よりほんのわずかに就職活動の取りかかりが遅れたけど,これから取り返せば大丈夫だ,そんな風に思っていた。
そんなときに適性試験があった。法科大学院に入学するための試験なのに,法律関係の問題は一切出題されず,特に予備知識も必要としない試験だった。一応受験準備をしていたこともあり,そこそこの点数を取ることができた。
一方で,肝心の就職活動は迷走する一方だった。大して知識のない業界にも応募し,都市伝説のような面接の必勝法にもすがりつき,ほとんど無様なまでに面接官の望む答えを見つけ出そうとした。しかし,そんな付け焼き刃の対応が上手く行くはずもなく,6月になっても僕の内定はゼロのままだった。
就職してサラリーマンになれないことが,これほどまでに絶望的な気分になることだとは思ってもみなかった。まるで自分の人間性を否定されたかのような,自分という存在を丸ごと拒絶された気分だった。
大学の仲間は一足先に内定を獲得し,残り少ない学生生活を楽しんでいた。彼らと自分とは一体何が違うのだろう。別に法学部の勉強をさぼっていたわけではないのに・・・・・・。僕は冷静さを失い,焦りはますます強まるばかりだった。
一方,念のために受験した法科大学院の適性試験は,まずまずの結果が得られた。1回目の点数はイマイチだったものの,きちんと対策をして臨んだ2回目の点数は200点を上回り,この点数なら上位校を狙うことも可能ということだった。法科大学院の入試では,適性試験はどちらか成績が良い方のスコアだけを提出すればよいので,片方の成績が悪くても問題にはならない。
そして,僕は母校の法科大学院ガイダンスに臨んだ。教授の説明によれば,法科大学院は国民や社会に貢献する高い志と強い責任感・倫理観を持ち,国際的にも,また先端分野においても活躍できる高い水準の法律家を生み出すことを目標としている,単に司法試験に合格することを目指すのでなく,むしろ法実務の遂行や法律家のキャリアの発展において,法科大学院での学習が血となり肉となって役立つような、長期的視野からの教育を行うことを目指している,とのことだった。さらに,法科大学院から博士課程に進学し,日本の法学研究の将来を担う人材も育てているとのことだった。
そして,修了者Yさんの体験談がこれに続いた。Yさんは法科大学院を修了後ストレートで司法試験に合格し,業界でも名の知られる大手法律事務所への就職を決めたという。今の法曹界は就職難などと言われているが,司法試験で100位以内くらいの高順位を取れば大丈夫だ,今の法曹界では優秀な人材はむしろ不足している,もし法科大学院が廃止され旧試験時代に戻ったら,過酷な丸暗記の受験勉強を何年も続けなければ法曹にはなれなくなる,今が最後のチャンスだ!
Yさんのそんな話を聞いて,僕は雷に打たれたような気分になった。もともと,僕は小学生の頃から弁護士になりたいと思っていて,大学も法学部を選んだものの,法科大学院を修了しても司法試験に合格できない人が多いとか,合格しても就職できない人が多いといった悪い噂を聞いて,いつの間にか法曹という進路を敬遠するようになっていた。
でも,やはり僕は弁護士になるべきなのではないか。弁護士になりたかったという本来の望みを抑え,どこの会社でもいいからとにかく就職しようなんて気持ちでいたから,結局上手く行かなかったのではないか。今こそ本来あるべき自分に戻るべきだ,今が最後のチャンスだ!
