黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

知らなければ面白くない歴史ドラマ

2007-06-18 05:29:07 | 歴史
 今日の大河ドラマ。初登場の長尾景虎(後の上杉謙信)は,最初見たときは女性かと思いましたが,よく見ると元服前の髪型(長髪)になっているだけで,れっきとした男性でしたね。ただ,あの時代にあの年齢で長髪というのも,時代考証的にはどうなのかと思いますが。
 
 ところで,同じ今日のドラマで,武田晴信の家臣である教来石(きょうらいし)景政が,馬場信春と名を改めました。馬場信春(信房)の旧名については,黒猫も最近まで知らなかったので,あの人が後の馬場信春だったのかと驚きましたが,その話をうちの母や祖母にすると,「そもそも馬場信春って誰だ?」というような反応でした。
 馬場信春は,高坂昌信・内藤昌豊・山県昌景と並んで「武田四名臣」と称される名将ですが,そもそも武田四名臣なんて知らないという人には,晴信から新しい名前を与えられるシーンにも,たしかに何の感銘も受けないでしょうね・・・。
 「信長の野望」シリーズなどをやっている人なら,これらの武将の名前はおそらく知っているでしょうが,比較的男性には分かる人が多いでしょうね。
 たとえば,以前黒猫の母校で,「行政法の小早川教授って,あの小早川なんだって。それも毛利に乗っ取られる前の小早川らしいよ。」という噂が流れたことがありました。戦国時代の歴史を知らない人には,これだけでは何のことだか分からないでしょうが,話が通じる人にはこれだけでも通じてしまうんですね。
 一方,歴史にあまり詳しくない人には,戦国時代の話というと信長・秀吉・家康の出てきた時代しか知らない人も多いので,そういう人には今回の大河ドラマは面白くないかもしれません。最近,『風林火山』の解説本を書店で探してもなかなか見つからないので,視聴率も例年より低迷しているのかもしれません。
 まあ,視聴率の問題は,キャストに著名な人がほとんど出てこないといったところにも関係しているのかもしれませんが。

 ちなみに,武田四名臣はいずれも名前が途中で大きく変わっているのですが,そのリストをここに挙げておきます(なお,出典はいずれもウィキペディアです)。

教来石景政→馬場信房(1546)→馬場信春(1562)

工藤祐長→内藤昌豊(1568)

飯富昌景(源四郎)→山県昌景(1565)

春日虎綱(源五郎,源助)→高坂(香坂)昌信(1561)→春日昌信

 こう見てみると,すでに「風林火山」で名前を見かけている人物もいますね。
 なお,高坂昌信については,最近の研究で実は「香坂」が正しく,しかも香坂姓を名乗っていたのは永禄年間のほんの一時期で,すぐに春日姓に復したそうです。
 俗にいう真田幸村も,本名は「真田信繁」であり,幸村というのは彼の死後に創作された名前だというのと似たようなものですね。


P.S 今回,ブログに写真を掲載しました。
 これまで,ブログに写真を載せる方法がなかったのですが,試しに携帯電話の写メールで,運転免許用の写真を撮影してパソコンのメールアドレスに写真ファイルを送ってみたら,結構うまく行きました。今度はうちのアレックスの写真でも載せてみようかな・・・?

2 コメント

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こんにちは (memaido)
2007-06-18 08:56:01
はじめまして、楽しく拝見させていただきました。
またちょくちょく拝見させていただきます。
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撮影現場 (dedeko)
2007-06-18 06:11:49
 一昨日から昨日にかけて、バス旅行で川中島・善光寺→蓼科温泉(信玄隠し湯)→ロケ現場へ行きました。あちらこちら、「風林火山」の旗だらけで、堪助グッズや由布姫グッズ、信玄グッズがすごかったです。諏訪湖の横も通りました。妻女山は思ったより小さく、本当に一万以上の軍勢がいたのかと思ほどでした。ロケ現場は、躑躅が崎館を簡単に復元したもので、館の内部はありませんでした。内部はスタジオのセットで撮影するのですね。撮影に使った小物・衣装・各役者のサイン色紙などが展示されていました。人出は多く、地元もここぞとばかり気合を入れて商売していました。帰りには、新府城のあったところを通り、信玄の宝刀鍋も食べました。
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