黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

上杉謙信の「謎」

2007-11-19 02:17:15 | 歴史
 11月18日の日本経済新聞に、法曹人口増加でノキ弁、タク弁が増加しているという記事がありました。
 「ノキ弁」は、事務所の軒先を借りている弁護士というような意味で、先輩弁護士の事務所を登録事務所にしているけど、給料はもらえず、自分で仕事を取ってこなければならない弁護士のこと。今年くらいから日弁連が使い始めた言葉ですが、現状を嘆いて使った言葉ではなく、弁護士の雇用を確保するため(というより表向き雇用を確保できているよう装うため)日弁連自ら推奨している形態です。
 「タク弁」は、黒猫もこの記事を読んで初めて知った言葉ですが、イソ弁にもノキ弁にもなれず、やむを得ず自宅を登録事務所にしている弁護士のこと。59期にも何人かいたようですが、60期で人数が増えて、とうとう名前が付いたようです。
 今日はこの問題について書こうかとも思いましたが、最近似たような話ばかり書いていて、思い切りどす黒いブログになってしまう上に、アクセス数が恐ろしい数になっていて何か気味が悪いので、別の話題にすることにします。

 今年の大河ドラマ「風林火山」、最初はマイナーな時代の話なのでどうかと思ったけど、結構視聴率が良いようです。エレクトーンでも、「風林火山」のオープニング・テーマを取り上げた曲集が2つも出ていて、黒猫も練習していますが、今日はうちの猫(アレックス)に邪魔されまくりました・・・。
 鍵盤上で指を動かしていると、指に向かって飛びついてくる習性があるらしく、しかも迷惑なことに、どかそうとすると踏ん張って抵抗するし。ただでさえ寒さで手がかじかんで、思うように指が動かないというのに・・・。
 そんなことはどうでもよいのですが、今日の「風林火山」は、長尾景虎(配役はガクトで、後の上杉謙信。)の関東出兵の話でした。
 長尾景虎は、関東管領上杉憲政を奉じて関東に出兵し、これに反北条の国人たちが続々と参加して10万もの大群に膨れあがりました。景虎は、小田原城に立て籠もった北条氏康を討つべく小田原城を攻撃しましたが、堅い守りに1ヶ月が経っても城は落ちず、各地の城に籠城した北条軍のゲリラ戦法で兵糧が欠乏し、しかも関東管領就任式を馬上で出迎えた成田長泰を、馬から引きずりおろして叩きのめしてしまいました。主人公のはずの、山本勘助の出番はあまりなし。

 長尾景虎は、1561年に上杉憲政の養子となって上杉家の名跡と関東管領職を継ぎ「上杉政虎」と改名、その後将軍足利義輝から「輝」の一字を拝領し「上杉輝虎」と改名、その後出家して「上杉謙信」と名乗ったわけですが、この上杉謙信という人物、どうも黒猫にとっては理解に苦しむところが多いです。
 まず、「信仰心に厚く義を重んずる人」というイメージがありますが、そうかと思えば関東出兵のときのように驕り高ぶることもあり、関東の国人を下しても領地を奪っておらず無欲なのかと思えば、実はものすごく大金を貯め込んでいて、上杉謙信が亡くなったとき、養子の景勝は真っ先に春日山城の金庫を抑え、それが御館の乱(後述)で勝利した要因の1つになっています。
 しかも、謙信の時代には、上杉家は佐渡を領有しておらず、上杉謙信の貯め込んだお金は金山の収入によるものではなく、どうやら戦争中に配下の国人に金を貸して儲けたものらしいです。
 そして、上杉謙信は、川中島で武田信玄と5回戦っていますが、関東出兵は十数回も繰り返しており、さらに北陸方面に出兵し一向一揆とも度々戦っており、まさしく戦争ばかりしていた人で、その割に領土はあまり増えていない(ただし、晩年には東上野、越中、能登などを支配下に収めている)のですが、そんなに戦争を繰り返しても、なぜか財政は枯渇するどころか、前述のとおり春日山城に大金を貯め込んで亡くなっています。
 ライバルの武田信玄が、在世中に領土を飛躍的に拡大しながらも、その間に甲斐の金山をあらかた掘り尽くしてしまい、子の勝頼の代には財政難に陥って武田家滅亡の一因となっているのとは対照的です。
 戦国時代の越後って、そんなに豊かだったんでしょうか?

 上杉謙信は、戦いには非常に強かったらしいのですが、謙信が用いたとされる「車懸り」などの戦術については、現在でも実態はよく分かっていません。
 家臣の謀反には結構悩まされており、重臣の北条(きたじょう)高広は謙信に2度も背き、大熊朝秀や本荘繁長にも謀反を起こされています。これらの多くは武田信玄の謀略で、そして晩年には、織田信長の謀略に乗って重臣の柿崎景家を殺害してしまっています。権謀術数にはあまり強くなかったことは確かです。
 外交面では、南に北条と武田、西に一向一揆と、多方面に敵を抱えて振り回される状況が長く続き、大規模な関東出兵も成田長泰の離反で破綻、武田信玄の駿河侵攻時には長年戦い続けてきた北条氏康と同盟を結ぶも、あまり期待に応えられず、数年後には北条家に見切りを付けられ、再び武田家と同盟されてしまっています。
 そして後継者対策では、上杉謙信は生涯不犯といわれ(ただし、男色はやっていたらしいです)、妻を娶らず実子をいないため、養子を取っていたのですが、その養子が謙信の姉の子である上杉景勝と、北条家から養子にもらった景虎と有力人物が2人いて、どちらを後継者にするか決めずに(おそらく国内感情と、北条家との外交関係との板挟みになって決められないまま)脳卒中で急死してしまい、その死後景勝と景虎は「御館の乱」と呼ばれる国を二分する内乱を引き起こしています。
 幸い、織田信長が本能寺の変で急死してくれたので、上杉家は幕末まで何とか生き残れましたが、もし織田信長があと1~2年生きていたら、上杉家は完全に滅ぼされ、おそらく上杉謙信は軍神どころか戦犯呼ばわりされていたのではないかと思います。
 再来年の大河ドラマは、「天と地と人と」というタイトルで、上杉景勝を支えた名軍師・直江兼続が主人公らしいので、おそらくこのあたりの経緯は詳しく語ってくれるでしょう。
 また、自分は子供を作らなかったくせに、軍師の宇佐美定満(ドラマでは緒方拳が演じている)には、宇佐美家を絶やしてはならないと熱心に子づくりを勧め、それで定満は60歳くらいになって妻を娶り、子供を2人もうけましたが、その後ですぐ妻を離縁してしまっています。結構身勝手な人たちです。

 要するに、軍事は一流でもそれ以外は二流で、それでいて戦争ばかりしていたのに不思議と財政を破綻させず、しかも性格的に屈折したところが多く、信心深いが傲慢で血の気が多い、義を唱える割には結構がめつい。上杉謙信という人は、結局どんな人だったんでしょうか。いまいちよく分かりません。
 ガクトさんの演技は、あの長髪はどうかという気がしますが、複雑な謙信の性格は見事に演じていると思います。

1 コメント

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上杉謙信不存在説 (ねどべど)
2007-11-23 00:29:22
このように矛盾の多い人物像であることからすれば,もしかすると聖徳太子のように架空の人物なのかもしれませんね。
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