こうして僕は,法科大学院既修者コースへの入学を目指すことになった。
壊滅的な結果に終わった就職活動とは裏腹に,法科大学院の入試はすこぶる順調だった。
出身校の法科大学院を第一志望としつつ,滑り止めでいくつか他校の法科大学院も受験した。法学既修者認定試験,各校の筆記試験,小論文,そして面接。英語検定は就職対策の関係で既に受験済みだった。
面接は,特に対策を立てるまでもなかった。Yさんのようになりたい,そう思っただけでマニュアルと違う自分の言葉が出てきた。弁護士への意気込みを熱く語る僕に,面接担当官は強く頷いてくれた。
「甲野さんは本当に優秀な方ですね」
いくつかの法科大学院では,面接官がそんなことを言ってくれた。貴方を是非特待生として迎えたい,すぐに特待生として入学手続きをしてくれれば年間授業料は全額免除にする,そんな申し出をされたことさえあった。結局,出身校の法科大学院に入学を認められたのでそれらは丁重に辞退したが,これらの過程を経て,いつしか僕は法曹になれる優秀な人材だと信じて疑わないようになっていた。
僕は海外で暮らす父親に連絡し,大学卒業後の進路が決まったと報告した。父親は法科大学院という聞き慣れない教育機関に首を捻ったものの,最終的には僕の進学を応援してくれることになり,奨学金の保証人となることにも同意してくれた。
サークルやゼミの知り合いも,僕の法科大学院合格を知ると祝福の言葉をかけてくれた。
当たり前の日常,誰もが送る平凡な人生を僕は取り戻したのだ。
それからしばらくして,僕はテレビで詐欺商法の特集を見た。
「詐欺の手口で,良くあるのはですね」
消費者問題を専門にしているという男性弁護士が,のんびりした口調で語っていた。
「まず成功体験を伝えます。このお守りを買ったら商売が上向いたとか,受験に成功したとか,そういうのをですね。実例として話すわけです。それで,次に危機感を煽る。今買わないと在庫がなくなる。最後のチャンスだとか言ってね」
なるほどー。司会と思しき女子アナウンサーが,大仰に相槌を打っていた。
男性弁護士は頷きながら話を進める。
「あなたは特別だ,とも言いますね。あなたのように特別な人だからこの話を教えたんだって。まあ,よく考えれば胡散臭いわけですが,だって売れる商品なら,わざわざ一人一人口説いて回る必要ないでしょう(笑)。 効率の悪い」
「あははー,たしかにそうですねー」
「まあ,詐欺師は騙しやすい人を狙いますからね。気の弱い人とか悩み事のある人とか,あと何か切羽詰まってる人とか。つまり冷静な判断力をなくしている人ですね」
わたしは普段から冷静じゃないし,すぐ騙されちゃうかもー。天然ぶりで知られる女性アナウンサーの発言に,男性弁護士も苦笑していた。
風呂上がりのコーラで喉を潤していた僕は,ふと首を傾げた。
ええと,なんだか最近似たような話を聞いた気がするけど,なんだっけ?
(余談だけど,ガイダンスで随分景気の良い話を聞かせてくれたYさんは,その後短期間で事務所を追い出され,その後は低収入の職場を転々としているということだった。そして僕自身も既に語ったとおり,司法試験には何とか合格したが最下位の成績を取ってしまい,どこにも就職できないことになった。こんな結末を一体誰が想像できるのだろうか・・・・・・?)
※ この物語はフィクションであり,実際の個人・団体等とは何の関係もありません。また,黒猫自身の体験談をもとにした話でもありません。念のため。
平凡な人生を送るのは難しい。
生まれてこの方,僕はそんな台詞をどれだけ聞かされてきただろう。
ちょっと変わった自分の外見と名前が原因で,友達と呼べる人がほとんどいなかった少年時代。
高校受験は悪夢だった。
大学受験は地獄だった。
運良く第一志望の大学に合格した後も同じだ。自炊して妹の面倒を見つつ,やっとのことで雇ってもらえたコンビニのバイトで金銭の重さを知り,働いてお金を得ることの大変さを思い知らされた。何とか溶け込むことのできたサークル内の上下関係に,社会の階層で生きる辛さも垣間見た。
平凡な人生を送るのは難しい・・・・・・。
僕は,その事実を骨身に染みて理解しているつもりだった。
だが,平凡な就職をするのがこれほど難しいとは,思ってもいなかった。
大学3年生の2月,初めての採用面接が不合格に終わったとき,僕の感想は「バイトの面接とは随分雰囲気が違うものだなあ」という,いささか暢気なものだった。
3月になり,不合格の数が十を超えると,さすがに「何か対策を立てた方がよいのかも」と思い始めるようになった。
4月になり,一時採用が終盤を迎えると,携帯の圏外が怖くなり始めた。電波の届かないところに移動した瞬間,採用担当から電話があったら,電波が通じないことで面接予定者のリストから外されたら。そう思うと,携帯電話を数分おきに確認しないと安心できなくなることもあった。
そんなときに,僕の頭をよぎった言葉が,『適性試験』だった。
僕が通った大学にも『法科大学院』が設置され,少なくない数の学生が進学していることは知っていた。法科大学院を受験するには5月または6月に行われる適性試験を受験しなければならず,4月中旬までに出願しなければ間に合わない。
この時期には,別に本気で弁護士を目指そうとか,法科大学院に進学しようかなどと考えていたわけではないが,万一どこにも就職できなかったときのために保険を掛けておかなければと思い,一も二もなく適性試験の出願に踏み切った。
5月。
大手企業の採用が一段落したとき。
僕の内定数は相変わらずゼロのままだった。
経済不況,採用抑制,雇用調整。そんな言葉はニュースでイヤになるほど聞いている。
でも,自分の大学は十分名も通ったところだし,最終的には何とかなるだろうという油断があった。サークル活動や何やらで,同期よりほんのわずかに就職活動の取りかかりが遅れたけど,これから取り返せば大丈夫だ,そんな風に思っていた。
そんなときに適性試験があった。法科大学院に入学するための試験なのに,法律関係の問題は一切出題されず,特に予備知識も必要としない試験だった。一応受験準備をしていたこともあり,そこそこの点数を取ることができた。
一方で,肝心の就職活動は迷走する一方だった。大して知識のない業界にも応募し,都市伝説のような面接の必勝法にもすがりつき,ほとんど無様なまでに面接官の望む答えを見つけ出そうとした。しかし,そんな付け焼き刃の対応が上手く行くはずもなく,6月になっても僕の内定はゼロのままだった。
就職してサラリーマンになれないことが,これほどまでに絶望的な気分になることだとは思ってもみなかった。まるで自分の人間性を否定されたかのような,自分という存在を丸ごと拒絶された気分だった。
大学の仲間は一足先に内定を獲得し,残り少ない学生生活を楽しんでいた。彼らと自分とは一体何が違うのだろう。別に法学部の勉強をさぼっていたわけではないのに・・・・・・。僕は冷静さを失い,焦りはますます強まるばかりだった。
一方,念のために受験した法科大学院の適性試験は,まずまずの結果が得られた。1回目の点数はイマイチだったものの,きちんと対策をして臨んだ2回目の点数は200点を上回り,この点数なら上位校を狙うことも可能ということだった。法科大学院の入試では,適性試験はどちらか成績が良い方のスコアだけを提出すればよいので,片方の成績が悪くても問題にはならない。
そして,僕は母校の法科大学院ガイダンスに臨んだ。教授の説明によれば,法科大学院は国民や社会に貢献する高い志と強い責任感・倫理観を持ち,国際的にも,また先端分野においても活躍できる高い水準の法律家を生み出すことを目標としている,単に司法試験に合格することを目指すのでなく,むしろ法実務の遂行や法律家のキャリアの発展において,法科大学院での学習が血となり肉となって役立つような、長期的視野からの教育を行うことを目指している,とのことだった。さらに,法科大学院から博士課程に進学し,日本の法学研究の将来を担う人材も育てているとのことだった。
そして,修了者Yさんの体験談がこれに続いた。Yさんは法科大学院を修了後ストレートで司法試験に合格し,業界でも名の知られる大手法律事務所への就職を決めたという。今の法曹界は就職難などと言われているが,司法試験で100位以内くらいの高順位を取れば大丈夫だ,今の法曹界では優秀な人材はむしろ不足している,もし法科大学院が廃止され旧試験時代に戻ったら,過酷な丸暗記の受験勉強を何年も続けなければ法曹にはなれなくなる,今が最後のチャンスだ!
Yさんのそんな話を聞いて,僕は雷に打たれたような気分になった。もともと,僕は小学生の頃から弁護士になりたいと思っていて,大学も法学部を選んだものの,法科大学院を修了しても司法試験に合格できない人が多いとか,合格しても就職できない人が多いといった悪い噂を聞いて,いつの間にか法曹という進路を敬遠するようになっていた。
でも,やはり僕は弁護士になるべきなのではないか。弁護士になりたかったという本来の望みを抑え,どこの会社でもいいからとにかく就職しようなんて気持ちでいたから,結局上手く行かなかったのではないか。今こそ本来あるべき自分に戻るべきだ,今が最後のチャンスだ!
こうして僕は,法科大学院既修者コースへの入学を目指すことになった。
壊滅的な結果に終わった就職活動とは裏腹に,法科大学院の入試はすこぶる順調だった。
出身校の法科大学院を第一志望としつつ,滑り止めでいくつか他校の法科大学院も受験した。法学既修者認定試験,各校の筆記試験,小論文,そして面接。英語検定は就職対策の関係で既に受験済みだった。
面接は,特に対策を立てるまでもなかった。Yさんのようになりたい,そう思っただけでマニュアルと違う自分の言葉が出てきた。弁護士への意気込みを熱く語る僕に,面接担当官は強く頷いてくれた。
「甲野さんは本当に優秀な方ですね」
いくつかの法科大学院では,面接官がそんなことを言ってくれた。貴方を是非特待生として迎えたい,すぐに特待生として入学手続きをしてくれれば年間授業料は全額免除にする,そんな申し出をされたことさえあった。結局,出身校の法科大学院に入学を認められたのでそれらは丁重に辞退したが,これらの過程を経て,いつしか僕は法曹になれる優秀な人材だと信じて疑わないようになっていた。
僕は海外で暮らす父親に連絡し,大学卒業後の進路が決まったと報告した。父親は法科大学院という聞き慣れない教育機関に首を捻ったものの,最終的には僕の進学を応援してくれることになり,奨学金の保証人となることにも同意してくれた。
サークルやゼミの知り合いも,僕の法科大学院合格を知ると祝福の言葉をかけてくれた。
当たり前の日常,誰もが送る平凡な人生を僕は取り戻したのだ。
それからしばらくして,僕はテレビで詐欺商法の特集を見た。
「詐欺の手口で,良くあるのはですね」
消費者問題を専門にしているという男性弁護士が,のんびりした口調で語っていた。
「まず成功体験を伝えます。このお守りを買ったら商売が上向いたとか,受験に成功したとか,そういうのをですね。実例として話すわけです。それで,次に危機感を煽る。今買わないと在庫がなくなる。最後のチャンスだとか言ってね」
なるほどー。司会と思しき女子アナウンサーが,大仰に相槌を打っていた。
男性弁護士は頷きながら話を進める。
「あなたは特別だ,とも言いますね。あなたのように特別な人だからこの話を教えたんだって。まあ,よく考えれば胡散臭いわけですが,だって売れる商品なら,わざわざ一人一人口説いて回る必要ないでしょう(笑)。 効率の悪い」
「あははー,たしかにそうですねー」
「まあ,詐欺師は騙しやすい人を狙いますからね。気の弱い人とか悩み事のある人とか,あと何か切羽詰まってる人とか。つまり冷静な判断力をなくしている人ですね」
わたしは普段から冷静じゃないし,すぐ騙されちゃうかもー。天然ぶりで知られる女性アナウンサーの発言に,男性弁護士も苦笑していた。
風呂上がりのコーラで喉を潤していた僕は,ふと首を傾げた。
ええと,なんだか最近似たような話を聞いた気がするけど,なんだっけ?
(余談だけど,ガイダンスで随分景気の良い話を聞かせてくれたYさんは,その後短期間で事務所を追い出され,その後は低収入の職場を転々としているということだった。そして僕自身も既に語ったとおり,司法試験には何とか合格したが最下位の成績を取ってしまい,どこにも就職できないことになった。こんな結末を一体誰が想像できるのだろうか・・・・・・?)
※ この物語はフィクションであり,実際の個人・団体等とは何の関係もありません。また,黒猫自身の体験談をもとにした話でもありません。念のため。
借金を踏み倒して某国に亡命するしかありません。
やっぱり増員ペースを緩めてはならない。
あとYさんは、大手渉外事務所で一生安泰の長い長い余生を送っているはずですけど。
適性はなんとかなるとしてもさすがに就活しながら法律の勉強は厳しい。
はがないの続きをたのむ
大丈夫か? 意味がわからないぞ?
必死のパッチで行こう!
これを教えてくれたのなら、ローの中ではまだかなり良心的なほうでは。
いや100位以内なら大丈夫なのかは知りませんが、少なくとも、
「よほどの能力がないと就職自体厳しい」 とは伝えてるわけで。
最後の良心がかすかに真実を漏らしてしまった、という設定でしょうか。